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「チー牛無双」第0部、愛夢ラノベP|【#創作大賞2024 、#漫画原作部門】

「チー牛無双」愛夢ラノベP


【あらすじ】(294文字)

 本作は、リアバーチャルに侵食される世界で、日夜、NPCと戦うサイバーポリスの物語。
 鯖田ソロは父親をヴァージョン5に殺され、そのショックから引きこもっていた。そんなある日、山口県の角島からNPCが侵攻して、ヴァージョン5に母親も殺されてしまう。また、自身と姉のマルチもマルウェアをインストールされるが、2人は適合する。そこで、ソロは牛に変身してマルチを救おうと試みるも、ヴァージョン5はマルチを連れて逃げる。
 それから1年後、ソロはサイバーポリスの入隊試験を受ける。だが、その会場でマチョ教官がNPCに殺される。そのNPCとは、ヴァージョン6と名乗るマルチであり、ソロは立ち向かう。



【補足説明】(654文字)

 チー牛だって世界を救える!

 ――西暦2050年。
 バルト三国で行われた戦術シミュレーションの際、なぜか映像が現実に投射され、謎の生命体が人間を襲った。その生命体を人々はNPCと名付けた。NPCは基地局と呼ばれる塔から特殊な空間を生み出し、その中でしか生きられない。そのエリアは、リアバーチャル空間と命名された。
 リアバーチャル空間の侵食やNPCの侵攻を防ぐため、各国は防衛戦を始める。その動きに同調して、日本も警視庁サイバー課と自衛隊を招集して、サイバーポリスという組織を結成した。そのサイバーポリスは、日夜、NPCとの戦闘に明け暮れている。
 鯖田ソロの父親もまたサイバーポリスの一員であったが、数年前の角島決戦でヴァージョン5なるNPCに殺されていた。そのショックからソロは引きこもりになってしまう。
 そんなある日、ヴァージョン5の襲撃で母親を失い、姉のマルチを拐われた。その時、第2歩兵部隊の隊長である音海律歌に救われ、1年後に彼はサイバーポリスの入隊を決める。その変化を隠しながら。
 本作では入隊試験までしか明かされていないが、物語は角島奪還作戦へと進んでいく。そこで、ソロは他の隊長や同期と出会いながら、マルチの奪還に成功する。しかし、データ感染を治す術が分からず、ソロはマスターデータという黒幕を探すことになる。
 角島奪還作戦の後は、リアバーチャル空間のグラウンド・ゼロ、すなわち始まりの場所まで侵攻していくストーリーとなっている。その最後は、ソロがマスターデータを壊し、マルチを救済する場面が描かれるであろう。



【本文】
第0部 プロローグ

 少し曇った昼なのに、窓の外に広がる世界は、どこか少し黄色い。
 そう、それはまるで街が黄砂に飲まれたように。
 この阿川駅だって、その豊北歴史民俗資料館だって、あの土井ヶ浜だって、街から望める響灘だって、父が眠る郊外墓地すらも、自分たちの色を忘れて仄かに黄色がかっている。
 いや、もはや現状こそが世界の色になりつつあった。
 僕が生まれる少し前、世界はリアバーチャル空間に飲まれた。
 リアバーチャル空間――それはリアルとバーチャルが融合した複合現実。
 その不可思議な風景を、今まさに液晶テレビが四角く切り取った。やや黄色い海を背景にして、20代の新米女性アナウンサーが中継をしている。春らしい緑のレディーススーツを着ている。

