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『はてしない物語』ミヒャエル・エンデ

はじめに:メタフィクションの鉄板

今回紹介する本は、メタフィクションの鉄板作品である。

作中で、いじめられっ子の少年がある本に出会う。読み進める中で、少年は小説の世界に入り込んでしまう。

大人でも子供でも楽しめる小説であり、現実世界に疲れたときに読んでみると、非常に癒される作品である。

異郷から来た女史が何者か知りたい人はこれを読んでくれ。

そして、女史のnoteをどう読むか、こちらを参考にしてくれ。

少年ととある本:空想の世界へ

少年バスチアンは、いじめられっ子の少年である。とある日、本屋さんの主人が読んでいた本が気になり、盗んでしまう。

バスチアンは、盗んだ本を読み進めていくのだが、そこで不思議なことが起こる。小説と現実の世界が繋がり、バスチアンは小説の世界に入ってしまうのである。

小説の世界では、バスチアンはいじめられっ子ではなくなり、なんでもできる英雄のような存在として迎え入れられる。バスチアンは、次第に傍若無人にその力を発揮していくようになってしまい、現実世界にいた時の記憶をなくしていく。しまいにバスチアンは、小説の世界に住むかつての憧れの仲間たちでさえも裏切ってしまう。

実はその小説の世界には、バスチアンと同じように小説の中に入り込んで記憶をなくし、坊弱無人に自分の願いを実現させ、虚無になってしまった英雄がたくさんいた。そのような元英雄たちの姿を見て、バスチアンはやっと友人たちの助けを借りつつ現実世界に帰ることができた。

本屋の店主にその小説を返しにいったバスチアンは、その本屋の店主も実は小説世界からの帰還者であったことを知る。

おわりに:虚無と人間社会

本小説が子供でも大人でも楽しめるのは、ただ面白いからではない。本小説では、社会から虐げられている人物が、小説世界ではどんな願いでも叶える力を持った英雄として迎え入れられる点に面白みがある。そして、その願いを叶え続けていくことで自分を見失い、醜い人間に成り下がってしまう過程が描かれている。

人間とは、自分の欲望だけに従って望みを叶えさえすれば幸せになれるとは限らない。そういう厳しい現実を教えてくれる。

本小説には、虚無を表現するシーンが数多く登場する。人生を送った先に一体何があるというのか。実際、人間というのは、ただの虚無の中に、虚構の社会と制度を創り上げて自らを縛り付けているだけではないか。小説などの創作と人間社会は実はそれほど変わらないのではないだろうか。

大人になっても想像力を掻き立てながら読める本作品、皆さんも是非お手に取ってみてはいかがだろう。



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