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#9『ウィル・レ・プリカ』




第一惑星 パラサイト・エデン

(九)旅立ちの日




 パラサイト・エデンの十三番街を出立するまでのおよそ二ヶ月は、飛ぶように過ぎていった。
 それこそ、五番街のユニバーシティへ休学届を出しに行ったり、サクヤの秘密基地に案内されて、今回の旅に使うオンボロ自動探査船と対面したり。半年ほど部屋を開けることになるから、片付けをしたり、いろいろといそがしかった。それでも決めたら早いもので、あっというまにその日はやってきた。
 ハルアキはキャリーケースを片手に、居酒屋〈サカイ〉の前で三人が来るのを待っていた。集合は八時。まだ十分ほど早い。
「やぁ、ハルアキ。早いね」
 顔をあげると、裏手からサクヤが出てきたところだった。彼は片手を軽くあげた。荷物は肩に下げた袋ひとつとずいぶん身軽だ。
「クーとランは?」
「どうせ遅れてくる」
「そっか。……なんか、そわそわしちゃうな」
 サクヤは遠足前の子どもみたいに、頬をほの赤く上気させた。
「らしくねぇな。お前にとっては、慣れたことじゃないのかよ」
「そりゃ、任務はね。浮ついてられないし」
 サクヤが苦笑する。
「だから、ドキドキしてるし、わくわくしてるの。ハルアキは?」
 上目遣いに見上げてくるサクヤから目を逸らす。
 彼の瞳は、いつだって吸いこまれてしまいそうなくらい奇麗だから、まともに見てなんていられない。
「そりゃ、緊張はしてる」
「ね、楽しみにしててくれた?」
「……すこしは」
「やったぁ!」
 サクヤはその場で跳びあがった。
「大げさな」
「だって、嬉しいんだもん。、って思ったら。我慢できなくて」
「はしゃいでケガすんなよ」
「ハルアキも嬉しいくせに」
「うっせぇほっとけ」
「照れてる? ね、照れてる?」
 ニマニマと笑うサクヤをてきとうに追いはらう。おおげさにため息をついて、ついこぼしてしまいそうになった笑みをこらえて表情をもどすと、サクヤは口をとがらせて、ハルアキのキャリーケースに腰かけた。かと思うと、パッと表情を輝かせてまた話しだす。
「ねぇ、旅行中はいっぱい写真を撮ろうよ。それで、印刷してさ。一冊のアルバムを作るの」
「いまどきアルバムかよ。個人用の共用情報記録装置クラウドストレージでいいだろ。パスワードとか設定しときゃ、どこでも見られるし」
だよ。僕はカタチに残したいの」
 ぷぅ、と頬をふくらませて、サクヤは怒りはじめる。
「ハルアキはロマンがない。この現実主義者リアリストめ」
「ファンが見たらなんていうか」
「いまはハルアキといっしょだからいーの!」
 いっそうサクヤがぷりぷりし始めたところで、外階段を下る足音と話し声が聞こえてくる。端末の時刻を確認すると、八時五分を過ぎたところだった。
「おっはよー! 二人とも早いじゃん」
「おはようございます」
 クーが快活に手を振り、ランがていねいに会釈する。
「六分遅刻だ」
 ハルアキが端末を示すと、ランがすみませんと謝り、クーは「誤差っしょ」とけらけらと笑った。
 ちょうどそのとき、居酒屋〈サカイ〉の表がガラガラと開く。伯父さんと奥さんだった。
「店長、奥さん」
「おう。今日出るって聞いたけぇ」
「うん、まぁ」
 ハルアキはぎこちなくうなずいた。
 奥さんが言う。
「ハルアキくん、気をつけて行ってらっしゃいね。サクヤくんも」
「もちろんです」
 サクヤは立ちあがって、奥さんと握手を交わした。
「クーチンくんも、ランくんもよ」
「はいはーい」
「ありがとうございます」
 二人はそれぞれにうなずいた。
「気をつけて帰ってけぇ」
「もちろんです。ハルアキは必ず返します」
 サクヤの横顔は凛々しい。その表情を見て、店長と奥さんは少なからず安堵したらしかった。
「それじゃあ、いってきます」
 ハルアキは言葉少なにそれだけを言って、頭を下げた。店の手伝いがしばらくできないこと。二人が学費をはらってくれていることを分かっていながら、休学して約半年の旅に出ること。――罪悪感がないと言ったら、嘘になる。それでも、二人は快く送り出してくれた。楽しんでこいと、言ってくれる。
 別れを告げて、奥さんと店長に見守られながら、古びた雑居ビルを背にばらばらと歩きはじめる。
 いつもと変わらない灰色の十三番街。天気は晴れ。空気は乾燥している。
 いつもとちがうのは、足音が四つあること。
 ガラガラと鳴るキャリーケースを片手にしていること。
 これから、長い旅に出ること。
 ハルアキは一度だけ振り替えった。
 そこには、いつか帰って来る場所がある。

   ***

 ハルアキがこれから半年間生活する自動探査船は、搭乗口のある前方と、メインエンジンを積んだ後方に分かれる。そのうち、生活に使用するのは前方で、探査船の操作や周辺の観測をおこなうフライトデッキ、食事や睡眠などをおこなうミッドデッキ、さらにロワーデッキと呼ばれる装置格納区画と大きく三つに分かれていた。
 搭乗口から乗りこんだ四人は、ミッドデッキへつながる廊下へ。左右にそれぞれある個室に分かれて荷物をいれた。
 一人一部屋。割り当てられた個室には、シングルサイズよりも細身のベッドとデスク、収納などがあり、それほど広くはないものの、プライベートの空間があるのはありがたい。さらにいえば、暇なときはここから端末をつなげば、自宅にいなくてもいくらか自主学習ができる。まだ進路すら決まっていないものの、復習や予習ができる環境があるという事実は、ハルアキにとっての心のよりどころだ。これから始まる未知の冒険にたいして、楽しみな部分もあるが、それ以上に、慣れない生活への不安があるのもまた確かだったからだ。
 持ってきた着替えやいくらかの学習道具。洗面用品などを仕分けて収納・整頓を終わらせてから、ハルアキは廊下へ出た。
 そのうちに、ミッドデッキのミーティングルームへ四人がばらばらと集まった。
「ここが作戦会議室。っていっても、そんな堅苦しいものじゃなくて、ただの共用スペースね」
 サクヤはウインクしてから、それぞれの扉を指した。
「向こうはトレーニングルーム。それからあっちにトイレ。となりにシャワールーム。そっちにはライブラリがあって、映像作品が見れたり、データ化されてる書籍も読めるようになってる。んで、上にあがると、フライトデッキがあるよ。さっそく出航するから、上にあがろうか」
 昇降機に乗ったときに、ランが訪ねた。
「そういえば、ロワーデッキってなんですか?」
「換気用のファンとか、ポンプ……あとはゴミ袋とかもあるかな。機器と配管で埋まってるから、基本的には入らないよ」
 サクヤについていくように、空を展望できるフライトデッキへ足を踏みいれた。フライトデッキは、周辺の展望と映像とが切り替えられるようになっているらしい。サクヤがすこし操作するだけで、展望はどこかの星空へと切り替わった。
「さて」
 サクヤが声色を真剣なものに変える。ハルアキは自然と背筋を伸ばした。

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