「どこ出身?」不要論。
奇奇怪怪明解事典っぽいタイトルになったが、最近特に「どこ出身?」不要論について考えている。(相変わらず阿呆なことを考えているものだ)
初対面の人との会話や公の場での自己紹介で必ず用いられる質問の一つ、それが「どこ出身?」だ。
結論から言うと、僕はこの質問を相手のコンプレックスを刺激しかねない極めて危ういものだと考えている。
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人にはどうしても変えることができないことがいくつかあって、出身地はその一つ。(出身地の定義については難しいけれど)
そして、それは親ガチャならぬ出身地ガチャとして確実に格差として現れてくる。
一般的には地方であればあるほど、その土地出身者のコンプレックスは強い傾向にあると言っていいだろう。特に上京して打ちひしがれるケースが多いのかもしれない。
出身地コンプレックスを抱えた人は自身の出身地を可能な限り隠そうとする。僕も例外なく当てはまる。
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しかしながら、コミュニケーションをしたり自己紹介をしたりする場において「どこ出身?」は現在避けて通ることができない質問となっている。
流石に僕もそんな場で意地を張って口を閉ざす訳にもいかないから、控えめに出身地を答えるのだが、それはまさに耐え難い屈辱的瞬間である。
僕のような人は、出身地について触れられると相当なストレスがかかるのです。(だから車のナンバープレートもマジで苦痛)
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そして僕は思いました。
「人は普通に出身地について訊いてくるが、学歴や親の職業についてはあまり触れてこないよな。」と。
学歴や親の職業に関する質問は、就活や面接の類を除くと、親しい間柄でなければ一方的に浴びせられる機会が少ないはず。
その理由は、それらが相手のコンプレックスを刺激するかもしれないデリケートな話題だと認識されているから。
出身地もそれと同等に扱って欲しい。
今や男女の区別でさえデリケートなトピックになっているのです。ならば、生まれ持ってしまった出身地も同等に扱われるべきではないか。
自分でも行き過ぎた思考だという自覚はありますが、なんとなくそのような潮流が出てきてもいいのになとは思う。
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中には出身地コンプレックスを克服した方もいるでしょうし、「故郷を大切にしろ!」的な論調も確かにある。
実際、出身地というのはその人のバックグラウンドを知るための重要な要素の一つで会話のネタにもなる。
が、コンプレックスを抱えるほどの出身地を明らかにしたところで全員がポカンとするか小馬鹿にされるかの二択である。
同郷の人を見つけて内輪で盛り上がりたいということなら話は別ですが、一つでも多くのマウントを取り合う現代社会の人間関係において、僕らが出身地を明らかにすることにメリットはほぼ皆無です。
意味を成さない形骸化された質問はしないでいただきたい。
だから僕は、親しい人でない限り出身地についての質問は控えるようにしている。
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ところで僕は現在、とあるバーでアルバイトをしている。
仕事の一環としてお客様との会話は必須。
無論、お客様から僕の出身地を尋ねられたらちゃんと答えるようにしているが、話の流れからどうしてもお客様の出身地をこちらから尋ねたくなる場面がある。
しかし、「もしかするとこのお客様も少なからず出身地コンプレックスを持っておられるかもしれない。」という意識が働き、僕は毎回こう尋ねる。
「失礼ですが、ご出身はどちらですか?」
この『失礼ですが』という枕詞、色んな場面でこれを使う人が増えたら社会の殺伐とした雰囲気がほんの少し和らぐのかもしれない。
久しぶりに自分の思考をガッツリ深掘りして書いてみました。
若輩者の戯言として、酒の肴にでもしていただければと思います。
読んでいただきありがとうございました🍺