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<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第十九回 クーデター計画とウィンク

少女売春組織の中間管理職鈴木が名古屋によく似た街で爆弾テロと政治的陰謀に巻き込まれていく。
鈴木は陸軍情報室中尉の井上から爆弾犯小夏の身柄と顧客情報を要求される。

「シビリアンが最初から腐ってるんだからどうしろって言うでしょうね?腐ったシビリアンが暴力装置である僕らを支配するなんて恐怖ですよ。僕らの目標はクーデターみたいなものですね。銃もなにも使わないけど」
 井上の言い終わるとたっぷり間を置いて言った。
「僕は腐った連中からこの国を守ってるんですよ。僕は軍人です。国を守る仕事のなにが虚しいんです?」

あらすじ

Chapter 18 クーデター計画とウィンク

「単刀直入に言うとですね、まずは鈴木さんの会社の業務記録や顧客名簿ですね」
 どちらもボスに指示された通り確保してある。業務記録とはよく言ったものだ。顧客が未成年者と倒錯的なセックスに耽る様子の隠し撮りだ。活用すれば俺もそれなりの金にできるだけのネタだ。しかしそんなことをしたらすぐに行方不明になるのはわかっている。
「そして小夏ちゃんの身柄ですよ」
 
 ホテルに押し込められてから丸一日、食事以外は部屋で尋問を受け続けていた。食事もあのサングラスが俺の向かいに座ったままこっちを見ているのだから美味いわけがない。
 そして今はツインタワーの高層階にあるカフェに連れ出された。買い物客やスーツを着た会社員でそれなりに混んでいる。窓からは街が一望できた。小夏が爆破した壁面は反対側にあって見えない。 
 井上がテーブルの向かい側で微笑んでいる。
 目の前のアイスコーヒはただの苦い水だ。口を湿らすために一口飲んだが味がするわけがない。
「仮に大人しく警察に出頭したとして、俺はどうなります?」
 昨日、つまり空港で拉致された翌日から俺はツインタワー爆破事件の「なんらかの事情を知っている男性」として手配されていた。幸いまだ顔は出ていなかったが。
「まだ正式に逮捕状は出ていないでしょう?早目に出頭したほうが後々の裁判で有利になるかもしれない」
 井上は客に物件について説明する不動産屋のように素っ気なく答えた。
「そうしたら留置所で突然の自殺でしょうね。留置所は自殺されないように作られていますが、留置する側がその気になれば自殺にできますよ」
 ボスの言っていた通りだ。わかってはいた。
 俺は井上の突拍子のない口調に呆気にとられた。
「どんな人間でも自殺志願者にするテクニックもありますよ。これは僕らの専売じゃなくて警察も得意ですけどね。ちなみに僕らはどんな状況でも自殺する技術も訓練できるので教えてあげましょうか?」
 井上は得意気に微笑んだ。俺もつられて笑った。笑うしかない。俺はどんな自殺をするんだ?
「じゃあ井上さんの提案に従ったら?」
 井上はにっこりと笑った。
「うちは捜査機関でも児童福祉局でもない。情報機関なので爆弾事件や児童売春には興味がありません。要求に従ってくだされば情報提供者として鈴木さんを保護できます」
「保護?いわゆる証人保護プログラムですか?」
「それに近い制度はありますが、場合によってはうちの外注スタッフをお願いするかもしれない。安藤さんみたいにね。鈴木さんの経歴や能力ならうちの南方でのプロジェクトに役立てられますよ」
 今度は人材屋になった。つまり使い捨ての非公式スパイとして飼い殺してやってもいいらしい。空港で田中に殴り殺された奴らもそうだったのだろう。
「それは過大評価ですよ」
「いえ、鈴木さんの能力は素晴らしい。そしてうちは仕事柄からして色々なバックボーンを持つ人材を揃えたいんです」
「写真はどうするんですか?」
「うちは情報機関ですから、ネタは使うよりも持っていることに意味があるってこともあるんでよ。まあ鈴木さんの持っているネタは利用するあてがついているのでぜひ欲しいところですね」
