眼差し

noteの公式Twitterで企画が紹介されているのを一目見たなり、私のための企画じゃないかと慣れないエッセイを書くことを意気揚々と決意したのだが、いざ筆を取るとなると迷ってしまう。

というのも、多すぎるのだ。深い思い入れのある先生というのが、私には。初めて私のことを叱ってくれた幼稚園の先生。数字の数え方をくだらないギャグで教えてくれた、側転の得意な小学一年生の時の担任。世間知らずで生意気な私のことを何回も怒鳴ってきた、だのに家庭訪問ではたくさん褒めてくれていたという、スヌーピーを昔「ヌスーピー」と呼んでいた小学二年生の時の担任。母親のような、なんなら同級生の男子もうっかり「お母さん」と口を滑らせたことのあるほどそれっぽい小学三年生の時の担任。先進的で面白い授業や指導で毎日学校に行くことを楽しみにさせてくれていた小学校五、六年の担任。……中高一貫校の二回生の時に出会い、担任になったこともないのに一番どうしようもなかった時期の私の話を何度も聞いてくれて、今でも年賀状や「誕生日おめでとう」のメールを送ってくれるちょうど二十歳差の女性の先生(今この一文を書いただけで泣きそうになる始末である。これは本当に、書きたくてたまらないのに当分は書けない人になるだろう)。彼女と仲が良く、かつ私が所属していた管弦楽部の副顧問でもあったことから部活終わりのだべりによく付き合ってくれていた先生。
そして、高校生の頃から三年間ずっとお世話になっておきながら、裏切ったきりの管弦楽部の顧問。
ほら、今ざっと要約して挙げただけで八人もいる。諦めてあたたかい思い出の濃い方だけを挙げているのだが、苦いそれも含めるとさらにもう少し書けてしまう。おかげでとんでもなく前置きが長くなるじゃないか。

私はそれほどに「先生」という存在との関わり合いが強い少女として、学生時代を生きてきた。生徒同士の愚痴の言い合いの格好の的となりがちの先生たちのことを、何故か嫌いになれなかった。中には苦手だと思う先生もいる分にはいたのが、彼らと話すことすらを楽しんでいた。なんだか、RPGをやっている感覚で相手していた。「はい」か「いいえ」の選択肢が見えていて、分岐先も割とくっきりと想像できて。選択肢が全て理不尽である場合もあるものの、ある意味こちらの思い通りに利用しやすい。私には彼らのような模範を求めることで成熟さを保つようになったらしい大人を相手する方が、未熟者で諦めの悪い者どうしの同級生よりもまだ気楽だった。
と、まあ。若干の見下しが存在していたわけである。私は結構打算的な付き合いを企てたがる人間なのだ。学生時代は特に、同級生と付き合うよりは先生と仲良くしといた方が便利なことが多いだろうといった考えをしがちだった。そういう悪い心持ちで接し始めたはずが、逆に絆されて後々後悔するという経験も複数あったのだが、まあそれはまた別の機会があれば話すことにする。
そして私は彼らのことが好きだったもう一つの理由が……

さて、前置きが本当に長くなってしまった。というわけでいろいろ考えた結果、今回は私が「先生」という存在に信頼感を抱くきっかけとなった幼稚園の年長組の時の担任の先生について話すことにした。なんせまだだいぶ幼い頃の話になるので記憶があやふやではあるのだが、まあそこは適当に補わせていただこう。
考えてみると、今回のお題は「『忘れられない』先生」とのことである。「一番好きだった先生」でも「印象に残っている先生」でもない。
このお題を書くのなら、彼女が最も近しいかもしれない。


「年長組の時」と言ったものの、彼女と最初に出会ったのはその一年ほど前。年中組の頃のある日のおゆうぎの時間のことだった。その時期うちの幼稚園には同じジャージを着た若い先生たちが数名いた。いわゆる研修生の段階の人たちだったのだろう。彼女はその一人だった。

その日も私は他の園児と共に園庭を駆けていたのだが(なんて言いつつこの幼い時分から私は運動オンチと嫌われ者のアビリティを存分に発揮していた自覚があるので、実際には皆の後ろできゃんきゃん騒いでいただけだったんじゃないかと思う)、途中何かの拍子で前のめりに転んでしまった。園庭の割とど真ん中であったような気がする。まあ見事に右膝を擦りむいて、まだ恥もへったくれも知らなかった私はその場で大声で泣きに泣いた。
そんな私の元に真っ先に駆け寄ってきてくれたのが彼女、I先生だ。
園庭の隅の足洗い場で血と泥で汚れた膝を洗い流してもらう。私はまだぐずっていた。そんな泣き虫の様子に彼女は、一度保健室に連れていくことを諦めることにしたらしい。洗い場の傍で、私と一緒に並んで座り込んだ。

