液晶の外より祈る

※東日本大震災を題材にした物語です。当事者の方にとっては特に不快に思われる可能性のある表現が含まれています。予めご了承の上お読みください。

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「4さいの絵本」という、とても気に入っていた本が一冊ある。季節の花だとか車だとか、いろいろな分野のものごとを学習できる知育絵本で、幼い頃の私はそのさまざまな写真や絵に目を輝かせていた。惑星の並びを覚えたのもこの本からだった。
その中にあった一つの読み物が、特に心に残っていた。「でも、なかないよ」。「ちこちゃん」という女の子が道端で転んで泣いてしまいそうになるのだけど、同じようにこねこの「みみ」とこいぬの「じろ」が怪我をして泣いているのを見て、自分は泣かないと二匹を励ますお話で。
だって、ちこちゃんは……

十年前。私にとっては、まだSNSにも興味のなかった頃に起きたことだ。学校から帰ってソファに寝転がっているときに帰ってきた父が「東北が大変なことになっとるらしい」とテレビのリモコンを手にして言ってきたことで初めて、その出来事を知った。トーホク。おまけに社会の授業で習ったということ以外に思い入れのない単語で、この時点に至っては「ふうん」という薄情な感想しか抱くことができなかった。
電源を点けた瞬間にその光景は映っていた。見たことのない景色だったが、見ただけでその通り大変なことが起きていることはわかった。アナウンサーが緊迫した声でカメラが追っている風景を報じたり避難を促したりするのを聞きながら、下のテロップに「東日本でM9.0の激震 津波で壊滅的被害」などと記されているのを読んだ。「ひでえ……」「地獄じゃ……」と少し震えた声で呟く父を横目に、私は確かにその灰色が家々や車を呑み込む様に驚きはしていたが、あまりに自分の現実と結びつけがたかった世界だったせいか、恐怖や胸の痛みは感じていなかった。

大規模な震災を体感した経験が、私にはない。いや、地震どころか豪雨など別の災害にも甚大なものには見舞われたことがなかった。幼稚園児の頃一度だけ、住んでいた地域で大きめの地震が起きたことはあったが、その時でさえ私たち家族はちょうど旅行に行っていたために実際に目の当たりにすることはなかった。
恵まれている、そう思われても異論はない。事実、私はとにかく運が良かった。災害もそうだが、大きな怪我や病気もしたことがない。晴れ女だし。先生運とか、そういう類の引きも強かったし。
私は間違いなく、恵まれていた。
……世間の目から、見れば。
毎年この日が近づいてくると、「被災地のいま」なんてタイトルのついたドキュメンタリー番組が多く報じられるようになった。ショッピングモールでは募金箱が置かれて、時には抱えて立っている人もいる。
私は一年に一度ほどの頻度で思い立って、百円玉を放り込む。それだけ。被災地でボランティアをしようとまで思うことはない。テレビで瓦礫の山や被災者の顔を見れば、チャンネルを変えてしまう。
現実というものの存在がわかるようになって、見るのも辛いと思うようになったから。ではない。そういう逃げ腰の思考の方がどんなに可愛らしかっただろう。あの頃の何も知らない私の無関心の方が、どんなにかやさしかっただろう。
この強運は、私にとっては悪運で、呪いだった。
ボランティアや募金を呼びかける有名人を、「自分たちにできることをやろう」と声をあげる教師を、どこか冷ややかな目で見てきた。

