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蒐集家、団結する 第二章 八、受容の果て

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 展示室としては最上階である五階の一室にある部屋へ足を踏み入れ、熊野は並ぶ品の一つ一つを丁寧に見ていった。争う人々を止めるために政府が空から撒いた通達文、実際に使用された武器に、被害者の遺品などが佇んでいる。これらは全て、故国で起きた二度の内乱にまつわる品だった。博物館を開くと聞いて人々が提供してくれたものであったり、戦いのあった地域で拾ったものであったり、少なくとも手荒な手段はこの蒐集で用いてはいないはずだ。
 この部屋を熊野は、元々作ろうとしていなかった。平泉ら複数の仲間が勝手に設けたいと計画を立て、そのまま見過ごしたのだ。結果的に、ここだけが館内で異質な雰囲気を醸し出している。
 薄暗い室内を一巡しただけで、体が重くなる。入り口近くの壁に背を預け、熊野は息をつく。一度目の乱があった時、自分はまだ子どもだった。家族こそ無事だったが、暮らしていた場所や友はひどい被害を受けた。これも起きてしまったことだと、早々に呑み込んだ。いっそ自分が全ての傷を引き受ければ良かったか、そんな思いも抱いたかもしれない。
 廊下から足音がする。夜も近いこの時間に自分が呼んでいるのは、一人だけだ。その姿を認め、熊野は軽く頭を下げる。腕時計を見ると、予定時刻より少し遅れていた。それでも問い詰めはせず、相手に事情を話す。
「相談がしたかったんだ。キミも会員の一人、たまには頼らないと」
「別に良いけどさ、会長さん。今まで僕にこんなことなんて、してこなかったじゃないか」
 唇を尖らせる来訪者――春日山に、熊野は純粋な疑問を零す。
「キミはよく自分のやりたいことをやれって言ってきたけど……ボクは、できているかな?」
「そんなの、君自身で確認することだよ。会長さんはどうして、この博物館を作ろうと思ったの?」
「世の中にあるいろんな美術品を見たくて、大事なそれを守りたかったんだ」
 昔から変わらぬ思いを告げる。少数民族である母の血を継いだが故に、熊野は迫害を受け続けてきた。初等学校で出会った平泉に助けられ、度々彼とは行動を共にしてきた。そして図書室でたまたま見掛けた美術の本を、二人で夢中になって読んでいたのだ。
 内乱でその日々が終わっても、熊野の心は変わらなかった。十六で初めて小さな博物館を訪ねた時は、そこにあった品々に圧倒されたものだ。この国の外には、もっと豊かで貴重な作品が残っているに違いない。そう期待を膨らませ、自らのものにしてきた。
「そうして蒐集しているのは、自分のため?」
 春日山に問われ、咄嗟に頷いた。だがそれに違和感も覚える。美術品そのもののためにも、自分は動いているのかもしれない。これ以上戦乱などに巻き込まれて、失われることがないように。
 春日山は何も言わず、懐から煙管を取り出して吹かし始めた。喫煙禁止にはしているが、注意して彼女をさらに怒らせたくはない。じっとその顔を見つめ、相手が何を思っているか見極めようとする。
「どうかした? 僕の顔に何か付いてる?」
「いや、そうじゃなくて。もっとキミのことを知りたいなって」
「何もかも理解されてる、ってのは嫌だなぁ」
 不機嫌を露わにする春日山が、大きく煙を吐き出す。それを見て彼女の心を察し、熊野は微笑んだ。
「では、ほどほどに知ることにするよ」
 春日山が煙管を口から離す。それを大きく振って灰を落とし、勢い余って先端が壁に当たる。金属のぶつかる音が響くと同時に、彼女はまっすぐにこちらを睨んできた。
「君、本当は何がしたいんだい? 人の顔色を窺って、やりたいことを押し殺しているんじゃないだろうね?」
 冷ややかな女の目つきにも、熊野は動じない。本当は心の奥で張り詰めるものを感じているが、それを表に出さない。なるべく笑みを保ったまま、言葉を紡ぐ。
「そうだね、今は何か考えているようなキミを助けたいよ」
「何だそれ。『偽善家』さんと変わらないじゃないか。あんまり人に関わり過ぎるのは良くないよ? 僕のことは構うなって」
 突っぱねる春日山は、こちらを見ずに続けて問う。「楽土蒐集会」の長としてやりたいことは、品を集めることだけか。しばらく考えてから、熊野は博物館含む「楽土園」を開くことも目的だと伝えた。そもそも博物館として開くことを決めたからには、人々に見てもらわなければならない。
「へぇ、多くのものを盗んで人へも被害を出してきた『楽園』を開くことが、君の願いなのか。……僕が言えることじゃないけどさ」
 ばれたら一大事だと、春日山は念押ししてくる。似た言葉を、以前訪ねた老人にも言われた気がした。誰も彼もが、この博物館を快く思っていないのだろうか。それなら仕方がない、と熊野は浮かびかけた。悪い手段が許されていないというなら、罰を受け入れるまでだ。今までやってきたことが悪だったと、あっさり認められる。これまでの人生で作られてきた心の仕組みが、熊野に何の悔いも抱かせなかった。
 黙って考え事をしていたからか、向こうの相手には悩んでいるか聞かれてしまった。自分を押し殺してまで他人のためになるのは良くないと彼女は言う。
「嫌なことは嫌、悪いことは悪い、してほしくないことはするなって、はっきり言わなきゃ。君、今までに不本意なことをされ続けてきたんだろう?」
 それを我慢して受け止めるのはつらかったのではないか。問われてみて、熊野は振り返る。著名な蒐集家を仲間に引き入れる計画が失敗した時も、平泉が自分を差し置いて会長に推薦された時も、その彼が自ら目を潰した時でさえ、そういうものだと認めてきた。どんな出来事も、起きてしまったからにはどうしようもない。苦しんで涙を流すことなど、あっただろうか。
「君、痛みを感じる心さえなくなったのかい!?」
 いつの間にか、春日山には罵倒されていた。平和を願う博物館の館長として相応しくないと吐き捨てられる。そう評されると、自分は確かに失格だという思いが熊野に芽生えた。「楽土蒐集会」の長も、きっと向いていなかったのだろう。
 ここにいるのが疲れたとして、春日山は部屋の展示品を眺める。よく見るためかケースに近寄り、部屋を一周する。
「しかし見応えがないねぇ。こってこての武器と……ガラクタ? 壊れてるじゃないか。何でわざわざ僕をここに呼んだんだい? 他の部屋なら良かったのに。綺麗な絵が飾ってある所とかさ」
 一度「審美家」――屋久島真木に見てもらった方が良いと零して、異邦人は入り口近くの壁にある説明文を見る。自分の読める字がないと訴え、春日山は部屋を出ようとした。そこで思い出し、熊野は肩に掛けた鞄を探って彼女へ駆け寄る。足を止めた相手へ、手の中に隠したものを渡す。平泉から彼女の真意を聞き、急いで作った品だ。早口に効果を説明し、続けて何を言おうか迷う。そして気付けば、己の願いらしきものを口にしていた。
「できればいつも持っていてほしいな。……いらなかったら、今度返してくれていいよ」
 彼女が本気であった時を踏まえて、すぐに一言付け加える。瞬きせず手元をじっと見、春日山はぼそりと礼を言ってから急に問う。
「……もしもの話だよ。『早二野』が本当にこの『楽土園』を壊しに来たらどうする? ――まぁ、どうせ君ならさほどショックも受けないんだろうな」
 既にこちらの思考回路はお見通しらしい。熊野は黙ったまま、去り行く蒐集家を見送った。

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