『どうも、星見ミーナでぇぇぇぇす。本日は、サイバーポリスの隊長さんに来てもらいました。えーと、お名前は……おとうみ』

『音の海と書いて、オトミです』

『えへへへ、フリガナを忘れちゃいました。さて、音海さんの登場です』

『どうも、音海律歌(りつか)よ。みなさん、よろしくね』

 星見ミーナに紹介されて、音海は笑顔を見せながら右手を左右に振った。僕の憧れの人だから、画面に食い入ってしまう。
 音海律歌――18歳の日本人、172センチのDカップ、右利き。
 濃藍の長髪は、後方で波のようなフィッシュボーンになり、前方では渦みたいに縦巻きロールになっている。オレンジの両目は、サードオニキスみたいに煌めく。
 フスタネーラのような白いミリタリーワンピースに、灰青色のミディ・ジャケットを重ね着する。シャコー帽は黒く、右肩の飾緒とサッシュは淡桃色であり、タクティカル・ブーツは茶色だ。はためくマントには、ミミナグサの紋章が描かれている。
 その右手には、ソプラノサックスのような銀色の細長い楽器を携える。
 ちなみに、僕は音海律歌の大ファンさ。
 星見ミーナは可愛らしいが、あまりに音海が美しすぎて、その美貌がくすんでしまう。それにミーナは気がついたのか、カメラにアピールしながら取材を続けた。

『音海さんは第2歩兵部隊のトップだそうですが、普段は何をされているのですか?』

『日々、サイバーポリスはNPCと戦っています』

 NPCとはノンプレイヤーキャラだが、現代ではリアバーチャル空間からの侵略者を意味している。
 地球がリアバーチャル空間に飲まれてから、人型の侵略者が攻撃をしてくるようになった。その侵略者はリアバーチャル空間でしか生存できないため、徐々に現実を侵食している。そんな侵略者は感情を持たぬ事から、ゲームのキャラクターに準え、NPCと呼ばれている。
 そんなNPCに僕の父さんは殺され、今日で1周忌を迎えた。
 僕だってNPCと戦えるなら、父さんの仇を討ちたい。ヴァージョン5なるNPCを倒したい。でも、サイバーポリスの試験に落ちて、今では引きこもり状態だ。
 だから、なおさら画面の中にいる音海に憧憬を抱いた。

『音海さんはNPCとの戦闘が怖くないですか?』

『正直、怖いわ。毎日、仲間も殺されている。それでも街を、人を、明日を守るために戦っているの』

『その右手の武器は何ですか?』

『これは音響兵器よ。私の槍であり、相棒でもあるわ』

『本当にカッコいいです。街のために命を賭けるなんて私にはマネできません。皆さんも、ご覧ください。バルト三国の戦術シミュレーション事故から20年、リアバーチャル空間は確実に日本列島を飲み込んでいます』

 緑のスーツ姿の星見ミーナが指差す先で、黄色いドーム上の空間が広がっていく。
 ――2050年4月の正午、気温18度。
 ――北緯34度・東経130度の下関市豊北町。
 海岸沿いの街から西を見れば、波打つ海の向こう側に角島が見える。そこに憎きNPCの本拠地がある。
 角島は完全にリアバーチャル空間に呑まれ、サイバーポリスは角島大橋で徹底抗戦をしていた。本土防衛の最前線であるため、おそらく音海も加勢に来たのだろう。NPCは無限にリスポーンするが、サイバーポリスは死んでしまう。ゆえに、事態は良くないはずさ。
 なんて偉そうに情勢を分析していると、母親が部屋に侵入してきた。いつも勝手に入るなって言っているのに……もはや僕にとっちゃNPCみたいなものさ。

「ソロ、テレビばかり見ていないで、ご飯くらい食べなさい」

「ノックも無しに扉を開けるな」

「1階から呼んだけど、返事をしないからでしょ」

「母さん、静かにしてよ。今、世界情勢を学んでいるんだから」

「そんな暇があるなら、父さんに黙祷を捧げなさい」

 母さんは僕に目くじらを立てた。まぁ、父さんの1周忌だから仕方がない。
 鯖田真由美――48歳の日本人、168センチのFカップ。長い黒髪を括りながら、黒真珠のような瞳で僕を見据える。今日もエプロン姿で、両手の肌荒れが働き者である事を証明していた。
 デリカシーがない母親に嫌気が差したが、実は、これが母さんを見る最後の機会だと知らない。そのため、少しキツく当たってしまう。

