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あかんたれ新米教師が教師を辞めずにすんだワケ

私が新卒22歳で高校教師になったのは、今から37年も前のことです。

1年目の私は目も当てられないひどい教員でした。
今から思うと顔から火が出ます。

授業計画が間に合わない
生徒が見えていない
授業が成り立たない
授業以外の仕事の段取りも悪い
そのくせ生意気で融通が利かない

ASDの特性がある、と自分で思います。

そのあかんたれ具合は、こちらにも書かせていただいております。

こんな私が辞めずに続けられたのはナゼナンダロウ?

そんなことを考えたきっかけは、昨日(6月18日)の朝日新聞朝刊の記事です。

この記事は、新人教員の離職に悩む東京都教育委員会が、採用から3年目までの教員を対象にアンケートを行った結果をもとに構成されています。

都教委はこの調査結果を『教職員のためのコミュニケーションガイドブック』にまとめ、「相手の困り感に共感し寄りそう」「頑張りに目を向け、具体的な行動を評価する」などの助言を記載したとのこと。

こんなことをガイドブックにしなければならない状態にまでなってしまっているのはなぜなのか、
都教委は、文科省は、政府は、考えたことがあるのでしょうか?

37年前、先輩方は、何もできない上に生意気な私に寄り添い、丁寧に、あきらめずに、具体的に教えてくださいました。

私の指導力のせいで授業が成り立たないときでも、決して私を責めることなく、授業の心構えや技術を教えてくださったり、主だった生徒にさりげなく、「○○先生に協力するんやで」と伝えていてくださったり。

そして、「困った時にはいつでも相談しにおいで」というオーラを発しておられました。

保護者さんからお𠮟りを受けたときも、先輩の先生が間に入ってくださり、前向きにおさめてくださったことも一度ではありませんでした。
さらに、落ち込む私を「大丈夫。若いうちはこんなことしょっちゅうあるものよ。年取ったらできるから」と慰めてくださいました。

何年前からでしょう?
学校現場にこのような雰囲気がなくなってきたのは。

私が16年間勤めた高校から支援学校に転勤した頃(今から20年ほど前)には、まだその雰囲気はありました。

我が子のおかげで障がいについての勉強はしていましたが、「支援教育」、しかも「小学部」という世界で働くのは初めてだった私に、先輩方は、それはそれは丁寧に教えてくださり、失敗の尻ぬぐいもたくさんしてくださいました。

しかしその後でしょうか。

教員の人事評価制度が導入され、
職員会議は校長の諮問機関となり、
教員免許更新制ができて、そしてなくなり、
採用計画の失敗から、教員の年齢バランスが大きく崩れ…
学校は様々な課題を背負わされ、
仕事はどんどん増えていき…

学校には余裕がなくなっていきました。
新人教員を育てるだけの余裕はありません。

私が今の時代に新米教師だったとしたら、
続けられずに辞めているでしょう。

教員採用試験の時期を早めても、何の意味もないのは明らかです。

Z世代といわれる世代のみなさんはすごい、と私は思います。
上の世代にはないものをお持ちです。

仕事とプライベートのバランスを取るということ
多くの情報から、本当に必要なものを選び取るということ
自分の活かし方を知っているということ
呼吸するようにICTを使えるということ…

是非、若い方々の力で、新しい教育現場を作ってください。
そこにしか希望が見いだせないのです。





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