「彼と彼とが、眠るまで。」第六話
第一部 記録/安寧の学園(四)
アイの朝は、いつも魔導ラジオの音楽放送から始まる。五時ちょうどに起きると、さっそく顔を洗って身体をほぐし、体力づくりのために寮を外周する。そなえつけのシャワールームで汗を流して自室へ戻り、愛用の魔導拳銃の整備をしながらラジオで最新情報を仕入れ食堂へ。食後の朝刊に目を通し終わると、一限目へ向かうのにちょうどいい時間になる。
ところがこの日、ラジオがうんともすんとも言わなくなった。先週、通信障害が起こったときはすぐに復帰したため、大丈夫だろうとタカをくくっていたが、どうやらラジオ本体にもガタが来ていたらしい。地下街の裏中古屋で買った格安の年代物。むしろ、ここまでガタがこなかったことのほうが、不思議だろう。だからといって、このまま動かなくなってしまっては困る。なぜならこれは同じ価格で売られていた映像記録装置と迷いに迷ったあげく購入を決意したもので、いくら格安といっても、やはり学生が手を出すにはかなりの値打ちだったことも、また事実だからだ。
アイはその日の授業が終わってすぐに、鼻歌をまじえながらラジオ片手に研究科棟へ向かった。知り合いに調子を見てもらおうと考えたからだ。こういうときは、学園街の魔導具屋で見てもらうのがふつうだろうが、アイには、魔導技術機に詳しい知り合いがいた。名はケインといって、アイと同い年。しかし、ほとんど教科棟に出てこない。それもそのはず。日中から深夜、あるいは連日、研究科棟にこもって、日夜魔導技術機をいじっている変わり者だ。ひどい人嫌いで、人付き合いよりも魔導技術機と向き合うことを至福としている。それゆえに、学内で彼の存在を知っている者はあまりいない。
ぷらぷらと廊下を歩いていくと、アイはちょうど、研究室をあとにするスフィネリア魔導教諭と出くわした。
「リアちゃん先生、めずらしいッスね」アイが言うと、教諭は「ええ、ちょっと用事があって」とこまったように笑った。
「なんかこまりごと?」
「いえ、たいしたことじゃないのよ。ほら、ケインさん、出席日数が……」
ああ、とアイはうなずいた。まさかそのために、こんな変人ばかりが集まる研究棟に足を運んだのだろうか。生徒の面倒見がいいとは知っていたが……。
アイは、じ、と教諭を見つめた。
「リアちゃん先生って」
「な、なに」
「けっこう、美人ッスよね」アイがパッと笑うと、彼女は「もう、からかわないの」と呆れたように肩をすくめた。
「聞いたわよ。あなた、また新しい女の子と付き合いはじめたって」
「まぁ、そういうこともあったりなかったり?」
「勉学をおろそかにしてはダメよ」
「オレが成績良いの知ってるクセにぃ」
「将来の話をしてるんです。そもそも、あなたは――、」
そのとき、扉の向こうで、ガン、となにかを投げつけたような音が聴こえた。低い声で「うるさいよ」と響き、しんと静まる。スフィネリア教諭は息をついた。
「ともかく、あまり夜間の無断外出はしないように」
「ありゃバレてます? 寮長にはバレなかったのになぁ。さてはセンセ、夜遊びしてましたね?」
アイがからかっていうと、先生は「そんなんじゃありません」と肩を緊張させながら、「とにかく、そういうやんちゃはやめなさい。学園街も、安全とはかぎらないんですからね。次はちゃんと、生徒指導の先生に報告しますから」と釘をさして、足早に去っていった。アイは、手をひらひらと振って、それを見送った。――ここ最近でこっそり寮を出たのは、平日の夜に学園街を散策しに行ったときぐらいだ。今の会話では、あえてそれっぽい話をしただけで、『学園街』という言葉はださなかったが、リア先生は「学園街」と言った。口ぶりから察するに、先生が直接学園街でアイの姿を見たことは確実のようだった。アイは首をかしげた。基本的に、教員は平日の夜に学園街へ向かうことは少ない。もし、生徒の補導という目的があったとしても、女性一人で行かせることはないだろう。となれば、恋人とのデートか。アイは無粋な予測をあれこれと立てながら、研究室の扉を叩いた。
