見出し画像

『啓蒙とは何か』カント

はじめに:公的理性を発揮せよ

本作は、カントが啓蒙の定義について述べた論文である。本論文でカントは、啓蒙によって人間が思考停止状態から脱し、公衆の面前において公的理性を発揮することが社会の発展のために必要であると述べる。

異郷から来た女史が何者か知りたい人はこれを読んでくれ。

そして、女史のnoteをどう読むか、こちらを参考にしてくれ。

啓蒙とは:脱未年状態

啓蒙とは、自ら招いた未成年の状態から抜け出ることである。未成年の状態とは、他人の指示を仰がねば、自分の理性を使うことができない状態である。

ほとんどの人は、死ぬまで他人の指示を仰ぎたいと思っている。他人の指示に従っていれば、自分で思考するという面倒な状態を避けられるからである。さらに、人間は、指示に背いて自分の意志で行動すると危険な目に合うと教え込まれてきた。これによって、例え思考ができたとしても、勇気と決意の欠如によって、自分の理性を使うことができない。

この未成年状態は、例え社会革命が起きて社会構造が変革したとしても、大衆の意識が根本から革新されない限り、脱することはできないとカントは主張する。

啓蒙の条件:自由

啓蒙によって未成年状態を脱するためには、自由が必要であるとカントは主張する。ここで言う自由とは、人間が、自分の理性をあらゆるところで公的に使用する自由を指している。

理性の公的行使とは、例えば、ある人が、学者として、読者であるすべての公衆の前で自分の理性を行使することである。

一方で、私的行使とは、軍に属する兵士が、1兵士として、上官の命令の正当性についての疑問を投げかけたりすることである。兵士という立場にいる上では、上官の命令に従わねばならないことは社会構造において決定されている。これに対して理性を行使することは、私的行使と称される。

つまり、前出の例で言う学者は、社会の仕組みや構造に対して学問研究し、意見を述べることを許された立場である。故に、彼らが学者の立場において意見を言うことは、理性の公的行使である。

大衆への啓蒙は、これら学者をはじめとした、社会構造において自由な意見を述べられる人間がいてこそ、成し遂げられるということである。

おわりに:思考し続けよ

我々の中で、未成年状態を脱した人間がいくらいるであろうか。

女史は、おそらく未だに未成年状態である。思考はし続けているものの、会社では、人から指示をされる立場でしかなく、自分の裁量権などほぼ持っていない。さらに、その状況を変えうる勇気と決意が欠如している。

カントの著書を読み、いつか自身が学者となって大衆を啓蒙する立場になれるよう、思考し続けることを心がけ、学問にはげみたいと女史は思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?