井上は机に身を乗り出した。内緒話をするように声をひそめる。
「鈴木さんのところの顧客に最近議会で顔を売ってる野党の先生がいますよね。うちの会社が南方でやってることについてあれこれ言ってる先生ですよ」
 野党第一党の政調副会長をやっている若手で、南方への軍派遣についての批判の急先鋒だ。事前予告なしの質問で国防大臣をおちょくる様子はワイドショーでウケるし、そしていつも兄弟セットで注文する上客でもある。
「いますね。贔屓にしてもらってますよ」
「そうです。南方の騒乱については今のところ補給援助や顧問団を送り込む程度で抑えていますが、うちの本部では部隊本体を派遣しようという話がついているんですよ」
「つまり、写真をネタにその先生を失脚させようという話で?」
 井上は芝居がかった仕草で首を振った。
「そこまではしませんよ。もっと穏便にやります。先生本人にだけ、こんなネタがあるんですよ、と匂わせるだけで十分なんです。そうすれば察しの良い方だ。議会でも大人しくなるでしょう。まあそれ以上のことはなかなかできません。だって」
「世間に暴露してネタ元を探られて、余計なものまで掘り起こされたら困る。うちの客には与党や軍関係者も少なくない、ですか」
「いや、本当にうちの外注スタッフにほしいですよ、鈴木さん。筋が良い。あ、すいません」
 井上は近くを通った店員を呼び止めた。若い女のアルバイトが伝票を構えた。
「追加で頼みたいんですけど、コーヒーのおかわりと、鈴木さんは?」
「いえ、水だけで」
「じゃあピザトーストお願いします」
 店員が俺と井上のカップに水を注いでいった。
「すみませんね。昼、まだなんですよ。ここのトースト系は結構食べごたえあっていいんですよね」
 アルバイトが去った。俺はこれまでの話で俺にも有利になりそうなことが思いつき切り出す。
「ネタを押さえたいのはそれだけじゃないですよね」
 井上は水を飲みながら目で続きを促した。
「今後の選挙でどっちに転んでも使えるからですか。与党にもうちの客はたくさんいる」
「そう。冴えてますね。しかし、しばらくは今の政権が続くでしょうね。恐怖を感じると選挙民はタカ派を支持するものです。」
 指でも鳴らしそうだ。
「恐縮です、そして」
「でもね、鈴木さん」
 出鼻を挫かれた。気持ちがつんのめる。
「ご自分のネタが思ったより大きいからといっても交渉の材料には使えませんよ」
 井上は俺の言わんとすることを先取りした。
「交渉というのは選択肢が多い方が勝ちなんですよ。こっちはすぐにでも自前のスタッフにネタを確保させてもいい。まあ今回は空港の件で人手が足りなくなったので間に合わせで頼んでいるだけです。でもいざとなればなんとでもなる。そうなればうちにとっての鈴木さんの価値はゼロだ。鈴木さんが留置所で突飛な自殺をしても、なんならこの後すぐにこのビルから飛び降りても関係なくなるんです」
 店員がトーストとコーヒーを運んできた。確かに値段の割にかなり大きい。井上は備え付けのタバスコを振りかけて端の方から慎重に齧った。こいつは猫舌らしい。
「すみませんね、話の途中で。お腹空いちゃって」
「じゃあなんでいちいち俺を使うんですか?俺みたいな素人じゃなくておたくの専門スタッフを使ったほうが確実だと思うんですよ」
「言ったとおりですよ。人手が足りない。あと今うちが表立って例の女の子の身柄を一時的にであれ押さえたり、それとも持っているネタを掠めたりしたってことがわかったら、警察の顔が丸潰れってことになる。うちと警察は幹部クラスの人事になると出向なんかで行き来があるからこじらせると面倒なんですよ。できればそういう事態は避けたい。できれば、ですが」
 俺だってできればこいつの顔にトーストを叩きつけたい気持ちだ。
「つまり鈴木さんの立場はこっちからすれば、できれば、くらいなものなんですね」
ピザトーストのチーズを伸ばしながら井上は頷いた。
