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「私は『お母さん』じゃない」から気付いた、役目と役割の混同

こんにちは、産後のリアルストームに埋もれている人を全力でサポートしたいSaharaです。

出産後、生活がガラリと変わるのはもちろんですが、もう一つ変わったな~としみじみ感じたことがあります。

それは・・・

自分の名前が「お母さん」になった


妊娠中は〇〇さんと名前で呼ばれていたはずなのに、出産したら「お母さん」「〇〇ちゃんのお母さん」と呼ばれるようになりました。
名前で呼ばれることもありますが、それは当たり前ではなくなりました。

暫くすれば気にもならなくなりましたが、出産を境にした急な変化に、慣れない間は妙な気持ちでした。

「お母さん」と呼ばれて「お母さん」としての自分を自覚する面もあるし、
「お母さん」と呼ばれて「わたし」はどこへ?という気持ちも湧きました。

そして「お母さん」と呼ばれるほど、なぜか母親としての役割意識が強くなるようにも感じていました。あれしなきゃ、これしなきゃ、ねばならない、こうすべきだ的思考に陥りがちでした。

でもよく考えると・・・

母親とは「役目(存在)」であって「役割(タスク)」ではない


母親とは、責任ある存在=「役目」であり、与えられたタスク=「役割」ではない、
はずです。

では私はなぜそれを混同していたのか・・・

そもそも産前に、母親としてどうありたいかという「役目」をちゃんと考えたりしなかったし、母親となった途端これでもかと涌き出る「役割」のオンパレードに、「役目」を見つめる余裕などなかった、というのが実際の所です。

このような状態で、名前でなく「お母さん」と呼ばれることに違和感を感じていたのは、母親となった自分の「役目」が腹に落ちていなかった結果なのか、と思うに至りました。

特に産後は母子の関わりがどうしても密になる時。求められる「役割」は昼夜ひっきりなしで、自分の母親としての「役目」をちゃんと考えたり、見失わずにいられる女性の方が少ないのではないでしょうか。

そんな時、「お母さん」でなく、母親になった「〇〇さん」という風に、自分自身をちゃんと見守ってくれる第三者がいると、初めての「役割」に追われる毎日でも、自分の母親としての「役目」を見失わず、心にゆとりを持てるように思います。

なぜなら、母としてこうありたい、こうしよう、これがいい、これでいいと自ら役目を持ち、それを果たすには、母親としての自分を信じる気持ちが不可欠だからです。

つまり母親としての「役目」を考えることは、親としての自己肯定感を育むことと関係してくると考えています。

「お母さん」だって生まれたて


「子どもに自己肯定感を育てる大切さ」は随分認知されてきましたが、そのために必要なことは「〇かでなく、〇もも含めたありのままを認める」こと。得意・不得意、できる・できないでなく、ひっくるめて全部〇!と認めること。

でも、生まれたのは子どもだけではありません。
産後は「お母さん」だって生まれたて。

社会として「お母さん」のありのままを認め、母親としての自己肯定感を育み、その「役目」を一緒に考える所から、親としてのスタートを切らせてあげること。これこそが大切だと思っています。

でもこれって、一人では難しい・・
同じく生まれたての「お父さん」にも必要・・
だからこそ、産前をどう過ごすかがポイント
になると感じています。

妊娠中、本当にしておくべき準備の一つは、親としての育ちを見守ってもらえる環境を整えておくこと、です。

出産前と出産後、ともすれば都会と無人島くらいに変わる生活。子どもを迎えるために必要な準備とは、育児に必要なモノだけはありません。

以前ご紹介した丹波篠山市のように、公的にMy助産師さんが寄り添って産前から産後まで見届けてくれる制度が全国的に拡がれば良いと思いますが、そうでない今は、ご自身やご家族で事前に備えるしかありません。

株式会社WithMidwifeさんというところがMeets the Midwifeというプラットフォームを構築されており、近くの助産師さんに繋がって寄り添ってもらえる時代が少しずつ近づいているのかなと、世の中の変化を嬉しく感じています。

「親が育つ」環境が置き去りにされている


このコロナ禍で出産・育児を経験している女性は今、本当に大変な環境に置かれているのを実感しています。

2019年の厚労省の国民生活調査によれば、18歳未満の児童がいる世帯のうち核家族は82.5%に上り、家庭における「親の孤育ち」を助長する環境は既に整っていました。

そこへきて昨年からのコロナ禍が追い打ちをかけ、親子の孤立が進んでいるものと思われます。

実際、様々な子育て支援の機会がオンライン化され、親同士・子ども同士で横の繋がりを持てないまま、日々を過ごしている親子がスタンダードになりつつあるのを実感しています。

コロナ禍により生じた「子どもを通じて新たな信頼関係を築く機会の損失」は、親子にとって非常に大きな影響を与えると危惧しています。


子育ては、親になれば誰もが自動的にできるようになるものではなく、
人の心身を育む過程は、利便性の追求とは対極にあります。

初めからできないから、親として学ぶ機会も時間も必要です。
しかし、今溢れる情報は子どもをどう育てるかに偏り、社会として親をどう育てるかの議論はまだまだ置き去りにされていると感じています。

また、「子どもとの関わり方がわからない親御さんが増えている」というのは、コロナ以前から保育現場の実感でもありました。子どもとの関わり方がわからないのは、親になる前の生活の中で、子どもに関わり「子育て=親になる」ということに親しむ環境がなくなってきているのも一因だと思っています。

日本がこうした選択を続けた先の未来は、持続可能でしょうか。
誰もが真剣に考えるべき時に来ていると感じています。

私は私なりのアプローチで、子育てが孤育てで始まらない世界の実現を目指し、微力ながら歩んでいきたいと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございました:)

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