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蒐集家、怨恨を抱かれる 第二章 九、離れる者、残る者

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 属する蒐集団体で昨夜起きたという事件を、岩国は仕事を終えて自宅に着いてからも信じ切ることが出来なかった。玄関へ入る前に家の裏へ回り、数年前から手掛けている家庭菜園を見ている間も、朝に届いた連絡が頭に引っ掛かっている。花壇に植えたハーブがそろそろ収穫時かと気付いて笑顔が浮かんでも、すぐに物思いへ消えてしまう。
 ここよりずっと遠い東京で「天原芸術振興組合」から蒐集を行おうとした作戦は、失敗した。その際に香口が負傷し、予定されていた今後の蒐集はいったん白紙にするよう求められた。同時に、昨夜遭遇した「早二野」に警戒しろとも連絡が来ている。
 まさか自分の仲間が、このような事件に巻き込まれるとは思わなかった。本格的な春に向けてぐんと伸びる葉にしゃがんでそっと触れ、岩国は奥歯を噛み締める。そうしていなければ、さらに考えるうちに涙が零れてしまいそうだ。無論、岩国も蒐集業界の危険は知っていた。時に過激な行動が行われると。だが人を危険に巻き込むつもりのない自分には縁のない話だと思っていたのだ。
 脇に抱えていた郵便物の落ちる音と感触で、岩国は自分がぼうっとしていたと気付く。拾いたくとも体が動かない。怪我をしたのは香口だけと聞いたが、他に被害者はいないか。直接傷付いていなくとも、突然の出来事に心が痛んだ者もいるかもしれない。こういう時に「天使」と呼ばれている自分がどうにかしたいのに、腰が重くて仕方がない。対面で励ますには、構成員たちとは物理的な距離が遠い。電話やメールで伝えたところで、向こうがどのような反応をしているかも分からない。
 膝に目元を押し付けてしばらく過ごしていると、髪に冷たいものが当たった。いつの間にか降っていた雨に起立を促され、慌てて玄関から家へ入る。体はわずかに濡れただけで、すぐに風呂を沸かす必要はなさそうだった。
 常に持ち歩いているハンカチで髪を拭き、スマートフォンの画面を開いて着信の存在を知った。団体の中でも頼もしさがあると思っている人へすぐ応じられなかったことを心で詫び、すぐに折り返す。
『あなた、このまま『蓬莱継承会』にいて良いのですか?』
 普段と変わらぬ落ち着いた声で大森に問われ、一瞬だけ戸惑う。答えるより先に、岩国には聞きたいことがあった。
「香口さんは、ひどい怪我じゃないんですよね?」
『腹部に一発、貫通しただけのようです。命に別状はないと』
 返答にほっと息をつき、思わずふらつきかけた脚を慌てて支える。すぐに香口が戻れるのなら、今度を危ぶまなくて良いだろう。楽観した岩国を、冷徹な指摘が襲う。
『私はあなたの心意気を聞いているのです。『蓬莱継承会』にい続けることで、あなたは後悔しないのかと。そもそもあなたは、何のために団体へ入ったのですか? ライニアに思い入れはないはずですが』
「『楽土蒐集会』のことは知っていました。ライニアにも立ち寄ったことがあって」
 岩国が異世界を知ったのは、ボランティア活動を目的に入った「枝葉の少女」でのことだった。そこで知り合った蒐集家によってこの業界のことを聞き、興味を抱いたが自らがそうなる機会がなかった。
 転機は去年、管理栄養士として勤めていた学校が感染症の影響で長期間の休校に入り、退屈していた折に異世界へ迷い込んだことだった。何気なく結界とやらを手繰った先にあったライニアで、その辺りにいた美仏と知り合った。彼女に案内されて建設中の「楽土園」を見に行き、未完成ながら広大な土地に広がる建物や自然に圧倒された。ただただ見入っていた自分に、美仏が提案してくる。
「気に入っちゃった? なら『楽土会』入る?」
 しかし仕事との兼ね合いを考え、入会は見送った。そして「楽土蒐集会」の壊滅を知った後、こちらも美仏に教えられた「蓬莱継承会」に入ったのだった。「楽土蒐集会」の目指していたような「楽園」を作りたくて。
『残念ですけど、香口さんは『楽園』まで作るつもりはありませんよ』
