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「彼と彼とが、眠るまで。」第十九話


第二部 記録/変容する世界(十七)

 海面とたわむれる夏の陽ざしは、幾重にも揺れて照りつける。はるか空から照りつける太陽と反照する夏が、そこかしこに氾濫はんらんし熱を焼きつけようとする。濃い潮の香りがひどく懐かしかった。
 この島へ降り立つのは、これで三度目になる。
 大人に手を引かれて訪れたときがはじめてだった。慣れない潮騒の音と、むせるような濃い異国の香りがした。その香りに慣れた頃、安寧の島国は色を変えた。黒く、また白い。死が折り重なり、生命の慟哭がむせぶ音は、いまも忘れられない。その慟哭から文明と生活が消えた島は、いつしか自然の生命力と奇異な白を織り合わせた、世界を侵す楽園と化していた。

 真夏の青い波に隔絶された孤島は、人々から忘れられてしまったかのように、白い陽ざしを灯していた。
 銀雪の冷気が蒸した潮騒すら飲みこんで、ただ寡黙に浮かんでいる。
 あれほどあふれていた生命の気配はしんと静まり、分厚い氷雪が島を眠らせている。陽ざしだけは真夏のようで、いささかまぶしい。雪のひと粒ひと粒がまばゆく光っているようだ。もう使われていない港に船をつけて、わたしはイナサと共に雪を踏みしめた。深い雪だった。
「こりゃ、歩くのも一苦労だ」
 イナサはそうですね、と苦笑した。
 わたしはイルフォール島でやらなければならないことがあった。イナサとともに島をめぐり、六つある転移魔導門のひとつひとつを確認することだ。本大陸側からはすべて稼働しないようにしていたが、万一のことがあってはならないと、念のため島の内側からもきっちり閉ざしておかなければいけない。――魔素供給があってもけっして稼働・暴走することのないように。調査員とともに念入りに確認と調整をおこない、作業は二週間ほどかかった。
 わたしたちが最後に確認したのは、いつしか、レヴと別れた転移魔導門だった。氷雪に覆われたその場所は、もうその面影を残していない。それでよかったのかもしれない。少しばかり、安堵した。
 きっとあのときあのままが残っていたら、わたしはここに囚われてしまうだろうから。
 想いをふりきるようにきびすを返すと、おもむろに、枯れた枝がきらりと光った。あんな枯れ枝になにが反射したのかと近寄ってみる。ガラスだろうか。黒い石のようなものが挟まっていた。わたしは手袋を外して、それを手に転がした。小さな輝きが、手のひらできらきらと反照する。
「イナサ」
 気がつけば彼の名を呼んでいた。イナサが雪のなかをのろのろと寄ってくる。わたしはなにも言えないまま、彼が来るまでの時間をもどかしく思いながらも、同時に、途中で彼が転んでこの機会を逸してしまえばいいとさえ思っていた。ようやく彼がわたしの元に来ると、わたしの手はわたし自身の胸中を素知らぬように、彼の手のひらへ黒曜石をこぼした。
「――……、」
 イナサはその瞬間、息をわすれたようにその輝きに目を奪われたまま、黒翼をふるわせた。彼の翡翠色はあの時の色をしていた。同じ表情をしていた。彼もまた、あの日の続きを生きているのだとわたしは悟った。
「レヴ」
 イナサはもう片方の手で、黒曜石のピアスが乗った手をおそるおそる包んだ。ぶるぶるとふるえる手はぎこちなく。まるで祈るように額によせ、目をぎゅうとつむる。――ああ、きっと彼は、あの日。誰よりもレヴの元へ駆けていきたかったにちがいない。もしそれがゆるされたならば、彼は白く果てる友を抱きしめたのだろう。だが彼は、たった一言。名前を呼ばれたその一瞬だけで、友人の願いを理解してしまった。レヴは、イナサに。そしてわたしやレクサスに、生きることを望んだのだ。
 わたしは目のまえの彼を抱きしめてやりたいと思ったが、どうしてそれができるだろうか。この手のひらで彼の覚悟をなぞっても、そのひとかけらさえ救ってやることができない。
「こんな」
 息をすることさえままならないような喉が、叫んでいるようだった。
「こんな形で、会いたくなかった」
 しぼりだすような、かすれた声が、たった二人だけの足跡に沈む。
 それでもわたしたちは、進まなければならなかった。

