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支援学校の教え子が、教壇に立っていた!

BMX競技の中村輪夢選手のニュースを見て、支援学校勤務時代のある生徒さんのことを思い出した。

小さいときからBMXをやっていて、「BMXだけでやっていく」と言い切って就職などせずに卒業していったSくん。
私も含めて支援学校の教師たちは、「一応就職もしておいたらどう?」とお節介なことを言っていた。

けれどもしばらくすると、Sくんは本当にBMXだけでやっていけるようになっていた。
そんなある日、Sくんが大事故にあって生死の境をさまよっているという連絡があった。

職員室のときが止まったようだった。

その後、私は転勤し、彼の様子を聞くことがなかった。


もしかしたらその後の様子がわかるかも、と思ってネット検索してみた。

すると!

出るわ出るわ、Sくん=志賀勇也くんの記事!
ウイキペディアにものっている。

ヤフーニュースでも話題になっている。  

ヤフーニュースの記事から引用

自動車に乗っていたんですけど、車は大破。車体がくの字に曲がって、救急隊員の方も僕が車のどこにいるのか、すぐには発見できないくらいの事故でした。この時点で、まず、生きていたことが奇跡だと言われました。

 大阪大学医学部付属病院の高度救命救急センターに搬送されたものの、脳からの出血が止まらず、命がどうなるのか全く見えない状況で、約1週間、意識不明が続きました。意識が戻っても、くも膜下出血に加え、頭蓋骨・頭蓋底骨折、鎖骨骨折、右腕骨折、左右骨盤骨折、大腿骨骨折など全身10カ所以上を骨折。さらに、右目も動かないし、まともに見えない状態で、全く身動きが取れませんでした。

 意識が戻った時は、体も動かないし、まだ声帯もマヒしていてまともにしゃべれなかったんです。お医者さんからは寝たきりの可能性も高い。もし立ち上がれたとしても、競技復帰なんてありえないと言われていました。その中なのに、なぜか、なぜか「絶対にまた乗れるし、前よりも、もっと良くなる」。そういう思いしか出てこなかったんです。自分でも、よくそんなことが思えたなというところもあります(笑)。でも、それはやっぱりBMXへの強い思いがあったからだと思っています。

もともと、子どもの頃から自転車の曲乗り的なことが好きで、自転車に乗ったまま階段を降りたり、ドリフトしたりはしていたんです。そこで母親が、それならば正式にというか、きちんとそういうことをやった方がいいと思ってくれて、BMXと出会わせてくれたんです。

 小さい頃からずっと病気がちで、3歳の時に川崎病と診断されてからは入退院も繰り返しながら、中学卒業まで毎日病院に通いました。そんな日々の中、最大の楽しみが自転車に乗ることだったんです。

 さらに、小学校高学年になってくると、文字の読み書きが遅いことを指摘されました。入退院を繰り返していたから、読み書きが苦手になったのかもしれないと思ってIQテスト的なものを受けたら、学習障害(ディスレクシア)だと。そこからは支援学級に入って、高校は支援学校に行きました。

 ただ、文字の読み書きが苦手な分、想像力や独創性は人よりも高いらしくて。自分でいろいろなパフォーマンスを考えて実践していくフラットランドの種目とは特性が合致したんです。もちろん、そんなに簡単にスッといくようなことではないですけど、いろいろな偶然や流れが合って、ここまで来ることができた。

 なので、僕にとってBMXは人生でなければならないものだし、これがなくなるのは絶対にありえない。その思いが強かったからこそ、体が全く動かない中でも、心には力がみなぎっていたんだと思います。

なんと、勇也くんは見事な復活を遂げていた!

そして、

なんと、高校で特別非常勤講師として教壇に立っていた!

上の記事より引用

「競技者としてはロサンゼルスオリンピック出場をめざしています。そして、多世代にBMXの魅力を伝え、日本中に普及させたいんです。」

そんな志を持ち、第一線で活躍する「プロBMXライダー志賀勇也さん」

箕面市出身で、箕面市特命大使も務めている。

志賀さんとの出会いは半年前。第一印象は優しく、謙虚な好青年。

しかし、BMXに乗ると戦う男に一変する。そんなギャップに魅力を感じた。

「BMXに乗れる場所は限られていて、実はみんな練習環境に困っているんです。」

そんな実情も語ってくれた。

「僕は数年前に事故で、選手生命の危機に立たされました。でも病院のベットで、俺は凄い奴になるって直感しました。」

そこかから、懸命のリハビリを経て、第一線に復帰。

こんな方に教壇に立って、高校生に関わってもらいたいと思い、箕面東高校特別非常勤講師に就任していただいた。

そして、5月28日に選択科目でBMXの授業を実施。

生徒たちは初めての体験ながら、本当に楽しそうだった。こんなに生徒たちが活き活きとした空間を作り出せる人はそうはいない。志賀さんだからこそ成せることだろう。

「BMX部を作りたいです。」

1年生部員が集まり、箕面東高校に日本初のBMX部が誕生した!

今後の活動が楽しみだ。

小さいときから病気がちで、学習障害もあり、そして大事故に合って、ぞれでも壮絶なリハビリを乗り越えて大復活を遂げた勇也くんはすごい。

大谷翔平選手や藤井聡太さんもすばらしいけれど、こんなに身近にも、同じぐらいすごい若者がいた。

そして、そんな勇也くんの力を信じて支え、見守り続けられたお母さんは偉大です!



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