 こちらが語り終えてからさらりと明かした大森に、岩国は耳を疑う。当初予定されていた「蓬莱継承会」の博物館計画でも、周囲の自然などにまつわる設計がなかったと指摘された。
『岩国さんはその美しい自然がお目当てですか? それなら私たちの集めてきた美術品にも興味がなくて、どうでも良いと思っているのですか?』
「そんなことはありません!」
 速まった鼓動をどうにかせんと、大声が咄嗟に出た。確かに美術や難しいことは分からないが、ぱっと見た時に感じるその美しさは知っている。そして大森こそ、博物館計画には思い入れがあったのではないか。これまでの活動から察したことを岩国は尋ねる。
『ええ、私は故郷のカレガロで開くことを提案し、建設の候補地も視察に行きました。大勢の反対があった結果、あなたにこの国での定期的な展示会の案を出されてからはそちらを優先するようになってしまいましたが』
「大森さんは、わたしの案に乗ってくれましたよね?」
 予算はあるのか、展示品はどこで保管するのかなどと訴えてきた構成員たちと、香口らの仲を取り持ちたかった。博物館が出来るまでに、何らかの形で蒐集品を利用したい。そう伝えた岩国に賛同して、大森が展示会の開催を提案した。
「まだ博物館の計画は、終わっていないはずです。大森さんも『蓬莱継承会』をやめないでここで続けていけば――」
『今のままでは出来ません』
 諭そうとした岩国に、大森が言い切った。展示会を開くことで反対派と妥協したものの、そちらの準備にも時間が掛かり過ぎている。カレガロにはどうしても必要なものがあるのだと話す大森に、端末越しながらも逼迫したものを岩国は感じていた。
『私はある程度準備が整ったら、ここをやめます。既に他の構成員も、多くが脱退を済ませているかそれを宣言していますよ。香口さんは見捨てられたのです』
 昨夜に香口は蒐集団体の長としての在り方を問われ、彼を襲う者まで現れた。長に失望する者は多い、いずれ自然に団体が崩壊するかもしれない。そんな話を聞いていると、余計に岩国の「蓬莱継承会」――特に香口への心は強くなっていった。香口を一人にしてはならない。たとえ遠方に住んでいて簡単に見舞いへ行けなくとも、出来る限り彼のためになってやりたい。
「……決めました。わたし、『蓬莱継承会』に残ります。香口さんがかわいそうなので」
『相変わらず優しい『天使』ですね』
 電話の奥で小さな笑いが聞こえる。蒐集品が盗まれて周りの構成員が混乱していた時も、自分は至って落ち着いていたとも褒めてくる。
『少しは他人ではなく、自分を大事にしてください。あなたが倒れたら、助けてきた人々が悲しみます』
 通話が切られた際に思い出したのは、厳島のことだった。「ミズ・パーフェクト」としてそつなく振る舞う様が業界では知れ渡っているらしいが、彼女は決してそれほど強いわけではない。完璧に見えて、時に陰で悩んでいる様を度々見てきた。あの女は今どうしているだろうか。こう考えることも大森は止めてほしいのか悩みながら、岩国は耳元からスマートフォンを離した。

 簡単に作った夕食を食べ終えてすぐに、厳島は寝室のベッドに倒れ込んだ。疲れがいまだ体全体に残っている。無理もない、昨日の夜から忙しかったのだ。香口の付き添いからこの家へ戻り、少し休んだだけで普段と変わらず出社する。睡眠不足を隠すことに必死となりつつ、何とか一日を終えた。
 本当はずっと布団に全体を埋めていたいが、このまま風呂にも入らず眠るのは良くない。食事直後に姿勢を横にするのも、体には悪かったか。まだ立ち上がる気にはなれず、厳島は天井の照明を見上げる。思い出すのは、仕事の合間で頻繁に入ってきた連絡だった。多くの構成員が「蓬莱継承会」からの脱退を宣言し、連絡が取れなくなっていた。中には昨夜の様子を見ていない者もいたが、よく決断できたものだ。香口をそうきっぱりと切り捨てるのは、彼を元から信頼していなかったが故か。
「へぇ、楓ちゃんもそうやってだらだらするんだねー」
 ここにいるはずがない女の声に飛び起き、声のした方である窓際の机をしばし見る。彼女がいつも「蓬莱継承会」で見せている姿を思い出し、ベッドから離れて机の下を覗くと、果たして美仏がそこにいた。
