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しょうもない

午前一時。

日頃、それなりに刺激的で、クライマックスを迎えたり、ストレスを抱えたりする一般人の僕は、たまにふとした瞬間、宇宙の外側に視線を飛ばされる。そこではただただ小にも満たないような存在を認知して、これが僕ということの何よりの自覚と、同じくらいの無意味さを感じて今日も言い訳を始める__


どうでもいい。こんなしょうもない物体が意識というものを定義してそれに則っていろいろ行動してようが、結局しょうもない。無意味だ。でもそれでいい。

人間ってのは、最近、利益というものを追及しているらしい。

そして、そこには効率というものがあり、無意味・無駄なことはダメなものとして排除される傾向にあるらしい。

でも結局しょうもないちっぽけな運命にある僕ら人間が、そのとってつけたような効率や利益を良しとして、少もない命を費やすのは、何か違和感を感じる。

等身大だと、目の前のことでいっぱいだから考える暇もないんだろうけどさ。

僕たちは、しょうもないからさ、しょうもなさを排除して、効率と利益っていうおもちゃを与えられて、必死に意味付けして頑張ってもさ、死ぬ直前になって急に目の前に現れた無意味に対して、必ず恐怖と後悔が起こる気がするんだ。

だからさ。

無意味なのを認めよう。しょうもないことを愛そう。

無駄に生きよう。無意味に生きよう。

買い与えられたおもちゃを嬉々として望んだ半面、絶対にそれで遊ばざるを得ないような重圧がのしかかっているのを君は肩に感じているだろう?

それで利益と効率?笑わせないでくれよ。

最大の効率でいえば、さっさと何も問題がない世界に行くことが一番だろう。

生きてるだけで非効率的だと気づいたろう。

でも、なぜかその生は手放したくないだろう?休みが待ち遠しいだろう?

自然と、どうしようもなく、無駄と無意味を愛していることに気づいているだろう?

勉強ができようが、仕事ができようが、それを無駄と無意味と思って楽しまなければ、本当に無意味だ。効率とか利益とかそんな後付けのもんを本質とか言ってるやつらは頭がどうかしてる。

しょうもないことを誇れよ。しょうもない物体に生まれたんだからさ。

せめて精いっぱい無意味で在ろう。


__なんだか、すっと軽くなった気がする。そうだ。僕に生きる理由なんてない。運命なんてものもない。ただただ、自由だ。それが僕を生かそうが殺そうが、無意味を楽しむ僕にとってはただの愉悦だ。楽勝さ。しょうもない人生よ。ありがとう。

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