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アーティストのライブチケットに対する弁当の誤発注という表現は的を射ているのか?

アーティストのチケット売れ残り報告について、「誤発注の弁当」という意見が記載されていました。最近ではアーティストのコンサートやイベントにおけるチケットの売り切れが問題視されており、その売れ残りに対する意見も出されています。特に、その中で注目されているのが「誤発注の弁当」という表現です。これは、チケットの発注数が実際の需要に見合っていないことを指しており、需要と供給のバランスが取れていない状況を象徴していると言えます。

これに反論したのが岡崎本人。この記事に対しこう述べている

バケモノ


記事に賛否両論あつまりました
私はこちらの件を見て、とても侮辱的だと感じました

マーケティングを舐めるな!

弁当の誤発注という言い回し、言葉のイメージそのものは悪い
しかし記事を書いたライターの伝えたいことは、供給過多の商品を売れ残る(ライブなら開演当日までに)危険がある際にSNSで広報をしてユーザーに助けを求める構図のことを指すのであり、特にくさすような表現でもなんでもないのである
反論ポストから伺うにプライドの高さ故に記事をよく読まずに反論し、さらには自虐に走ってしまったのでしょう
それを受けてニュース記事でこの様子がまたたくまに転載
不快を煽るサムネイルとともにどんどん拡散されていきました
(当記事は読者の不快を煽る画像は極力出すことのないよう徹底しております)
マーケティングを反論した報いによって再びマーケティングをされた記事を出されてしまったのです
そもそも岡崎自身もチケットの売れ残りポストそのものがマーケティング行為であり音楽とは一切関係ない広報活動の一環であるのでこの件に関して批判する筋合いはありません
このバケモノが音楽を高尚なものであると誤認しているように、マーケティングという行為もある程度高尚なものと思っているからこそ出る言葉であり
実際には音楽よりもマーケティング行為は人類、特に日本人なら誰でも行っている行為である普遍的な技術なのです
「それ」自身もバケモノであることを自覚しているからこそバケモノとしてのマーケティングをしたのであり、寧ろ他方からそういった言葉が出ないのがマーケティング専門家がいかに人間相手にマーケティングをしバケモノにマーケティングしないかを物語っています

このように、マーケティングというのは音楽よりも普遍的で誰にでも出来ることです
最近では流出した頂き女子マニュアルがマーケティングの見本だと話題になっておりますが、マーケティングを正しく学習すれば世界は面白いように変わります
マーケティング資格を持つ私によるマーケティングに関する記事をぞくぞくと投稿しておりますので、フォローやスキ!をよろしくお願いします


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