「無断侵入はやめてください。私、あなたに住所を教えましたっけ? 鍵もドアから窓までちゃんと閉めたはずですが」
「ああ、気にしなくて良いよ。扉すり抜けてきたから」
 思いも寄らぬ侵入の手段に寒気を感じていると、狭い空間から出てもなお座っていた美仏の体がゆっくりと床を離れ始めた。体育座りの姿勢でいるのに、いつの間にか彼女の視線は立っている厳島の目と同じ高さにある。
「あたい、人間じゃないんだ。天界から来た仙人だよ」
 あっけらかんと言った美仏は空中で縦に一回転し、手の内で小さな雲を作ってはそれを吹いて消していた。彼女が「仙術」と呼ぶ、瞬時に姿を消す技や咄嗟に花びらを出してみせるといったものを、いくつか目の当たりにする。厳島は驚きに騒ぐ心臓をそのままに問うた。
「あなたは、いわゆる異世界人で合ってますか?」
「そうだよー。仙人のお務めとして、地上を見守っていたんだ。仙人ってのは性別がないし、身長や体重も自在に変えられる。だから今まで女なんて言って騙して、ごめんね? 実はこの辺にも、性別を示すものがないんだ。見る?」
 ワンピースの裾を持ち上げようとする美仏へ、厳島は手を伸ばして制する。仙人なる存在は、人間が多くの回数を転生することで生まれるらしい。「天界」とも呼ばれる世界を拠点とする彼らは、人間の暮らす世界がより良くあるよう動くことを使命とした。
「にーちゃんを助けたこともあるよ。初めて行ったライニアでお買い物ができなくて困っていたから、お金渡してあげた。香口くんも『楽土蒐集会』が壊滅した後に反省してくれるかなって、期待してたんだけどねぇ」
 香口が「蓬莱継承会」を設立したばかりのころに、彼を「成長」させようとして美仏は組織へ入った。「早二野」を警戒して「楽土園」に向かった香口を止めず、失敗の先で何か学ぶことを望んだ。結果的に彼は、より「楽土蒐集会」への思いを強めて周りが見えなくなってしまったようだが。
 厳島が振り返る限り、美仏はあまり積極的に活動へ関わってこなかった。それは他にやることがあったからか尋ねる。
「まぁ、そんな感じだね。やる気がないとでも思った?」
「いいえ。忙しい構成員もいたので、気にしていませんでした」
「なら良かった。そんでほとんど貢献してないみたいでなんだけど、あたいも『蓬莱継承会』をやめるよ。少しは様子を見ようとは思ってるけど」
 もうやることはやったと、美仏は告げる。自分が引き留めるような話でもないかと考え、厳島は彼女――ではなく性別のない存在を止めなかった。ただこの先、「蓬莱継承会」がどうなるのかという不安がより深まるばかりだった。
「……楓ちゃんはさ、蒐集家をやってて楽しい? 無理していない?」
 ふと目を逸らしていた隙に言われた言葉に、仙人は心も読めるのかと疑う。その真偽は横に置いて、ただしっかりしていたいだけだと厳島は明かした。たとえ家族に見られていなくても、大事な部分は崩したくない。
「これでも私、蒐集家になって少しは自分を出せるようになったんですよ。今まで誰にも逆らわない『良い子』だったのが変わって」
「ならそれを続けなくちゃね。応援してるよ」
 ひらひらと手を振り、美仏は下ろした脚を床へ付けずに扉へ向かっていった。板の中に吸い込まれていったかと思えば消えていく光景に、あの人が人間ではないと思い知らされる。
 この先も自分を出し続けるなら、まず言いたい相手は誰だろう。真っ先に浮かんだのが、昨夜遭遇した富岡椛だった。こちらを妨害した敵でありながら、己を盾にして香口を助けようとした。気が合うとして笑みを向けられた時、ひどく冷えてもいないのに震えを覚えた。彼女にもこの思いをぶつけてやりたい。だが次に会えるのはいつになるのか。「七分咲き」だと変に絡まれそうだ。
 重く落ちてきた瞼に、自分の睡眠が足りてないと自覚させられる。ひとまずはシャワーを浴びようと思い立ち、その前にスマートフォンを確認してチャットアプリの通知に気付く。開いた先の文面には「蓬莱継承会」の構成員からの連絡があった。まず目に飛び込んできた文に、厳島の眠気は飛びそうになる。予定されていた画廊での展覧会が、中止になったと。

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