「黙祷は後でしておくから、はやく部屋から出ていけ」

「そう言わずに昼御飯を食べよう、父さんの1周忌なんだからね」

「いつでも食事くらいできるだろ」

「ソロは部屋から出ないでしょ。それに家族と会える時間は意外と少ないのよ」

「たしかに、父さんも48で呆気なく死んだしな」

「そんな言い方をしないの! ヴァージョン5が強かったのよ」

「それは知っているさ。特に強いNPCには、特別な番号が付与されているからな」

「他のモブとは違って見た目も異なるようね。本当にNPCは憎いわね」

 いわゆる角島決戦で父さんは戦死した。
 1年前、響灘に基地局が撃ち込まれ、そこから大量のNPCが襲来した。もちろん、サイバーポリスは出動したが、奇襲であったために、主力はいなかった。それでも地元民が力を合わせて角島のみで被害を留めた。
 ただ、その角島決戦で父さんはヴァージョン5なるNPCに殺られた。しかも、特殊な方法で殺されたらしく、遺体も遺骨も帰らなかった。仲間の話によれば、果敢にも強敵に飛びかかり、時間を稼いだらしい。立派な最期だ。

「母さん、僕が父さんの仇を討つから」と拳を握る。

「ソロみたいな引きこもりのチー牛は、NPCを殺せないよ」

「バカにすんな。単なるデータなら、僕だって壊せるさ」

「NPCを舐めちゃいけないよ。それにソロはサイバーポリスの試験に落ちただろ」

「分かっているさ、僕がサイバーポリスに向いていない事は。魔法適正率が低くて武器が使えない。それでも、僕だって父さんの仇を取りたいんだ」と涙ぐむ。

「そこまで言うなら、マルチのように強くなりな」

「お姉ちゃんは僕と違って天性の才があるから」

「そうやって言い訳ばかりせずに能力を磨きな。ソロにも父親の血が流れているんだから、きっと立派なサイバーポリスになれるよ」

「うるさいな! いい加減、部屋から出ていけ」

 僕は枕を投げて母親を追い出した。
 そう、僕には二卵性双生児の姉がいる。なんの運命か、ソロとマルチと名付けられた双子は、その名の通り、片や内向的に、片や社交的に成長した。
 もちろん、内向的なチー牛は僕さ。
 だから、僕は姉のマルチと比較されることを嫌った。マルチは何でもできた。勉強も得意で、スポーツも万能、友達も多い。しかも、僕と違ってサイバーポリスの試験にも合格して、今や訓練生をしている。
 完璧なマルチと比較されて、僕は怒りから母親を追い出した。
 1人になると、テレビの音が大きく聞こえた。
 星見ミーナの騒ぐ声が孤独感を高めていると、いきなり音海が避難を呼びかけた。

『視聴者の皆さん、今すぐシェルターに逃げて』

『おや、角島から基地局が発射されました。おっと、サイバーポリスが出陣しています。まぁ、そんな事より、私のメイクを見て下さい。今日は地雷風メイクを……』

 星見ミーナは緊急事態の最中に自分語りを始めたが、おそらく視聴者は第3戦術飛行隊の勇姿を目に焼き付けていただろう。
 僕も、その1人さ。
 少し雲がある黄色い空の下、数機の人型NPCが下関市に爆撃を始めた。しかし、市街地に到着する前に、数名のサイバーポリスが炎や雷などの兵器でNPCを迎撃した。敵は燃えながら、次々と油谷湾に堕ちていく。
 そう、なぜかサイバーポリスはリアバーチャル空間で魔法が使える。
 その魔法適正率こそサイバーポリスの試験でも求められるのだが、特殊な兵器を扱うことで、彼ら彼女らはリアバーチャル空間のみにおいて魔法を放てる。
 その不可思議な魔術を武器に、サイバーポリスは時に下関市を守り、また時にNPCの領土を攻めている。
 そんな説明をしていると、1基の基地局が下関市に降りてきた。基地局とは、リアバーチャル空間を発生させる装置であり、全長100メートルほどの通天閣みたいなロケットになっている。
 そんな基地局をカメラマンが見事な技術で捉える。
 液晶テレビに映る風景は、最初は見た事もない空や行った事もない海を映した。しかし、1分後には近所を写し、やがてカメラマンが基地局の姿を見失った刹那、時を同じくして家の窓が吹き飛んだ。

