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回復記 2023/10/23

こんばんは。藍原タユことAnri_sadです。ほぼ1年ぶりにnoteを開いたので、近況報告。
長くなってしまうので目次をつけます。見苦しい描写も多いと思いますがご容赦ください。


大学生編


去年の夏頃から振り返ろうと思います。
バンドを結成し初めてのライブ後、不仲により解散。その1週間後に恋人と別れ、1ヶ月後に他の人と付き合いました。彼の家で脱法ドラッグを服用し幼児返りしたり、発狂しながらLINEを送るなど数々の迷惑をかけてから別れてしまったので、申し訳無さしかありません。
その後、とある長年続いていたレベルの高いピアノロックのバンドに誘われライブツアーで関西に行きましたが、ライブの帰りに問題が起きて解散しました。
全てを失った私は鬱・過食・過眠・リストカット・オーバードーズを繰り返しながら精神を荒廃させていきました。季節はあっという間に過ぎ、12月。私は大晦日の数日前にコロナウイルスに感染し、悲惨な新年を迎えたのでした。

ところで皆さんは「自分は近いうちに肉体的にもしくは精神的に死ぬだろう」という予感を抱えて過ごしたことはありますか?私は去年の12月から1月にかけてそうした願望じみた死の予感に取り憑かれていました。コロナウイルス、止められない自傷行為、抑圧的な家庭、迫る卒業試験、卒業したら何になる?、孤独、虚業に思えるピアノ講師のバイト。当時はその全てが死ぬに相応しい環境に思えました。
そのような精神状態ながら身体はコロナから回復したので、ある休日に、関西からやってきた前から凄く会いたかった友人と遊び、とても楽しい1日を過ごしました。
翌日目が覚めると私には本当に思い残すことがありませんでした。会いたかった人には会い尽くし、楽しいことは全て過去にあり、目の前に広がる全てが苦痛でした。

死ぬ日がやってきたんだ。


泣きながら処方薬2シートとブロン一瓶とエスタロンモカ1箱を酒3缶で飲み下しました。吐き気に耐えながらコンビニの駐車場で意識を失うのを待ちますが、何分待てど、1月なのにやけに熱い陽の光、全身の痙攣、真っ赤な視界がまだ生きていることを痛いほど伝えてきます。死ねないことが分かった私は吐瀉物を撒き散らしながら這うように家に帰り、倒れているところを母親に見つかり、救急外来に運ばれました。おぼろげな意識の中で全身に管を繋がれ、「人工透析になるかもしれないんだよ」と医師に叱られ一晩入院しました。

翌朝。清潔な病室、射し込む光、空っぽになった私。そうか、空っぽになれたのか。肉体は死ななかったけれど精神のどこかが良くも悪くも確かに死んだという感触に、私は希望を持ち始めていました。生まれて始めて赦された気持ちでした。「死ぬくらいなら何やってもいいだろう」死の予感の代わりにこの諸刃の剣ともいえるメンタリティを手に入れた私は、どうにか卒業試験をクリアし返済不要の奨学金を最後までもらって国立音楽大学を卒業しました。

フリーター編


ただの実家暮らしフリーターになりました。先程述べた、何でも死ぬよりはマシという自暴自棄メンタリティは加速していき、次第に謎の脱法ハーブを使う頻度が増え、乱倫の日々を送り居直る生活。素面で音楽を作ることができなくなり、誰にも理解されないような音楽をYouTubeにアップロードして悦に入っていました。正直とても楽しかったです。

しかしそれにもやがて限界が来ます。素面の自分を肯定できているわけではないので、他者の承認を求めるがあまり不安定な疑似恋愛にのめり込み、段々とまた精神的な余裕が無くなっていきました。
夏頃、疑似恋愛にのめり込み心を誤魔化し続けたり醜い嫉妬に時間を裂いていたら今後また鬱の日々に戻ると思い、強引に相手との関係を絶ちました。その時に私は、これからは

①相手に期待しない②所有を求めない③心に壁を作る

と強く硬く決意しました。

精神の健康の為、恋愛以外でも様々なものを切り捨てていきました。3歳から続けてきたピアノを一切放棄し前から憧れていたギターを始め、フォロワーが増えすぎてプレッシャーになっていたツイッターの音楽アカウントを消しました。
少しずつ自分の本心と向き合える状態に回復することが本当に嬉しく、生きていて良かったと思えました。
そうした過ごし方をするうちに心地の良い居場所が増え、多彩な交友関係ができて何かに過剰に依存することが減ってきました。本来私ってこんなに明るかったのかという気付きを得ました。

現在


現在は、精神科の薬を飲むことを一切やめて過ごしています。友達との緩い繋がり、知的探究心の充足、音楽、過不足無く満たした3大欲求、無理のない労働、インターネット上の自分を持つこと、他者に依存しないこと。これらが今の私の精神を安定させています。
まだ、何かを手に入れようと一歩踏み出す時に、病的な不安症の影がちらついて勇気が折れそうになることはありますが、投げやりなユーモアと真剣さのシーソーを上手く操縦することで、より良い労働環境に移ったり嫌なことをやめたり人に対し忖度せず行動することが増えてきました。
良くも悪くも図太くなったし不感症になったし冷たくなったのだと思います。
今日、1年前に書いた自分の文章を読んだのですが、滅茶苦茶だけどヒリヒリするようなメンヘラ的感性が炸裂していて別人の文章かと思ったし、もう二度とこういう言葉は吐けないと思いました。
でもそれで良いのです。私の人生が第一優先で、その時々の私にとって1番リアルな言葉や音楽、失われてしまうものを記録し続けられたらとても素敵なことだと思います。変わることを恐れずいつか恥となる今をより良くしていくことだけを考えて生きていきたいです。

決死で踊ろう、お道化て学ぼう。


おやすみなさい。

2023.10.23  藍原タユ、夕景、桑◯安◯





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