その時間が何故だか、私の頭の中に存在する二番目に古い記憶であり続けている。

記憶の中の彼女は何か私をなだめる言葉をかけることはなかった。感覚として残っているのは、視覚だけ。隣でただ体育座りをする彼女の研修生共通のジャージの薄青緑の色と、彼女の眼差し。これもまた、視線の先にいたのは私ではなかった。
まっすぐ、園庭で遊び続ける園児と先生らを見ていたのだ。
それが、心地よかった。寂しさとか、不快感とかは全くなくて。見限っているものではないと思ったから。彼女は、前を見ていたのだ。にぎやかな園庭を。わたしの、本来いるべき場所を。やがて傷が癒えたら、帰ってゆけるように。
その眼差しは、自分の泣く様をじっと見つめて慰めてくる眼よりも、ずっとやさしさを感じられた。

彼女の横顔を少し下から見ているうちに、だんだんと涙も痛みも引いてきた。涙の渇き出したころに彼女がこちらを見て「もう大丈夫?」と訪ねてくる。
「うん」
一緒に立ち上がって、保健室に向かう。大した傷にはなっていなくて、簡単に消毒と絆創膏を貼ってもらうだけで済んだ。部屋を出て、園庭に戻ってくる。「ありがとう」と、幼い私はちゃんと言っただろうか。「じゃあね」と手を振る笑顔にコクリと頷いただけだった気がする。
ただ、それまでもたらされたことのない、不思議なあたたかさが胸からにじみ出ていた感触だけは残っている。
あのせんせい、すきだなぁ。

一年後、彼女が担任の先生になると聞いたときはとても嬉しかった。
正直覚えていることはほとんどないのだけれど、素敵な先生だったと思う。心地よい距離感を知っている先生だった気がする。少し遠くからみんなを見守っているような。そう、彼女はあの幼稚園の中で私がであった人の中では最も印象的な眼差しの持ち主だった。お泊まり保育の二日目の朝、みんなより早く起きてしまった私と同じベッドで眠っていた女の子二人に「おはようございます」と囁いたときの眼、卒園式で一緒に撮ってくれた写真の細めた眼。特別な輝きを、私は度々彼女から感じていた。
今振り返ってその正体を言葉にするのならば、大人の眼、だったのだと思う。初めて知ったその眼は、私に確かな安らぎを与えてくれた。


そういった思い出が物心つく頃からあったためか、私は「先生」という職業の人をずっといいものとして捉えていた。傷ついたときにそばにいてくれる、信頼できる存在だった。なんなら「先生」になりたいとすら、一時期は思っていたし。
結果それは全ての先生に当てはまる見方ではなかったが。それでもこの見解は、決してあって損なものでなかったと思っている。みんなが毛嫌いしがちな先生という人に私は少し耐性というか、寛容な気持ちを持って接することができていたのだから(言い換えても存外失礼な言い方である)。
そもそも「先生」というのには、子供が思うほどにひどいやつはそうそういないと思う。いや、本当にどうしようもないヤツはいるけども。だけれど割と面白い。責務とか諦めとか、あるいは自らの理想を示さんとする個人の意思というのが、仲良くしてみるとちらちらと垣間見えることがあって、それは彼らがものを教える子どもの思考と大して遠くないように感じている。

学生時代の私の持っていた信頼感の特別さに関しては、行きすぎていて危うくもあったと思うが……
けれども私は、今も彼らの眼差しに感謝している。彼らがいなければ、私は創作もしていなかったし、うまく生きていたかどうかすらもわからない。

偉大な人たちだと思う。あの年頃のものを知ったふりをしたガキなんて本当に面倒くさいはずだ。親にも変なのがよくいるし(こっそり付け加えると「先生」よりも「親」の方がよっぽど厄介だと私は思っている。なんたって資格がいらないから、より無責任なのが多くなるのだ。まあ大方親の親がどうしようもなかったのが悪いんだけどさ。キリがないんだけどさ)。その二大だる人間に挟まれながら、さりげなく手を差し伸べてやるというのをできる人は、本当に尊い存在じゃあないだろうか。

私は教師になる道を早々に降りてしまったけれど、これからも彼らに関わる話は関心を持っておきたいし、描いてみたい。そして。

ああ、そうだ。これは今日の主役にさせていただいた彼女とは全く別の、小学五、六年生の頃の担任の話になるのだが、彼が卒業式に贈ってくれた言葉にこんなものがあった。

「先生のことは、忘れてください」。
あの頃が一番楽しかっただなんて思わないでほしい。この先の未来でもっとたくさん、より大きな喜びに触れ続けていてほしい。
そういった願いなのはわかる。当時だってなんとなくは、わかっていた。正しいんだろう。「先生」だからこそ言えることばだ。

けれども。
今が幸せだったって、彼らとの思い出を置いてゆく必要はないと思う。
私は彼らのことを、ずっと忘れたくない。


生徒という立場を過ぎ去って数年。穏やかに送り出してくれた彼らの眼差しを時折思い出しながら、私は今日も、明日のことを夢見たい。

私の物語を読んでくださりありがとうございます。 スキやコメントをしてくださるだけで、勿体ない気持ちでいっぱいになるほどに嬉しいです。うさぎ、ぴょんぴょこしちゃう。 認めてくださること、本当に光栄に思っております。これからもたくさん書こうと思っておりますので、よければまた。