「きゃぁぁぁぁぁあ!」

「母さん、大丈夫か?」

 僕は必死で2階から1階に呼びかける。でも、ウィーーンと街中に響き渡る警報が僕の声をかき消す。
 怖い。
 部屋から出たくない。
 兎のように恐怖で身を震わせながらも、一方では、母さんを守りたいという気持ちがあった。だから、おそるおそる僕は扉を開けた。一瞬、外は異世界に思えた。だって、そこに階段は無く、何なら家から空が見えたから。
 そう、家の半分が吹き飛んでいた。
 キッチンやマルチの自室があるはずの場所には、電信柱のような巨大な塔が立っていた。まさに僕の自宅に基地局が飛来したのだ。
 そんな事実に気がついた頃、1階では母さんがNPCに襲われていた。

「データ照合……おやおや、あなたは鯖田透の配偶者ですか?」

「もしやヴァージョン5?」

「御名答、これで妻も天国に送って差し上げられますね」

 ヴァージョン5なるNPCは、母親の首を右手で掴んだまま喋っていた。まさに僕の目の前には、父親の仇がいたのだ。
 ヴァージョン5――ナンバリングされたNPC、10代の女性、184センチのEカップ、僕の父親を殺した犯人。
 黒色のショートヘアで、真っ黒な眼帯をつける。床まで伸びた灰色のワンピースを引きずる。人のように見えるが、その両足は鳥に特有の三前趾足になっていた。また、背中には翼開長1メートルほどの翼が生えている。
 話には聞き及んでいたが、実際にヴァージョン5を目の当たりにするのは初めてだった。もちろん、殺したいと思った。だが、僕はマルチと違って勇気も力もなくて、一歩たりとも踏み出せない。
 自分が二宮金次郎の石像になった気分さ。

「私は、どうなっても良いわ。だから、子供には……ソロには手を出さないで」

「人間の親は偉大ですね、最期まで子供の身を案じるなんて……ただ、その願いが叶うかどうかは結果によります」

「私に何をするつもりなの?」

「鯖田透にしたように、あなたにもマルウェアをインストールします」

 ヴァージョン5は話しながら臀部の仙骨あたりからLANケーブルのような尻尾を生やした。そのケーブルは蛇みたいにクネクネと動くと、やがて母さんの首に突き刺さる。
 すると、母さんは悲鳴を上げた。

「痛いぃぃぃぃい! やめてぇぇぇぇえ!」

「この程度で叫んでいては体が持ちませんよ」

「この後、どうなるの?」

「簡単です、マルウェアをインストールします。そのコードが体内で適合すれば、晴れて私たちの仲間になれます」

「もし失敗したら?」

「その時は粉々に砕けるでしょうね、鯖田透みたいに」

「待って! ソロと話をさせて」

「ふふふっ、時間がありません。それに子供を守りたいのでしょう。ならば、耐えて下さい。マルウェアをインストール!」

 ヴァージョン5が開始を宣言すると、ケーブルのような尻尾はオレンジに光った。その灯りは、やがて母さんに伝播すると、彼女は蛍光灯のように光りながら苦悶の表情を浮かべた。そして、その体はガラス細工のように粉々に砕け散ると、7色の輝きを放ちながら跡形もなく消え去った。
 もう母さんとは喧嘩もできず、触れ合う事すら叶わなくなった。日常の中の幸せとは呆気なく消え、その時に大切だと気づかされる。そんな教訓を母の死から教わった。