 氷雪のなかで、わたしたちは夜を迎えた。イルフォールの雪はもっと冷たいものだったはずだが、今は不思議と温かかった。わたしはイナサと二人。いつもどおりてきとうな軽口を混ぜながら天幕へ入った。湯を沸かし、茶を準備すると、それぞれの水筒へ注ぐ。
「最近、魔鉱石を作る実験をしていてね」
「魔鉱石を?」イナサは目を丸くした。「それって、たしか、魔素の結晶ですよね」
「ああ。産出量は少ないが、極めて魔素純度が高いんだ。瘴素もふくんでいるが、ごく微量でね。じかに触れ続けたりしなければ、比較的安全なものだよ」
「それを、わざわざ作るんですか?」
「ああ。その過程を再現することで得られるものは多いからな。高濃度の魔素にちからを加えてやると、結合して結晶化する。面白いと思わないか? さらに、魔素と瘴素との配合を変えてやると、これまた面白い。瘴素が増えすぎると、魔素は結晶化できないんだよ」
「へぇ」イナサは感心したようにうなずいた。「でもいったい、どうしてそんな」
「ケインと話していたんだよ。魔鉱石そのものに魔導術式を組みこめないか、とね」
「また突飛とっぴな」
「思考の飛躍は未来の発展だよ」
 わたしはからからと笑った。
「それで既存の魔鉱石を使っていくらか試してみたんだが、どうにも魔導術式が魔素の結合を邪魔してしまって」
「それって、よくても瓦解。悪ければ暴発するんじゃないんですか?」
「ご名答!」
 わたしは指を立てた。イナサは半眼のまま「やりすぎて研究施設をふっとばすのはやめてくださいよぅ」と釘をさしたが、それはかるく流しておいた。まだ話したいことがあったからだ。
「失敗が続くなら、方法を変えてみようとなったわけだ」
「それで、魔鉱石を作ることに?」
「その通り。つまり、魔鉱石を作る過程でいっしょに組みこんでしまえばどうにかなるんじゃないかと思ってね」
「難しいと思いますけどねぇ」
 イナサは湯気の立つお茶をくちもとに運んだ。
「それって、まず組みこむ予定の魔導術式が魔鉱石の魔素をむだに食わないよう、設定しておかなきゃいけないじゃないですか。それを前提として、魔導術式で発生させる事象を組む必要がある。事象を発生させる条件の規定。事象規模の想定。さらには残存する魔素量が少なくなったときにどうなるかもふくめて、かなり綿密な設定構築と検証が必要ですよ」
 わたしはにっこりとほほ笑んだ。その瞬間、なにかを察したらしいイナサが、わずかに身をひく。
「まさか……」
「手伝って、イナサ♡」
「嫌ですよ!」
 イナサは即答した。
「いーじゃん。オレたちの仲だろォ」
「こんなときだけ都合よく仲良し感強調しないでいただけます?」
「ね、お願い。天翼族のお前なら魔鉱石だってつくれるよきっと。わたしの勘がそういってるんだ。ねぇ試してみよ?」
わたくしの身体をおもちゃにするのはご遠慮願いたい!」
「ちぇっ。けち。まぁいいや。気が向いたら試してみてくれよ」
「ぜっったいに嫌です」
 彼はまたお茶をすすった。
「まぁ、俺が死んだらこの身体なんていくらでもあげますよ。好きに使ってください」
「そういうところだよ。お前の悪いところはさ」
 わたしが水筒をかたむけると、彼はかるく笑った。
「あえて言ってるんですよ。いつか死ぬなら、あなたの役に立ちたい」
「なら、生きてるあいだにしてくれよ」
 わたしもまた、冗談めかして、ちいさく笑みをたずさえた。

