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#2『ウィル・レ・プリカ』




第一惑星 パラサイト・エデン

(二)ハルアキ




 密集した都市型ビルの隙間を縫う風は、生活臭にまみれている。開いた隙間から一月の風がびゅうと吹きこんだとき、この街の音とにおいがいっしょくたになって頬に触れた気がした。

 ハルアキは、冷たいドアノブを肘でどうにか押しこみながら、軋むドアをくぐった。
 重い洗濯かごを抱えたまま、居酒屋〈サカイ〉の裏路地へ出、肩を使って開いたドアを器用に閉める。湿ったおしぼりや台所で使う手拭きがいっぱいになったかごは、見た目よりも重い。持ち直すと、水気の残る手が冬の外気に晒されてキンと冷えた。身を震わせていても、仕事は終わらない。割り切って、剥き出しの外階段を上っていく。長年風雨にさらされた鉄骨は錆び朽ちていて、灰色の外壁にも錆びの色を下げていた。人が一人通るのがやっとな急こう配の階段は、踊り場の扉が開こうものなら一度足を止めるか、場合によってはお互いに身を寄せながら行き来しなければいけない。だが今日は店長以外の住人が出払っているおかげか、三階も、そのまた四階の扉も開くことがなく屋上まで登ることができた。――屋上、といっても、周りはそれ以上に高い雑居ビルで囲まれていて、想像するほど見渡しはよくないが。
 元はピカピカだっただろう物干しは、鈍い色をしたまま、吹きっさらしのピンチハンガーをぶら下げている。ひゅうと風が吹き抜けてカラカラと音を立てた。
 配管に足を引っかけないように手間をかけて進み、物干し台のすぐそばに洗濯かごを置く。ぎゅうぎゅうに絞られたおしぼりやタオルを、慣れたようにパンとひらいて次々にぶら下げていく。と、洗濯バサミが弾けて、指先を擦った。
ってぇ……」
 じん、と痛みがにじむが、怪我というほどではなかった。
「だから、そろそろ新しいの買ったほうがいいって」
 言ってんのに。とまで思ったが、最後まで口にはしなかった。
「寒い日って、どうしてこう。無駄に痛いもんかな」
 ぼやきながらも、仕事を淡々と進めていく。全て干し終わった頃には、手の冷たさもわからないぐらいに慣れていた。
 からっぽの洗濯かごを片手に下げて、階段を下る。店長の奥さんは数年前から、年々膝の痛みがひどくなってきていて、階段の上り下りに苦労するのだと言いはじめた。そのころからハルアキはこの居酒屋〈サカイ〉の手伝いをするようになった。奥さんは、学生なんだからそんなことをしなくてもいい、と気遣ってくれるのだが、なにもしないほうがよほど居心地が悪かった。それを知ってか知らずか、店長――ハルアキの伯父であり、今は義理の父である――が、したいならさせてやれと言ってくれたおかげで、二人にとっては本来異物であるはずの自分が、ここに居ることをゆるされたような気がした。

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