私は、被災した過去に今も苦しめられている人たちを、羨ましく、思ってしまうのだ。


二〇二一年二月十三日。この夜私は、とあるお気に入りのYouTuberのゲーム配信を見ていた。SNS、テレビやYouTube。今では私にとっても生活に欠かせないものになったものだ。何か媒介するものが存在する関係ばかり好むようになった。生身で触れられないことから、ことばなり芸なり何なりで、互いに自分の輪郭をある程度ごまかせるというのが面白かった。時には互いの武装に身を委ねたり、時にはそいつにひびを入れてやろうと企んでみたり。文章もテレビも、そういう点で私にはよく似通ったものだった。私が人と安心して繋がるためには、少しの嘘が必要だった。
シューティグゲームの配信だった。銃弾や爆弾の雨。飛び散る敵。リアルであったら発狂ものだろうに、ゲームだと大体の物事がエンターテイメントになってしまうというのは、考えてみると奇妙なものだ。YouTuberの彼らもいつものように、のんびりと仲間と会話をしながら銃をぶっ放していた。
二十三時八分。配信動画では、一時間を過ぎたあたり。
キュオンキュオンキュオン。
突如、イヤホンからサイレンが聞こえた。
キュオンキュオンキュオン。地震です。キュオンキュオンキュオン。地震です。
「うわぁっ!」
ごご、がたがたっ。
画面越しの、ゲーム音さえも上書きするほどの、大地が揺さぶられる音がした。


本州の左端の田舎。何もないというか、とにかく中途半端な街。ここが私の故郷だ。ショッピングを楽しめそうなデパートもないし、唯一ある遊園地も、いかにもちゃちなアトラクションしかないこじんまりとした施設で。これで自然の美しさってヤツがあればまだいいのだけど、星が綺麗だなとか、歩いて海や山を見たいなとか、そういうのを思ったことも一度もない。災害は本当に起きないのだけど、有名人のイベントや大掛かりなエンターテイメントが提供されることも、盛んなスポーツや文化活動もない。
そんな街で、私は脆く生きてきた。親がいないとか、凄惨ないじめに遭ってたとか、劣悪な環境下にいたわけではないけれど。とはいえ並よりはいろいろ虐げられていて。とはいえサスペンス映えするほどの悲劇というのもなくて。仲良くしてくれた人だって少数だけどちゃんといたし、守ってくれる人もいて。だけど頼られることの方がずっと多くて。必要とされていることが、生きがいにも重荷にも感じて。みんなが信じてくれている私と、裏でそんなことを思っている私があまりにもかけ離れているのが許せなくて、ちゃんと近づきたくて必死で。だけど一人で疲れてばかりで。やっぱり自分が嫌いで……
そういう宙ぶらりんなところにずっと私はいた。この街と、よく似ているのかもしれない。

「世界には学校に行きたくてもいけない子どもがいます」だの「世界にはもっと辛い思いをしている人がたくさんいる」だの、CMや教科書が貧困に苦しむ子どもの写真と共に使うような決まり文句が嫌いだった。だからなんだと言うのか。私よりもうんと苦労している人がいるのはわかる。だが、だからその人の分まで生きろというのがよくわからなかった。どうして? 顔も見たことない他人のために? 毎日毎日、自分の苦悩を器用に押しやってまで? 私が哀れんで「よし彼らの分まで頑張ろう」なんて拳を握ったところで、それを知る術もない彼らにとって何の足しになる? 私ならむしろはた迷惑に思う。勝手に公の場で不幸の代表として広められて、赤の他人に自分の悲しみを背負われるなんて。私なら、知らない人間の人生に影響を与えたくはないし、与えられたくもない。
そもそも。
世界から見て恵まれている人間は、学校に行きたくない、生きていたくないと思ってはいけないのか。苦しみって、みんなの見えるところにだけあるものだろうか。
不幸ならば、弱ければ、哀れまれておけばいいのか。幸せならば、強ければ、何もかも我慢しなければならないのか。
それならば、私は。