「入るぞー」扉をあける。案の定、返事はなく、手前には資料や未返却の本が山積みだ。奥の物陰で、なにか。気配が動いた。のぞきこむと、腰丈ほどの机のかげで、ちょうど、ケインが立ちあがったところだった。彼はずれた丸眼鏡を、ふさふさの丸い脚でかけなおした。赤い首輪についた鈴が、ちりんと鳴る。尻尾がゆらり。三角の耳を立てた彼は、うろんげに「なんだ。アイくん」と、その愛くるしい姿には似合わない冷静かつはっきりとした発声で、アイを見あげた。ケインはさながら、いや、どこからどう見ても、二足歩行の猫だった。
「ラジオの調子が悪くなっちゃって。直せる?」
「君もか」
ケインは丸眼鏡をかけなおした。
「最近多くてね。こういうの。ま、おおかた理由に見当はつくんだが」
ラジオをうけとると、彼は一週間ぐらい待ってくれたまえ、と言った。それからひょいとテーブルの上に跳び乗って、ひろった部品を置くと、別の小さな機器をいじりはじめる。
「教諭は、なんて?」
「お前の出席日数を心配してた。授業、出てやったら?」
「ボクは他人が嫌いだ。コンケツだマゾクだって、うるさいの。もう関わる気が起きないよ」
ケインは、魔族と獣人族の混血だった。赤い首輪は、〈魔導抑制具〉であり、魔族は産まれながら、その魔導の才能に関係なくこれをつけることが義務づけられる。これをつけなければ法令違反となり、厳しい処罰が与えられるか、国によっては即死刑、といったことも往々に聞く話だった。
「ま、マゾクも、たいがいだとは思うけどね。――先日、学園街に、そういう集まりがあるって聞いて、ちょっと覗いてみたんだ。デスト……なんだったかな。たしか、理想だとか破壊って意味の単語の、造語だって、彼らは話してたか。あんまりに興味がなくて忘れてしまったよ。ボクとしては、もっと建設的な話が聴けるものだと思っていたんだが……少々期待外れでね。とんだ傷の舐めあいで吐き気がしたから、毛玉といっしょに吐いて帰ってやった」
「うわ陰湿だし迷惑。あとお前やっぱ猫だろ」
「その点、サファイアはいい。うるさくない」
アイは目を丸くした。
「お前、面識あったの? あの〈氷の帝王〉と」
「ああ。ま、彼はボクのことをただの猫としか思っていないからね。ボクとしては、とつぜん昼寝の場所に現れたものだから、最初は邪魔だと憤慨していたんだが、なで方が良かったから許してやった」
ケインは、思いだしたのか、ごろごろ、と一度だけ咽喉を鳴らした。後ろ足で耳の後ろをかくと、いくらか尻尾を揺らす。
「生徒のなかには、彼を〈帝王〉なんて揶揄したり、マゾクじゃないかと疑って恐れる者もいるが」
「ああ、あるね。そんな噂」
「正直、どうでもよくてね。ようは、ボクのジャマになるかならないか。重要なのはそこであって、彼の出自ではない。……しかし、まぁ彼も苦労人だということは知ったよ。いわく、父親が優秀な魔導術士の後継ぎをつくるために、才ある女をどこからか引っ張ってきた、とか。で、女が孕んだのはいいが、出産時にちょっとした問題があったらしくてね。父親は、下女に女の腹を裂かせて、息子――サファイアを引きずりだしたんだと。で、それは下女がやったことだって言って、しらんぷり。母親は腹を裂かれて死んで、コランダム家にはサファイアという一人息子が残った。そういう話さ。彼が人間不信になるのもうなずけるね」
「弱みを、話したのか? あの〈氷の帝王〉が?」
アイは信じられない気持ちだった。
「いくら猫相手でも。そんな」