 校舎は白く冷えこんでいた。外周に比べると気温はかなり低く、陽光が届きながらも、張り詰めるような冷気と静けさが立ちこめている。中庭の御神木は分厚い氷に覆われたまま、生きた枝葉は時を止め、氷の枝葉だけが大きく広がっている。わたしはイナサと視線をかわして、うなずいた。浅い雪を踏みしめながら、ゆっくりと近づいてゆく。透過した木漏れ日が氷の表面を幾重にも屈折してきらきらと輝いた。その奥には、光の筋が明滅しながら走っている。この氷樹こそが、ひとつの魔導機構となっているのだとわたしは悟った。これが誰の仕業なのかなんて、いまさら考えるまでもない。サファイアだ。彼は永久とこしえに、この禁域を誰の手にも触れさせまいと魔導術式を組んだ。自らを媒介とすることで、いまある魔導機構とは比にならない膨大な術式を処理・実行し、半永久的に機能する魔導機構として完成させた。ほんの少しの瘴素すら、漏れ出ないようにと。
 それが、春を迎えても雪解けを知らぬこの島。夏を迎えても雪深きこの氷樹なのだろう。
 かつての学友は、氷樹のなかで眠っていた。
 彼らはほんとうに、ただやわらかな寝台で、春の光をさんさんと浴びながら昼寝でもするように、手をつないで二人。眠っているのだ。これを見て、いったい誰が彼を魔王だというだろう。わたしには、ただ本当に、彼らがほほえましく寝息を立てているようにしか、思えなかった。
 手袋ごしに触れてみると、溶けそうにもない分厚い氷の壁が、あちらとこちらをさえぎっていることがよくわかる。さらにじっとふれていると、まるで手招きでもするように氷の枝葉を伸ばしてきた。これは魔導機構に組みこまれた防衛機能だろう。わたしは手をはなした。もう彼らには、誰の声も、誰の手も届かない。彼らは永久に生きる魔導機構のなかで、とっくのむかしに息絶えたのだ。
「おそくなって、ごめんな」
 わたしは小さく、白い息を吐いた。
 イナサが調査員を引き連れて、その場をはなれた。それは彼の心遣いだった。調査隊が周辺を調査している間、わたしはレクサスとサファイアに、いままでのことを話した。彼らが杞憂していただろうこと。現状の問題。大陸のようす。それから、もっと名前を呼びたかったこと。いっしょにバカをやりたかったこと。――愛して、いること。
 彼らには聴こえていないだろうとわかっていても、わたしには、この胸中を吐露する場所がほかになかった。
 すべてを話し終わるころに、イナサたちが周辺の調査から戻ってきた。
「いまのところ、問題はなさそうです。魔導術式および魔導機構に異常はなく、瘴素が漏れ出しているようすもない。傷や不具合は自動的に修復されるようになっているようですから、それほど心配にはおよばないかと。ただ、いくらかの様子見は必要かと思います。なにか起こったときに、不具合が生じないとも限りません」
「そうだな。行こう。まだ本大陸の禁域のことだってある。うかうかしていられない」
「ええ」イナサはやわらかくうなずいた。

 肺が凍る。
 息が軋む。
 わたしは来た道を戻りながら、考えていた。
 ディストピアが世界を混沌へ誘った事実。
 サファイアが覚悟をもって、魔王という役割へ向き合った事実。
 サファイアは、深い憎しみの歴史をもつ人族と魔族の両者と、それらに連なって生まれた社会を、より良いカタチにしようと立ちあがった。しかしそれは、あまりに大きな憎しみを持つ者たちの手によって、けっして最良とは言えないあらたな戦争の火種となった。このことは彼の本意ではなかっただろう。それでも彼は、魔王であり続けた。その真意を、わたしは知らない。彼が抱えた苦悩も、彼が据えた覚悟も、わたしはほとんど知らないまま生きてきた。
 レクサスは、ただサファイアを愛した。彼はけっして、死にたがりでもなければ、とくべつ死をおそれていないというわけでもなかった。彼はたしかに、世間では迎合されない同性愛者だったが、ただの子どもでもあった。愛する者と道をたがえてからも、彼はずっと考え続けてきたことを、わたしは知っている。だからこそ、彼はすぐに答えを出せたのだろう。
「なぁ、イナサ」
 気がつけば、わたしは訊ねていた。
「レクサスの生涯は。サファイアの生涯は、幸せだったと思うか?」
「さて」
 イナサはわたしの足跡を追ってきながら答えた。
「俺にはどうとも。ですが、幸か不幸かで二分にぶんできるものでは、けっしてないと思います」
「そうだよな。ごめん」
 わたしは苦笑した。あまりにも浅ましい自分に、つい笑ってしまったのだった。彼らが幸福であれば、わたしのなにもかもが許された気になるような、そんな打算が胸にあったことを自覚してしまったからだ。
「そんなわけ、ないのにな」
 わたしは甲板に足をつけると、どこまでも遠い蒼穹を見渡した。じりじりと肌を焼く、夏の空だった。


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