「はぁーー、また失敗ですか」とヴァージョン5は呆れた。

「そんなバカな……母さんに何をした?」

「だから、マルウェアをインストールしましたが、適合せずに砕けました」

「それは死んだって意味か?」

「えぇ」

「母さんを返せよ」

「無理です。それより次は君の番ですよ」

 ヴァージョン5は有無を言わせずに、ケーブルのような尻尾を2階に伸ばした。もちろん、情けない僕は逃げた。しかし、尻尾は蛇のように僕に巻き付くと、その先端が僕の首に刺さる。ミツバチに刺されたようなチクリとした痛みが走る。
 そんな痛みを気にする暇もなく、僕は1階へと引きずられた。
 抵抗を試みるも尻尾は緩まらず、僕はヴァージョン5の前で吊るされてしまう。これから僕が酷い事をされるのに、なぜか彼女の方が悲しげな顔を見せた。

「はぁーー、どうせ失敗すると分かっていても、プログラム通りにしか生きられないのは、辛いものですね」

「僕にも同じ事をするつもりか?」

「愚問ですね。私たちは同志を増やすために、人にマルウェアをインストールしなければならないのです」

「マルウェアって、バグを引き起こすソフトウェアだろ。そんな物、体内に入るのかよ」

「私にも組み込まれたのです。適合すれば、君にも読み込まれますよ。では、始めます」

「やめろぉぉぉぉお! 死にたくない!」

 僕は駄々をこねる子どものように暴れた。手足をジタバタさせた。だが、ヴァージョン5は我が子を抑える大人のように強靭な力で抵抗を許さない。彼女は両手で僕を捕まえると、そのまま謎の光を僕の体内に送信した。
 最初は熱湯を飲んだような熱さがあった。
 その熱は、やがて全身へと伝播して、サウナに入った時のように体温を上昇させた。体から汗が吹き出す。体内の全ての水分を排出したのでないか、そう疑うほどに濡れていた。
 喉の渇きに我慢できなくなった頃、体はLEDライトのように明滅した。
 母さんとは異なる反応を見せる中、今度は全身に痛みが駆け巡った。まるで血管に突起物を流し込まれたように、体の節々が悲鳴を上げた。しばらく激痛に耐えると、吐血してしまう。

「グハッ、何が起こっている?」

「おやおや、惜しい所まで行きましたが、もはや体が限界のようですね」

 ヴァージョン5は残念がると、僕を床に捨てた。もちろん、起き上がって殺してやろうと思ったさ。しかし、もう体は動かなかった。自分の体じゃないみたいにな。
 悔しさと情けなさで心までズタズタにされた時、マルチが家に飛び込んだ。

「母さん、ソロ、大丈夫そ?」

「マルチ……逃げろ」

 おそらく時期に僕は死ぬだろう。それでも弟として双子の姉だけは守りたかった。父さんも母さんも守れなかった僕にとって、マルチは最後の家族だから。
 だから、僕はマルチを見ながら声を振り絞ったのだ。これが彼女を見る最後と思いながら。
 鯖田マルチ――15歳の日本人、164センチのCカップ、右利きのクリアボイス。
 母親ゆずりの黒髪を赤いスカーフでハーフアップにしている。また、僕と同じく青い瞳はサファイアのように美しい。
 サイバーポリスの訓練を終えたのか、常装第3種夏服を着ていた。その帽子には音海の部隊と同じ帽章が刻まれ、白いシャツも緑のスカートも似合っていた。
 あぁ、これがマルチを見る最後の機会かって後悔をしていると、あろうことか、彼女は戦闘を始めた。

「弟に何をしたの?」とマルチはスマホを取り出した。

「ふふふっ、よもや私と戦うつもりですか?」

「これでも私はサイバーポリスの候補生じゃん。命を賭してでも市民を守る義務がある。その市民が弟なら、なおさらだわ」

「マルチ……逃げろ」

「ソロは黙っていて。今、集中をしているから」

 マルチはスマホをヴァージョン5に向けた。なんて立派な姉なのだ。僕は1歩も動けなかったのに、彼女は果敢にも戦おうとしていた。まだ基本すら教わっていないのに、NPCに立ち向かう姿は、父さんにすら重なった。

