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蒐集家、団結する 第二章 五、潜入捜査「楽土園」

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 新しい部下には、申し訳ないことをしてしまった。それでも前から予定があった以上、今日はどうしてもライニアへ行かなければならなかった。所沢と別れて数時間後、私服姿の日光は「楽園」で最も大きな建物――楽土園付属らくどえんふぞくライニア博物館はくぶつかんを入り口正面から見上げていた。以前来た時はまだ手付かずの部分があったが、今はほとんど「完成」と言っても良い具合になっている。
 ふと思い出して、日光は博物館の裏に回った。台地になっているそこからの光景は、何も変わりがなかった。あれを目にすると、自然と内乱が脳裏によぎる。自分は二度とも、この国にいなかった。それでも後で詳しい情報を知り、呆然としたものだ。友人知人は多くが死亡し、常連だった店も破壊された。巻き込まれた者たちは、何も悪いことをしていなかったはずなのに。
 園の敷地全体を見回し、ここもかつて荒れ果てていたのを今になって思う。それを熊野たちは、木や花々、人工の滝まである自然溢れる「楽園」にまで変えてしまった。文化を破壊した者を追っていただけの自分には、出来やしなかっただろう――。そう浮かびかけて、日光は首を振った。「楽土蒐集会」のやり方は、やはり手放しで褒められるものではない。それにこの「楽園」も、永久に残るわけではないのだ。
 気が付けば、自分を探していたらしい「楽土蒐集会」会員に声を掛けられた。相手はこちらがいずれ逮捕してくるとは知らず、潜入開始時からずっと親しくしている。
「久しぶりだなぁ! 日本の支部にいたのかい?」
「まぁ、日本にいたのは本当かな。それよりさ、早く博物館の中を見せてくれよ」
 そう促して会員に案内される中、日光はこの施設がどこまで「完成」に近付いているか探っていった。
 地上六階、地下二階まで広がる館内は、さらに正面入り口から繋がる本館と左右に建つ西館、東館、本館奥の北館と分かれている。展示室がある五階までを一通り見た後、日光はどうも晴れないものを覚えていた。展示品が多かった故、疲れてしまったのか。
「お久しぶりです、ウォブラさん。やっとここまで辿り着くことができましたよ」
 懐かしい地での名が、自分を呼ぶ。国籍こそ日本のままだが、まだ慣れない文化圏の名にライニアの者が戸惑わないよう与えられたのだった。最後の展示室を出る前、熊野はいつもの柔らかな笑みでこちらへ歩み寄ってきた。
「確かに順調みたいだけどさ、このまま開館しちゃって良いのかい? ――盗品だってばれたら、どうするんだ」
 少し声を低めて問うても、熊野は穏やかな表情を崩さなかった。逮捕されても、どんなに重い処罰を下されても受け入れる。そう言い切る彼に、今の自分が危うい立場であると分かっているか尋ねる。
「ご忠告、ありがとうございます――」
 頭を下げる熊野は、裏で何を考えているのだろう。ここ五年交流してきた中で、会長の心は分からないままだ。日光の思案も気付かぬ様子で、熊野は博物館の正式な「完成」が近いときっぱり告げる。何でも、十万点の蒐集を終えたら開館すると事前に決めており、最後の一点もそろそろ手に入れられるそうだ。近くにある空の展示ケースを、日光は一瞥する。
「もちろん、ほかの建物や自然にも力を入れていますよ。公園の木とかも、ちゃんと手入れしてありますからね」
 熊野の言葉も、耳をすり抜ける。この「楽園」が完成してしまえば、後は無情に風化や崩壊が始まるだけだ。それを「楽土蒐集会」の長は心得ていないのか。いつか滅びる平和の象徴を思い、日光はそっと目を伏せた。

