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思考換気DAY 自己紹介編①紙一重の世界を生きている

こんにちは、産後のリアルストームに埋もれている人を全力でサポートしたいSaharaです。

noteを始めてひと月。自分の想いを表現して発信すると世界は拡がるものだなぁというのを実感しています。色んなご縁が広がる中で、私という人間の中身を知っていただくきっかけになればと、思考換気DAYとして自己紹介編の記事を書いてみます。

世の中の当たり前が 何一つ当たり前に見えない


 私は小さい頃から「世の中の当たり前が 何一つ当たり前に見えない」人でした。それは、後天的に障害を負った家族の存在が、私に少しずつ培ってくれた視点です。

 私には、同じ誕生日に生まれた2歳年下の妹が一人います。彼女は1歳の誕生日を過ぎたばかりの正月、帰省した田舎で高熱を出し、救急車で運ばれた後に様々な不幸が重なりました。その結果、心臓が強かったことで命は取り留めたものの、最善の処置が取れなかったことで何かしらの障がいは残る、と診断され、その言葉を証明する人生を歩んでいます。

 仮に最適な治療を即時に受けられたとしても、結果は同じだったかもしれません。しかし、残念ながら程遠かった。症状の推移から、恐らく細菌性髄膜炎だったのではないか、という推測も、自らの力で生き残った彼女にとっては、大した意味は成しません。

 私は3歳だったので、今のように当時の状況を把握していたわけではありません。しかし、自分と違って妹は「なぜいつも病院で脳波を検査するのだろう」「なぜ毎日薬を飲んでいるのだろう」という小さな疑問に始まり、世の中の当たり前よりも真実を見極める眼を養わせてもらったように思います。

 しかしこの俯瞰的な視点、子どもの私にとっては身に余るものでしかありませんでした。いつも世の中にある矛盾を目の当たりにし、気楽に生きようとすると足を引っ張られ、扱いに困ることも多々ありました。

 例えば、占いを信じたい自分と、片や同じ誕生日に生まれて全く違う人生を歩む妹に何も参考にならんと興覚めする自分と。こうした共存生活は面倒なものでした。この視点を、ちゃんと自分の強みとして扱えるようになったのは、社会人になってからかもしれません。

「私ができること」でなく「私がしたいこと」と出会えたドイツ


 俯瞰的な視点が身についた一方で、「自分がしたいこと」には中々出会えませんでした。仕事も趣味も、面白い、興味がある、楽しいと思って「自分ができること」は沢山あっても、「自分がしたいこと」には辿り着けませんでした。

 結婚し、妊娠5カ月で一旦社会から退いた時、「次に社会復帰する時は何をするか」を漠然と考え始めました。そうして7年かけて辿り着いた答えが「保育」でした。
 下の記事で書いた産後の経験、普段の子育て経験から、保育の世界を通じてできることがある、と感じたのがきっかけです。

 保育士資格を取り、次男の成長を待ってから園で働き始めました。そして色んな経験をさせていただく中で、もともと母親であり保護者という立場であった私の視点は、保育を通じて、親としての育ちを見守る存在の少なさや、支援と繋がる機会の少なさにフォーカスしていきました。そして自然と、園の子育て支援事業に携わらせていただくことになりました。そして3年経った頃、夫の海外赴任が決まり、家族でドイツへ渡ることになったのです。

 長男の中学生活を見据えた時、ドイツへの渡航はかなり迷いましたが、結果的に全く違う価値観の中で生活したことは、家族にとって大きな学びとなりました。

 私はドイツに渡った時から「帰国したら自分は何がしたいか」をいつも頭の隅で考えていました。そして、ドイツの子育て環境、産後の訪問支援の仕組みを知り「これだー!」と思ったのです。

 子育てが「孤育て」で始まらない世界を日本で実現させたい。そのために今できることがある。世界の定義はいくらでも変えられる、自分の手の届く範囲の世界から精一杯やってみればいい。

 そう思うに至り、今年に入ってから色々と種まきをしている所です。

紙一重の人生を生きている


 妹の人生と比べた時、私にはしたいと思ってできないことがほぼありません。「やる、やらない」の世界を生きている。
 しかし、それが非日常の妹にとっては、できないことが日常。「生きるか、生かされるか」の世界です。
 そんな私たちの間に、あるとしたら薄い紙一枚の境界。私が生きているのは紙一重の日常であり人生だということを忘れてはならないと思っています。

 今ある日常が日常でなくなるきっかけは、ごく身近にあります。折しも昨日で東日本大震災から10年が経ちました。
 今ある日常も、価値観も、何一つ当たり前ではありません。普段人はそれを忘れて過ごしていますが、忘れて過ごせる時間こそ日常であるということ。その日常の大切さに気付けるのは、日常が当たり前でないことを知っているということ。

でももし…

今の日常や価値観に、妊娠・出産・産後の女性が苦しむことが多いとしたら?

「非日常」にシフトしてしまえばいいのです。


 はい、わかるとできるは違う。
 でもこれは「私ができること」じゃなくて「私がしたいこと」。
だからできないかもしれないけど、やるんです。
 「やる、やらないの世界」に生かせてもらっているのだから。

 最後までお読みいただきありがとうございました:)

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