チャットが一斉になだれ込んでくる。
「大丈夫?」
「すごい揺れだった……」
「怖い」
私のところは、揺れていない。
そのうち、配信中の彼らを案じる声が増えてくる。視聴者の人数も増える。「〇〇さんたち、ご無事ですか?」。みんな心配して見にくるやん、彼らのリーダーがぽつりと言った後、
「大丈夫だよ」
と答えた。うん、大丈夫。みんなは? くだらないギャグまで挟み込んで。穏やかなその声は、いつもと変わらないようで。だけど、こちら側に、自分自身にしっかりと言い聞かせようとしている気配もあって。かすかに、震えて聞こえて。
ツイッターも、「地震大丈夫」「トラウマ」といったトレンドで埋まっていく。フォローしている人たちからも「無事です」とか「自分の命を一番に守る行動を」というツイートが届く。震源は福島県沖で、十年前を思い出すような揺れだった、とも。
「また福島か」
メンバーの一人もそうぼやいていた。進行中だったゲーム画面で爆ぜる銃弾や爆弾が、急に、少し恐ろしくなる。
家の明かりが落ちたメンバーもいて。終了した部屋を出た後、数人が状況の確認のために画面の前から一時離脱していく。配信中止にした方がいいかな。リーダーが言う。「やっていてもらった方が気が紛れる」「でも皆さんの安全が心配」「一人にしないで」。
「この辺りにずっと住んでると、なんかさ、麻痺しちゃうよね」
苦い笑いが混じった声で彼が呟く。
被災した地域からうんと遠くにいるはずの私は、何も言葉を発せずに、ただ呼吸を荒くして震えていた。
この立場だ。この立場が、嫌だった。彼らが感じた恐怖を、真に共有することができないこの立場。喜びにも悲しみにも、この街は常に蚊帳の外に追いやられているようだった。
どうせ苦しいのなら私だってこういう、誰にでも理解してもらえるような痛みがよかった。こんな、ガラスの向こう側でしか誰かの悲しみや喜びを見ていられないのは、寂しかった。私だけ置いてけぼりのまま胸のうちを許されていないようで、恨めしかった。


あの物語のことを忘れられないでいるのは、違和感が少し、しかしくっきりと、しこりとしてこびりついていたからだと思う。
三輪車に尻尾を踏まれたみみとブランコに落とされておしりを打ったじろに、女の子はこう言うのだ。
「ほら、ちこなんかちがでてるんだ。でもなかないよ。おねえさんだから」
でも、の後が、不思議というか、嫌だった。自身が実際に姉であったのも少なからず関係していたのだろう。どうやらこれは、私も見習わなければならないことらしい。でも、どうして?
おねえさんだから。だから?
だから?
おねえさんは悲しいときも、自分より小さいものの前で泣いちゃいけないの?
どうして?

どうして、私たちは生きていかなければならないのだろう。吊るされたてるてる坊主みたいな気持ちで、中学生の頃からそんなことを思ってきた。どうして、生きる理由を探してまで、生きねばいけなければならないのだろう。誰も、まともな理由を言っちゃあくれなかった。
だが、とにかく世間一般のご意見では、自分で死を選ぶなんてのは間違いなんだって知ってるから。道徳の授業で習ってるから。なんだかんだ私は恵まれている方だし。私の価値は、一部の人にとってはなかなか高いらしいっていうのも、知っているから。気の毒だから。
私が死なないでいる理由は、それくらいだった。別に私が生きていたいわけではない。楽しみも好きなこともあるけれど。多分みんな、とりあえず生きていくために捕まえておいたもので。「死んでいいよ」と言われたのなら、大して躊躇なく手放してしまえそうで。
病気か、事故で死んでしまいたかった。自分ではなく、近しい人でもいい。家族を悲しい事情で失って。あるいはいじめか、凄惨な虐待か。ああそれなら仕方ないなと人様に思ってもらえるような、死ぬ権利が欲しかった。
それが、私の「羨ましい」の正体。テレビの向こうの悲痛な声が、この想像力じゃちっとも足りないほどに苦しい思いをされているのはもちろんわかっていた。わかっているからこそ、辛いと言えるその正当な権利を、横取りしてしまいたいのだ。
酷い人間だ。自分でも、こんな腐った目でしか悲しみにくれている人を見ることができないのが、申し訳なくてたまらなかった。
ほら。こんなヤツ、死んでしまったほうがいいじゃないか。
ほら。
そうやってまた意地汚いところに持っていって、死ぬ権利を求めている。


