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熊野、横浜、前橋-ここ一週間くらいのこと

忙しかった。10日間ほど、更新できていなかったのでここ一週間少しのことを振り返る。

熊野に空き家を見に行った。熊野まで地元から高速で2時間ほど、高速料金は3000円くらい。そこから更に45分ほど車を走らせる。物件は昭和の木造住宅といった風情があり良かったが、実際に運転して行ってみると流石に遠かった。川が透き通っていて、山間の集落といった感じで寂しくはあったが自然の良い場所だった。温泉に入って、それから丹倉神社へ参って帰ってきた。熊野の夜の海に満月が浮かんでいた。不思議な砂浜の地形で、月の上にいるようだった。

そのあと東京へ戻った。その足で早稲田松竹で黒沢清『カリスマ』を観た。想像していたのと違う感じで、観念が先行しすぎていてつまらないと感じる時間が多かった。次の日はゆっくりしていた。引越しの期限が迫っていたので内心焦ってはいたが、なかなか作業に取り掛かれなかった。カフェに行って、読書と研究をする。どんなにやることがあっても、この時間を取らないと落ち着かない。それをやりたいという自分の心の奥の声に従ってみる。夜には写真のカットや額装作業をした。その次の日から、高円寺で小さい展示を行う予定になっていたので、それに合わせて夜中まで作業をした。展示は結構うまく行って、いくつかの作品が売れた。夜にはインドで買ってきたスパイスでチャイを作ってみんなで飲んだ。

展示を終え、次の日にようやく引越しのパッキングを始めた。同時に、インドでの留学の奨学金申請も並行してやらなければならなかったのだが、読みたい本もあり、日中はスタバで読書と研究などしていた。夜に家に戻ってとりあえず本を箱に詰めた。服も主要なものだけダンボールに詰め込んだ。それで一通りできたことにして、その日は眠った。次の日、働いていた大学の実習で横浜トリエンナーレへ行くことになっていたのだが、引越し準備で時間がなかったのでいくのをやめようと思って朝、教授にメールをした。それですぐに返信が来て、なんとなく懐かしくなって、先延ばしにせずにやっぱり行って挨拶しようと思った。朝から午前中、また一通りのものをパッキングして、身支度をして11時に家をでて横浜へ向かった。横浜トリエンナーレはそれなりに面白く、行って良かったと思った。アンナ・マリアという、ウィーンから来ている博士の学生とも仲良くなった。彼女はウィーン大学から法政に留学していて、日本のコミュニティアートを研究したいと言っていた。夜は桜木町駅の地下街で飲んで解散。帰って、そのまま寝た。

その次の日、インドの奨学金は結局国立大学でないと応募できないと知り、別のものを探すことに。日中は引越しの準備をする気が起きず、読書をしたり、PC作業をしたりした。小平の街を自転車で走っていて、初夏の気候と自然がとても気持ちよかった。「小平ふるさと園」という場所も発見して、開拓時代の藁葺き住居が公開されていて興奮した。小平のうどんはとても美味しい。昼に食べる。

引越し当日、結局15時の引き取り直前までパッキング。物が多くて運び出すのに3時間以上掛かった。疲れ果てて近所の温泉に。夜、家でケイスケに会って、一度は行くのを辞めとこうということになっていたのだが、急遽明日一緒に前橋へ行くことに。バスの日程を変更して、その日はとりあえず解散した。

31日、朝から車で前橋へ。前橋までは下道でも2時間半ほどしか掛からない。途中でもつ煮込み定食を食べた。前橋に着いて、まず目に着いたのは川と柳の木だった。6、7メートルほどの小ぶりな川の横に、柳の木が何本も植っている。その葉が風にそよぎ、川の流れとともに優雅に揺れている。人が少ない、というか人影がない。中央前橋駅の周りは廃墟のようなビルになっており、そこにただその川だけが蕩々と流れている。その風景に、それだけで不思議とただ心を打たれた。心の底の方が鈍く揺さぶられるような安心感を覚えて、その時点で来てよかったと思えた。川沿いを歩いていくと、萩原朔太郎記念館に行き着く。朔太郎は38歳頃まで生まれ故郷である前橋にいた。出生地では、その作家の詩情をよりトータルに感じられる。前橋の街のある種の波動、それと作家の言葉が共鳴して、より心を静かに強く揺さぶる。朔太郎はニーチェのような、影がありながらも鋭くクールな詩人だ。一つの街にこのような人物が生まれ暮らしたというただその事実、歴史が、死後何年にも渡って街にこのような豊かさをもたらすのだと思い至った。確かに、ドイツの街などにいくといまだにゲーテやニーチェのゆかりの地が街に誇りと豊かさをもたらしている。

その後、商店街を散策して、いくつかの古着屋やカフェに寄った後、アーツ前橋のwrittenafterwordsの展示へ。山縣さんの創作については以前からずっとリスペクトを持って見つめていたが、それが十分に表現されている展示だった。幼児、怪物、神話、民俗、歴史、それらを「ファッション」という枠を押し拡げて誇大化していく形で、あるいは意図的にその境界を飛び越え、また戻りという往還運動をすることによってギリギリの境界上で新しい地平を開くこと。石上純也が建築でやっていることとも近いと感じた。その後、商店街や川縁を散策して、グルマンカレーという店でカレーを食べて帰路。グルマンカレーの店主は、昼間カフェでたまたま居合わせて話しかけてくれたがとてもいい人だった。夜は巣鴨の友人の家に泊まる。

そんな感じで、5月が終わった。一旦ここで日記終わり。

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