「そのスマホに細工があるのですか?」

「被写体撮影《静止画》」とマルチはシャッターを切った。

 以前、マルチから能力について聞いた事がある。彼女はスマホで撮影した風景を現実にする事が出来るらしい。当初は半信半疑だったが、今では信じる事ができる。
 なぜなら、彼女が撮影した場所は塵1つですら動かなかったからさ。
 だが、ヴァージョン5は猛者だった。彼女は撮影される瞬間、大きな羽を羽ばたかせて空へと飛翔していた。そのため、静止画の影響から逃れたようで、そのままマルチに襲いかかる。
 もうダメか、僕は諦めていた。
 しかし、マルチは持ち前の運動神経を活かして、ヴァージョン5の三前趾足を軽々と交わした。さらに、戦場カメラマンのように、空を飛び交うヴァージョン5にレンズを向ける。

「次はフレームに収めてやるわ」

「ふふふっ、残念でしたね」

 僕はマルチの勝利を予想していた。しかし、彼女がシャッターを押すより速く、ヴァージョン5は彼女の首にコードを刺していたのだ。
 そう、三前趾足による攻撃は囮であり、はなからヴァージョン5はインストールを狙っていたわけさ。

「痛いじゃん! 何よ、この線は?」

「マルチ、尻尾を外せ」と腹の底から声を出す。

「ソロの指示に従いたいけど、これ、外せないじゃん」

「マルウェアのインストール!」

 マルチが首に刺さった尻尾を引っ張っている隙に、ヴァージョン5は再びインストールを始めた。母さんや僕の時と同じく、尻尾はオレンジに光ると、やがてマルチも発光した。
 このままじゃマルチは死ぬ。
 そんな確信を覆すように、マルチは白く輝いた。すると、光を放つ彼女よりも、ヴァージョン5の顔の方が明るくなったのだ。

「なんと言う事でしょうか、まさか適合するとは思いませんでした」

「体が変じゃん。一体、何が起こっているの?」

「マルチさんでしたか? あなたはマルウェアに適合したのです。言うなれば、これは進化ですよ」

 驚いた事に、ヴァージョン5はマルチを抱きしめた。しかも、その大きな翼で彼女を包み込んだ。蓑虫みたいな格好から数分後、その羽が開くと、マルチはドラゴンと人が混ざったような異形に変わっていた。
 マルチの背中から緑の翼が生え、犬歯が伸び、緑の尻尾が犬のように動く。

「私は人じゃなくなったの? まるでドラゴンみたいじゃん」

「ふふふっ、安心して下さい。マルチさんはマルウェアを取り込んで、ドラゴンの力を得たのでしょう。ただし、リアバーチャル空間から外に出れば、死んでしまうので、注意して下さい」

「元に戻してよ」

「私には無理です」

「ソロと離れたくないじゃん」

「あの床で倒れている青年ですか? あれは時期に死にます。あんな死に損ないは放っておいて、マスターデータ様に会いに行きましょう」

 ヴァージョン5はマルチの右手を取ると、羽を広げて飛び立とうとした。しかし、マルチは嫌がって飛ばないように引っ張る。
 このままではマルチが拐われる。
 マルチと永遠に会えなくなる。
 そんな危機感が、家族との離別が僕を強くしたのだろうか。急に心臓が痛くなる。激しい鼓動のせいで、血液が循環して体の各所が成長した気がする。
 黒い髪は、茶色の毛並みになる。
 青い瞳は、血に染まったように赤く変わる。
 細い足は、幹のように茶色く太くなる。
 薄い体は、筋骨隆々に変わる。
 ふと割れたガラスを見ると、自分の姿が映っていた。いや、自分ではない。たしかに、顔は自分なのだが、その体はミノタウロスのように牛と融合していたのだ。両腕は牛の前足になり、下半身は牛そのものさ。
 言うなれば、チー牛が本物の牛になったように。

