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愛に証明はいらない

「結婚」という言葉を聞くと、婚約指輪や両親への挨拶に、結納。ウェディングドレスに披露宴、とイメージが膨むわたしたち。

ところが、わたしたちのした結婚イベントらしいことは、二つだけだった。

「高い崖から手をつないで、湖に飛びこんだこと」

「自宅の庭でバーベキューをしたこと」

事実婚がほとんどのフランス。結婚という法的な手続きを踏まずに、愛があれば、子どもを産み、育て、家族として一緒に暮らす。愛が冷めてしまえば、互いの人生の幸せを第一に、他のパートナーとの新たな生活を始める、という感じのカップルが周りには多い。

だから、腹違いの兄弟姉妹が一緒に暮らすのはよくあることで、子どもたちは、「今年のクリスマスは(実の)お母さんと、そのボーイフレンドの家で過ごすよ。来年は(実の)お父さんととそのガールフレンドと旅行に行くの」みたいなことが、ごくごく当たり前に行われている。

「お父さん、お母さんそれぞれの人生だから、彼らの幸せを祈ってるし、彼らがベストだと思うチョイスをしたことを尊敬してるの」そう答える、子どもたちの姿がとてもたくましい。

AさんとBさんがもともとカップルで、Cちゃんという子どもがいる。AさんとDさんが付き合いはじめて、奇遇にもBさんはDさんの元奥さんとデートをし始めたよ。Cちゃんはお母さんと過ごしているけれど、お父さんのところには、週末遊びに来ているよ。

とか

EさんとFさんの間には二人子どもがいる。FさんはGさんが、一緒に住み始めて、EさんはHさんという人を見つけたんだって、よかったね。子どもたちは週替わりで、見ているらしいよ。

みたいな感じだ。

中には、法的な手続きをとるカップルもいるのだが、わたしが最近聞いた数件は、「子育てを終え、長年伴侶として連れ添ってきた熟年カップルが、子どもたちへの財産の相続などに備えて結婚する」という話くらいだ。

だから、結婚という手続きを踏んだ上で、戸籍上の家族となり、出産をする、という形式と順番を大切にしている日本人の両親を持つわたしと、自由と博愛の国からやってきたフランス人の夫との間で、「結婚」についての考え方を互いに説明しあい、理解する必要があった。

未だに、ふんどしを締め、日本刀を磨く父と、日本の慣習や儀式を大切に伝承する母、そして自由と博愛の国フランス人の夫との間で、「わたしたちがどういう風に、家族としての形態を持っていくか」を説明することは簡単ではなかった。

「愛を公的機関や、神に証明する必要があるかな?二人が愛し合っていれば、それでいいと思わないかい?」

とのんきに語る夫。わたしも、形にこだわるタイプではないので、事実婚でもいいし、遠距離結婚でもいいし、いずれは家族が一緒にいられればいいかな、とのんきに構えながらも、

「結婚というのは本人たちだけでなく、家族も巻き込むことなのだから、結婚という形をとって、周囲に対しても形を示し、けじめをつけることが大切ですよ」

「イクコは破天荒だから、もう何があっても驚きはしないけれど、物事には順番があるのだから、結婚・出産という順番を守ってほしかったわ」

という両親の思いにも「その気持ちもわかる...」とうなずきながら、

夫と両親に「Thank you 」とか、「感謝しています」など、いい言葉を自分なりに付け加え、うまく通訳をアレンジして、双方が合意できる形にもっていったのだった。

〜つづく〜







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