「キミは彼をなんだと思ってるんだい。彼だってまだ十七歳。ボクらよりたったひとつ上の、子どもじゃないか。――きっとね、彼はまだ希望を持っているのさ」
「希望?」
「だって、他人に期待していないと、そもそも自分のことを誰かに話そうだとか。そんなことは思わないだろう。あるいは、そもそも自分のことを諦めているか。でも彼は後者じゃない。ちゃんと、他人に期待したいと思ってるのさ。なにかを求めたくて、迷っているのさ」
ケインは首輪の鈴を鳴らした。
「なにも話さなくなったヤツがすることはね、実行することだけ。たとえば自死。たとえば復讐。そういうものだよ」
「ケインはどうなの?」
「ボク? 他人に期待するほどの興味なんてないケド……ああ、そういえば、アイ。この前の話は考えてくれたかい?」
「お前の助手なんて、命がいくらあっても足りねぇよ」
アイは「期待されるのは嬉しいんだけどね」と肩をすくめた。
「失敬な。これでもちゃんと計算している。たまに、不足や予想外のことがあるだけだ」
「だぁから、そこを誰かと詰めろって話をしてんだよ。そういうトモダチつくれ」
すると、ケインは「一理ある」とうなずいた。
「まぁ、いい。今すぐではないが、将来的にボクは自分で研究所を立ちあげるつもりでいる。そのときにまた声をかけよう」
「なんでオレなわけ?」
ケインは、きょとんと眼をまるくした。
「キミは思ってもないことを、簡単に口にできるだろう? そのうえ、観察眼に長けていて、要領がいい。ボクは君のしたたかな社交性を買っているのさ」
「人を詐欺師みたいに言うなよなぁ」
「なるほど言いえて妙だ」
「納得すんな猫。ま、ケインが野外訓練に参加してくれるんなら、考えてやるよ」
「やるわけないだろ」
即答だった。アイはテーブルの上の、小さな猫にすがりついた。
「なぁ頼むよォ。もう、来週なんだよ。どうしても一人必要なんだよおおおお。みんなレヴを怖がって入ってくんねぇの。な、ほら、オレたちの仲じゃん? 野外訓練に参加したら就職も有利だしさ。ね、一回だけでいいからさ。オレの班に入って。おねがい!」
「断る。残念ながらボクはもう手に職がある。おかげで忙しくてね」
「なんだよ、けち」
「君が助手になって手伝ってくれれば、ボクの手もあいて、野外訓練に参加できるかもしれないね?」
「ったく、けっきょくこうじゃん」
アイは口をとがらせた。
「わぁった、がんばれよ仕事。けどなに? なんか、開発でもやんの?」
「まぁそんなところさ。それとはべつに、調査協力案件も来たケド、そっちは断った。ボクは技術開発をしたいのであって、未知の冒険をしたいわけじゃないのさ」
「へぇ、調査案件」
「ああ。イルフォールの〈禁域〉に調査を入れるらしい」
「正気か?」
アイは驚愕した。〈禁域〉とは、世界各地に点在する、人が踏み入ってはならない場所――いわば、神の領域とされている。
「近年の調査で、〈禁域〉周辺には重要な魔素資源が眠っていることが明らかになってね。君も、魔素資源の枯渇問題は、知っているだろう?」
「だからって、学園議会が許すたぁ思えねぇな」
「それだけさし迫っているのさ」
ケインは大きく背中をのばすと、くぁ、とあくびをした。
「イグラシア王国だけじゃない。国家間の緊張が高まっていて、兵器開発には余念がない。人口爆発に財政問題、資源の枯渇……問題は山積みさ。たとえ国際的な法令があったとしても、そんなものは、悪意で簡単に出し抜かれる。学園はいざというときのために、領土にあるモノを把握しておきたいとか、おおかた、そういうところだろうケド」
ケインは、尻尾の先で壊れたラジオを叩きながら、壁に吊るされた大陸図を見つめた。
「なんにせよ。いつの時代も技術が多くの命を奪うことに利用されるというのは……悲しいものだね」