「悪い意味でテンションが上がった」
不意に例のリーダーが言った。
最初、私は少しぎょっとした。
「テンションというか、興奮する? わからん」
まずい、と思った。
「アドレナリンというか、ね」
仲間の一人が返す。フォローの意味もあったのではないだろうか。SNSに入り浸っていると、公で発すると問題を起こしかねない一言というのがなんとなく予測できるようになる。脳内のその私のデータが「これは、ことば足らずだ」という危険を瞬時に弾き出していた。悪と、受け取ってしまう人がいるのではないか。
「ちょっとそれは不謹慎なのでは」
幸いにもそれだけしか見られなかったが、そういったチャットが懸念通り一つあった。これは、無理もない感想だと思う。
でも。
本当は私は、こう受け取っていた。
高揚感。渦中に立たされたからこその、奮い立つ心。
ねえ、聞いてほしい。
私は、その一言で勇気を溢れさせていた。
あなたの、負けないぞって声を、どんなエールよりもはっきりと聞いた気がして。
何か、拒絶してきた大切な何かを、私ははじめて受け入れる覚悟ができた気がしたのだ。

3.11。あの地震で友人を、家族を失ってしまった人たちがたくさんいて。それでも時間は止まっちゃくれないから。生きていくためには、一生塞ぎ込んでいるなんてことはできなくて。
あの時、泣きたかったのに泣かなかった人が、きっと大勢いる。「大丈夫?」に「大丈夫」と傷を隠して答えた子どもが、何人も、何人もいるのだ。
貧困や災害に苛まれる声にはひねくれた寂しさを感じていたはずの死にたがりの私は、この事実に気づいた途端にようやく、息ができなくなるほどの胸の痛みを感じた。
あれほどの理不尽に日常を壊されても、先も見えないまま、進み続けた人たちがいた。そうしなければならない理由も、波に奪われたまま。
それでも、ただ生き続けなければと、彼らは耐えた。理由を置き去りにしてでも、彼らは負けなかったのだ。
なんて、尊いことなのだろうと気づいた。
赤の他人だ。生きようが死のうが、やっぱり互いに関わりようのないことだ。なのに。
あなたたちが負けないでいたことが、どれだけの人の折れかけた心を救っただろうか。


二月十四日、日付をまたいだ真夜中。私は無性に懐かしくなって、部屋の本棚に行ってあの絵本を開いた。惑星の話も読み返しながら例の読み物のページに辿り着く。覚えていなかった結末があった。
「それから、なかよくてをつなぎ、おかあさんのところへいって、おそろいのばんそうこうをはってもらいました」
なんてことはない。想像に難くはない一文。そんな物語のおしまいの一文に、私は何故か、とてつもない安心感を覚えた。
女の子が泣かないでいられたのは、自分の他に泣いている子がいたからというだけではないと気づいた。お母さんが、自分を守ってくれる人も、いたからだ。いざとなったら大声で泣くのを受け止めてくれる人がいたから女の子は、少しの間だけ強がっていられたんだ。

赤の他人のことを心から救うことなんて私にはできないし、こちらも救われたことはない。だから、ごめんなさい。羨ましさは、今も否定することができない。
でも、私たちは遠くにいるものどうしであっても同じなんだっていうのだけは、少しわかるようになった。
私は、生きている。自立した理由はないままだけど。けれども、生きている。生きていてほしい人がいる。生かしてくれる人がいる。遠くにも、液晶の外にも、そんな人を見出すことができるようになっている。
遠くにいるあなたたちも、そうなのだろう。生きている。理由は、決まっていないのかもしれない。大切な人も、失ってしまったのかもしれない。けれども、負けずに。そして、もっと遠くへ行ってしまった人たちも。負けたくなんて、なかったはずだ。
寄り添っても、いいだろうか。あなたたちの前にいるにはあまりにも愚かしい、私でも。あなたたちと、同じでいたい。あなたたちが生きているのなら、私も生きていようと、思いたい。
そして互いに、自分だけの生きる理由が、いつか、もう一度、見つかるといいなと、未来の方を向いてみたい。

突然のアクシデントに巻き込まれたYouTuberのリーダーの彼は、あれから仲間と少し話し合って、再びゲーム画面の「始める」のボタンを押した。

進むことを選んだ彼らに、あなたたちに、その隣にいた人たちに。液晶の外より今日、浅ましく、感謝と祈りを捧げる。

私の物語を読んでくださりありがとうございます。 スキやコメントをしてくださるだけで、勿体ない気持ちでいっぱいになるほどに嬉しいです。うさぎ、ぴょんぴょこしちゃう。 認めてくださること、本当に光栄に思っております。これからもたくさん書こうと思っておりますので、よければまた。