連載(36):人類の夜明|人類法の制定「良心を法の要とする」
良心を法の要とする
権力下の不自由さや法規制による締めつけは、自由の妨げがあると同時に責任回避も伴うもので、その代表的手本がソビエト型共産主義社会でしょう。
その世界においては、言論や行動の自由の妨げがあったが同時に責任も回避でき、無責任極まる労働意欲の減退が何もかも落ちぶれさせたのです。
人を規則や力で縛るのは、一見統制が取れるように見えますが、実際は自主性を奪い無責任や怠慢を助長させるものです。
奉仕世界は法規制による締めつけがない代わりに、自由の代償として大きな責任がのしかかってきます。
この方が一人ひとりに責任感を植えつけ、連帯意識を高めるには有効な手段でしょう。
この責任は己の良心に対する責任ですから、法律や規則など及びもつかない足枷となるでしょう。
しかもこの責任は、人それぞれ良心の痛みによって違ってくるだけに、特に意味深いものとなるでしょう。」
たしかに、自由には責任が伴うものだ。会社でも、自由きままな会社ほど社員一人ひとりの責任は重く、上に何人もの責任者がいて監視されている会社では、失敗してもその責任は二分三分され案外と軽くなるものだ。
しかし自分の良心が監視人となると、鉄の鎖で縛られた以上の不自由が強いられるのではないだろうか?。
またこの良心の痛みは、人それぞれによって違ってくるだけに、たしかに意味深いものとなるだろう。
「とはいえ、全く法規則がないわけではありません。ただ奉仕世界の法規則は、先程もいったように、あくまでも衝突を避ける交通ルール的なもの、あるいは衝突を避ける仕法書的なものとして身近に用意される法です。
これを生活法と呼び、地方法の中に組み込まれています。
国民はこの生活法を念頭に行動するわけですが、常識を弁えた人なら何の苦もなく守れるものばかりです。
今日のように、経済的利害が人や国に影響を及ぼすのとは違い、この世界では人と人との信頼関係が影響を及ぼしていくのですから、約束事は何よりも守られなくてはならないのです。
もし約束事が守れず、人と人との間に国と国との間にギクシャクしたものが生まれれば、すぐに世界は混乱してしまうでしょう。
奉仕世界の弱点はそこにあるので、何よりも心の教育が大切になってくるのです。
(つづく)