「じゃあ俺がこのネタをマスコミに持ち込んだら?」
「このネタがどの程度のものかまだお分かりではないようですね」
「最低でも、政権が吹っ飛ぶくらいとは理解していますが」
 内閣は総辞職して、暴露された政治家は与野党問わず再起不能、常連の警察幹部はもちろんトップまで引責だろう。会社の交際費で領収書を切らせてた連中も全滅だ。そして日本の国際社会での地位はこれ以上ないところまで落ちる。
「やはりわかっていませんね。このネタは、大き過ぎるんです」
 場違いに感じの良い笑顔を浮かべたまま井上は口元のパンくずをナプキンで払った。
 井上は息を吸い込む音が聞こえるくらい深く吸って、一瞬止めて、口を開いた。
「ところでこれは極秘事項なんですが、世界は古代文書を聖典とする秘密結社に牛耳られているのはご存知ですか?」
 店にいる客全員に聞こえる見事な発声と滑舌だった。通路を挟んだ席にいたカップルがこっちを見る。
「は?」
 俺もカップルと同じ顔で井上を見る。
「ご存知ない。じゃあもっと重大なことをお話しましょう。人類は2000年前に飛来した宇宙人によって創造されたことはご存知ですよね?ちなみに関西弁を喋ります、その宇宙人は。ご存知ない?」
 ますます井上は声を大きくした。
「じゃあ身近なところで。各地で起きてる巨大地震やこの間の台風も某国の秘密気象兵器による攻撃というのは?そうそう、あとこの国の偉い人達はペドフィリアばかりで、みんな年端もいかない少年少女を買い漁って倒錯的なセックスに耽っていることはご存知で?まあこの国の伝統ですけどね。最高裁のある判事は孫と同学年の女の子に母親の遺品のワンピースを着せて、しかも自分でもワンピースを着ないと勃起しないんですよ。初の女性総理大臣就任が噂されている閣僚の活力の秘訣のことは?10歳と8歳の兄妹の近親相姦ショーを眺めることなんですけどね。まあ知らなくても仕方ないですよ。これはトップレベルの機密なんですから」
 ほとんど叫ぶように言い切った。店内の誰も喋らない。生暖かい沈黙だ。
 井上は自分に集まる視線を楽しむ役者のように店内を満足げに見渡した。
 全員がこちらを盗み見ているが井上と目が合いそうになると慌てて目を逸らす。BGMだけが痛々しい。
「誰も相手にしないってことですか、そんな妄想じみた話」
「そうですね。仮にネットにばらまかれても今時は写真なんかいくらでも作れる。フェイクだと官房長官あたりが定例会見で小馬鹿にすれば誤魔化せる。マスコミもそんなネタを突っ込んでも恥をかくだけだし、ネタが本物だと確信してそれ以上突っ込んだらどうなるか」
 井上は俺に結論を譲った。
「全面対立ですか、国との。しかもそうなれば与野党も縦割りの行政も全て一致団結する」
 井上はパチンと指を鳴らした。
「その通り。議員先生の不倫やセクハラとは次元が違いますからね。どんな緊急事態がおきた時よりもみんな協力するでしょう」
 よくできましたと言いそうな笑顔だ。井上は続ける。
「そこまでやる度胸のあるマスコミがいますか?あの杉浦さんもね。仮にいたとしても鈴木さんの安全を保証するのは例の取材源の秘匿の原則だけですよ。そんなの新聞紙より薄い」
「そして俺は突然の自殺だ」
「その通りです。わかってきましたね」
 やけに嬉しそうなのか気に触る。
「つまり僕たちじゃなきゃこのネタは有効に使えないってことです。杉浦さんはせいぜい下世話なワイドショーネタにして終わりでしょう。南方へ派兵が決まりかけてる時にやられたらあまり嬉しくはないですけど、まあなんとかなる。しかしそんな花火みたいに消費するには惜しいんですよ。」
 井上はピザトーストの最後の一口を本当に美味そうに食べた。本当に食べないの?みたいな目で俺を見る。
「だから、ネタをうちでまとめて買わせてください」
 セールスの殺し文句をキメたセールスマンのような余裕たっぷりの笑顔で俺を見た。きっとこいつは他のどんな仕事をやっても成果を出すだろう。そんなことが見てわかる見事な笑顔だった。しかし。
「お前は」