 外に出ると、秋の冷たい雨がぱらぱらと降っていた。この国では普通である天候の中、日光は傘もなく建物を離れようとする。そこでふと横を見、困ったように屋根の下で立ち尽くしている女に気付いた。洋装の上から着物を羽織る独特な姿は、「無縫者」こと春日山凪だったか。
 彼女もすぐ、こちらの存在を認めた。既に自分が国際蒐集取締機構に勤めていると知っていたのか、手を一つ叩いて頭を下げてくる。
「いや、ちょっとここは見逃してくれよ! 僕も何かよく分からないでここに来たんだよ! あ、この博物館には何度か行ったことがあるんだけどね」
 いつもの会合に集まっていたと思ったらここに移動していたと話す彼女は、どうやら自分が逮捕することを恐れているらしい。まとまっていない言い訳じみた言葉を並べる蒐集家を、日光はゆっくり諭す。今日は下調べとして、ここを訪れたのだ。逮捕するにしても、恐らく次の機会だろう。自分が何もしないとようやく理解した春日山は、どっと力の抜けたように壁へ寄り掛かった。
「君の所は、『楽土会』を解体させたいんだっけ? だったらさ、『早二野』って蒐集団体、知ってる? やっぱりあそこを倒したがっているみたいなんだよ」
 初めて聞く蒐集団体の名前だったが、日光は次第にその話へ惹き付けられていった。少数精鋭で「楽土蒐集会」壊滅へ本気で乗り出しているのが面白い。加えて、リーダーとされる女も気になった。蒐集家としては珍しい、人のために動く「偽善家」とは、どのような人物なのだろう。
「なかなか気になるところじゃないか。で、あんたは『早二野』の話を俺にして、どうするつもりだね?」
「彼らをここへ呼んできてほしいんだよ。僕には出来そうにないからね」
 団体に所属するある一人に、春日山は会いたいのだと言う。「楽土蒐集会」倒しで躍起になっている彼らの好機を作りつつ、自身の目的も叶えたい。女蒐集家の頼みを、日光はすかさず承諾した。自分と似た目標を持つ人々なら、頼らないわけにはいかない。たとえ自分が逮捕すべき存在であれ。
 雨は小降りになり、雲の間からうっすら日差しも見えてきた。春日山の用事も済んだと思え、日光は足を進めようとする。そこでふと、組織の在り方に悩んでいるだろう副会長のことが頭によぎった。彼の居場所を聞いてみたが、春日山も知らないとのことだった。
「あの人もさ、色々抱え込んじゃってるよね。本当に自分を大事にすりゃあ良いのにさ」
 どうやら彼女も、平泉が持つ複雑な心に気付いているようだ。どこか気の合うものを覚えつつ、日光は博物館を後にする。正面の池を囲むようにして並ぶ建物や木々の横を通り過ぎていく。近くにあった木の下で、何となく指を大きく鳴らす。すかさず音を立てて小枝が落ち、日光の足元に転がった。園内の環境が破壊されたと聞いたら、完璧を目指す熊野は戸惑うだろうか。その光景を浮かべて、思わず頬を緩める。鼻歌交じりに足を進め、池の向こうに博物館が見えたころになってふと真顔になった。
 いつから自分は、古の文化に惹かれるようになったのだったか。二十年前の大乱後に惨状を訪ね、たまたま通り掛かった画廊から絵画を持ち出している者を見つけたのだ。乱の首謀者に感化されたか、ライニアを変えるなどと彼らは宣い、持っていた額縁を地面に叩き付けた。見ていても意味の分からない芸術は必要ないと。
 確かに日光も、その抽象画が何を訴えているかを理解できなかった。それを悔しく思い、額縁がわずかに欠けたそれを購入して帰国し、美術などを学ぶようになった。少しでもあの絵を侮辱したやつらに見返してやりたい、彼らと同じ無知な自分にはなりたくないと願って。
 森の奥にある人工の滝を見に行こうかと思った時だった。道中で取材を受けている人の姿を目の当たりにし、日光は足を止める。記者から質問をされているのは、「楽土蒐集会」会員のようだ。もうすぐ開館とあって、報道陣も注目しているのだろう。
 取材されていた者が立ち去り、ややあって記者がこちらに目を向けた。踵を返すにも遅く、博物館の関係者か問われる。仕方なく自らを偽り、一つ一つの質問に返していく。自分の顔と声が公に出ることに、不思議と悪い気持ちはしなかった。

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