「僕は牛になったのか」

「あり得ません、死ぬはずだった彼もマルウェアに適合したのでしょうか」

 ヴァージョン5が意表を突かれた間に、僕は両足に力を込めた。牛の脚力は凄く、その蹄と爪先立ちの姿勢から瞬発力を生み出せる。
 突風が起きた。
 牛の筋力を使うと、ズバーンと鉄砲玉のごとく前方に飛び出して、僕はマルチを救えた。二度と触れられないと思えた彼女を、お姫様抱っこしている。

「ソロ、その姿はどうしたの?」

「それはマルチも同じだろ。おそらくマルウェアのせいさ」

「グヌヌヌ、その女を返して下さい。いえ、あなたもマスターデータ様の所に連れて行きます」

「誰がヴァージョン5の命令に従うかよ」

「ならば、強制的に連れ帰るまでです。シーケンス番号……グハッ!」

 ヴァージョン5が両翼を広げて、竜巻を起こそうとした瞬間、彼女の鳩尾を白い槍が貫いた。
 それと同時に女性の声もした。その可愛い声は、ついさっき聞いた覚えがある。どこで聞いたか思い出せないが。

「サックスのための交響曲・第1番《イントロ》」

「この一撃……もしやサイバーポリスの精鋭ですか?」

 ヴァージョン5が視線を背後に向ける。その動きに連動して、僕も彼女の背後を見た。一瞬、自分の目を疑う。
 音海律歌だ!
 先程まで響灘で生放送に出演していたのに、音海は僕の自宅に到着していた。なんて速さ、そして迅速な対応だ!
 驚く暇もなく、音海はソプラノサックスを引き抜いた。すると、ヴァージョン5の上半身に風穴が空いた。そこからドバドバと青色の液体が飛び散る。それはタコやエビのようなヘモシアニンを有する血のようだった。

「2人を解放して」

「嫌ですよ、貴重な適合者なのですから」

「適合者って何よ?」と音海は僕らを見た。

「答える義理はありません。シーケンス番号7《データストーム》」

 ヴァージョン5は両翼を目にも止まらぬ速さで動かした。すると、旋風が吹き荒れて、砂嵐で視界が遮られた。何も見えないけど、少し違和感があった。急に両腕が軽くなった。
 やがて風が収まると、ヴァージョン5と共にマルチの姿もなかった。
 半壊した自宅には、僕と憧れの音海しかいない。

「しまった、マルチを拐われた」

「あの傷で俊敏な動きね」

「音海さん、今すぐ追って下さい」

「そう言われても、空を飛ばれたのでは追跡できないわ」

「ならば、僕だけでも追いかけて……グッ!」

 右足を踏み出そうとすると、心臓が悲鳴を上げた。悪魔に肺を握り潰されたように左胸がジーンとした。それと同時に肺も縮まる。どれだけ口を開けても、もう酸素を取り込めない。
 床に倒れると、両腕が元に戻っていた。
 さらに、下半身から毛が抜け落ち、両足が変な方向に曲がっているのが確認できた。どうやら開放骨折や複雑骨折になっているようだ。

「無理に動かないで、酷い怪我よ」

「だけど、マルチは今しか救えない」

「そうとは限らないわ。だって、ヴァージョン5はマルチさんを貴重な存在と認識していた。だから、簡単には殺せないはずよ」

「じゃあ、どうしろって言うのさ」

「本当にマルチさんを助けたいなら、私と一緒に来なさい」

「どうするつもりだ?」

「ソロ君って言ったっけ。君の能力を隠して、サイバーポリスに入隊させるわ」

「それでマルチを助けられるのか」

「当然よ、来年の試験で入隊させて、マルチさんを捜索するわ。おそらく角島にいるのだから」

 僕は音海に説得されて、この日の追跡を諦めた。それから1年、彼女の下で訓練を受けた。サイバーポリスになるために。
 やがて春夏秋冬を1巡する頃、下関には、マルチが拐われた時と同じく桜が咲き乱れたのである。



【第2話】



【第3話】







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