 俺は言った。
「お前は虚しくならないか?その仕事が。アホな政治家の尻拭いしたり、俺みたいなクズの相手したりして」
 井上は、「ほう」とでも言いたげな顔で俺を見た。こいつに何を言っても無駄だ。しかし言いたくなった。
「お前は虚しくないのか?」
「じゃあ鈴木さんは虚しくないんですか?文字通り中年のケツの穴まで舐めて、今度はその下らない連中の精液その他の体液の処理のためにせっせと年端もいかない子供を売りつけて。昔の映画でありましたね、おめこの汁で飯を食ってるわけじゃないですか。しかも子供のね。ねえ、鈴木さん、なんのために生きてるんですか?僕ならとっくに自殺してますよ」
 爽やかな笑顔を一切崩さず言い切った。俺を挑発しているのではない。心底疑問なのだ。
「この10年、薬がなきゃ気が狂ってた。鞄に入っている薬を返せよ。昨夜だって窓から飛び降りるのを我慢するのに必死だったんだよ」
「飛び降りたほうが楽になれませんか?」
「かもな。でもなんでお前はシラフでこんな仕事ができる?俺と同類だろ」
「まあ、やってることは変わりませんね。下らない連中の尻拭いですよ。でも僕は国を守ってるんですよ。軍人の務めですね」
 俺は井上の顔を見た。整った顔立ちだがグロテスクな人形のように見えた。
「なんで議員先生があんな下らない連中ばかりなのかわかりますか?僕は仕事でずっと連中を見ていますが、下らない連中はどこにでもいるにしたって割合が異常だ」
 井上はゆったりとシートにもたれかかった。その笑顔はさっきまでの貼り付けた笑顔ではない。友人との議論を楽しむような顔だ。
「政治家になるやつらは政治家になりたがるタイプの連中なんだよ」
 井上が愉快そうに声をあげて笑った。何度も指を鳴らした。
 政治家に限らず警察でも会社勤めにもその手の連中はいる。力で他人をコントロールするのが大好きだ。目的はない。連中にはコントロールすること自体が気持ちよくて仕方ない。性的興奮で勃起するんじゃない。他人を支配する快感で勃起している。
「その中のトップが政治家になるんだからクソが多くて当然だろ」
「よくわかってらっしゃる。さすがですね。政治家になりたがるタイプ、いいですね。そうだ。権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する、と。でもね、権力が腐敗するんじゃない。始めから腐った連中が権力をほしがるんですよ」
 井上は心底楽しそうに続けた。
「たまに僕らの活動を知った評論家やらジャーナリストが言いますよ。シビリアンコントロールがどうとかね。でもそのシビリアンが最初から腐ってるんだからどうすればいいんでしょうね?腐ったシビリアンが暴力装置である僕らを支配するなんて恐怖ですよ。まあ僕らの目標はクーデターみたいなものですね。銃もなにも使わないけど」
 井上の言い終わるとたっぷり間を置いて言った。
「僕は腐った連中からこの国を守ってるんですよ。僕は軍人です。国を守る仕事のなにが虚しいんです?」
 お前は連中よりも質が悪い。そう言ってやりたかった。
 こいつには何もない。こいつの中には何もない。欲望も、幸福も、憎しみも。
 こいつは悪ですらない。ひたすらに凡庸だ。どうしようもなく凡庸で、そして空っぽだ。
 もはや人間じゃない。そんな気すらした。俺の直腸に精液を流し込んだ連中のほうがまた親しみが持てる。人間じゃないモノが、人間の顔をしている。
 ゴムでできた木が、街中をその枝で絞め殺している。その時、そんな想像が浮かんだ。道も、ビルも、車も、公園も、この街も、この国も、俺自身も。
「やっぱりお前は虚しいよ。いや、虚しいんじゃない。空っぽだ」
「滅私奉国は軍人の美徳ですからね。褒め言葉として受け取っておきます。すごく楽しい議論でした、本当に」
 井上は元の張り付いた笑顔に戻った。むしろ前よりも爽やかさが増しているように見えた。
「話を戻しましょう。鈴木さんが生き残るための選択肢は僕らの提案を飲むしかないんですよ。まだ交渉の材料はありますか?あるなら聞きますよ」
「小夏はどうするんだ?興味ないんじゃなかったか?」
「いくつか使いみちは思いつきますよ。まあそれもあればいいかな、くらいですけどね。むしろそれよりも試験です。さっき言いそびれましたが」
「試験?」
「鈴木さんの入社試験ですよ。これをやり遂げれば、ようこそ国家の守護神へ、ですよ」
 俺は井上の顔を見たまま口をあんぐりと開いた。
「期待してますよ。やり方は任せます。一緒に腐った連中から国を守りましょう。」
 そういうと井上は伝票を掴み立ち上がった。
「でもここも来にくくなっちゃったな。完全に頭おかしい人って思われたでしょ。でも声に出すとスカッとしますね」
 お前の頭がおかしいのは事実だから仕方ないだろう。口には出さなかったが。
「そんなに悪くない話だと思うんですけどね。まあどうしてもってことなら、全部ほっぽり出してその小夏ちゃんと逃避行っていう選択肢もありえますね。夏だし、海なんていいじゃないですか?映画みたいじゃないですか。ラストシーンが海って。好きですよ、そういうベタなの。僕もこの件が片付いたら夏休みとるつもりなんで、もしどこかの海で会ったらビールでも飲みましょうよ、ねえ鈴木さん?僕は鈴木さんのことが結構好きになりましたよ。いや本当に。長い付き合いになりそうだなって思っていますし、一度飲みに行きましょうよ、ねえ鈴木さん」
 にっこりと笑った井上は水を飲んだ。腕時計がサーファーに人気のスポーツブランドのものだと気付いた。
 「それとね」井上が内緒話をするトーンで囁いた。「やっぱりクーデターは軍人のロマンですよ」
 青年将校はウィンクを投げてよこした。
 
 

第二十回に続く
隔日更新予定
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