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異郷から来た女史とは

私は異郷から来た。自称、女史である。


クソ田舎から東京へ

幼少期、女史は日本のクソ田舎で育ち、大学入学を機に上京した。

最初に入学した大学がつまらな過ぎて、仮面浪人を経て日本国内トップの某私立大学に入学した。

経営学と哲学

在学中は、専攻である経営学の勉強に明け暮れ、しまいには哲学にまで手を出し、独学で学問に励むという蛮行に及ぶ。好きな哲学者はルソー、サルトル、アーレント、ポパー、イリイチ、マルクス、フロムだ。女史の好きな順に並べてみた。そう、異郷から来た女史は、過激な哲学者がお好きである。

そうこうするうち、大体年間200冊近く読書する本の虫と化した。

結果的に、経営学と哲学を通じて資本主義の限界を思い知ることとなり、反資本主義者がここに爆誕したことは明白であり、説明の必要性は皆無であろう。そしてむろんこの頃、かろうじて保たれていた女史の女子性が、砂の城同様、儚く掻き消されたのである。

囚われのコンサル時代

就活時、女史は、敵を知るという意味で、資本主義者の巣窟である経営コンサル業界の門戸を叩き、見事に彼らの仲間入りを果たした。現在は彼らの奴隷として日々長時間労働を行うに至る。この戦法は、かのバットマンことBruce Wayneが、犯罪者の心理を学ばんと、犯罪を犯して刑務所の扉を叩いたことに着想を得たものだ。

英国進出

3年間の社畜奴隷としての人生を終え、開発経済学修士号を取得すべく、女史は英国へと向かう。英国ロンドンという世界屈指のアバンギャルドな地にて経済学の修士号を取得した。
修士課程では、西洋の成長モデルこそが途上国の目指す道であるとする経済学を許さない、開発経済学を学んだ。主にMENA地域や東南アジア地域を研究対象とし、先進的経済理論の書物を読み込んだ。
この修士課程での時間は、女史のそれまでの経済成長への理解や考えを根本から変えた。

英国企業へ現地就職

修士号を取得した女史は、ロンドンのサプライチェーン(SCM)コンサルの門戸を叩く。当該企業は、女史が開発経済学で学習したMENA地域にも進出しているSCMブティックファームである。MENA地域の経済成長及び特定資源特化型の経済モデル脱却の支援を行っているファームは、学問と実務を紐づけたい女史の理想でもあった。
超難関のケースやフェルミ推定を含む面接を切り抜け、オファーを貰った女史は、今もこのロンドンの地でコンサル業に励んでいる。

座右の銘:Don't be humble, you're not that great

これは、イスラエルの5代目首相のGolda Meirの言葉である。顕微鏡でさえ発見し得ないほどちっぽけな私のような人間に、謙虚さなどは必要ないのだ。

Goldaの進言を忠実に実行し、謙虚さの欠片も持ち合わせていない女史は、このNoteなどという道具を用いて、思考を言葉にしていきたい、とそう思うのである。


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