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シャンパンタワーの上の人

シャンパンタワーの一番上が自分。
一番上が満たされて初めて、下の家族にも水が綺麗に満ちて行く。
最終的には一番下のグラスは地球だと。

この発想を離婚報告の動画で話していたチャンネルがある。

3年前、コロナ禍真っ只中に食い入るように見ていたカナダ在住の日本人家族チャンネルだ。
この家族はキャンピングカーでキャンプサイトを移動して生活していた。

こんな生活があったのかと…
こんな幼児でも連れて歩けるんだな…
私の子育てはなんて常識に縛られているんだろう…

目からウロコが落ち、ちょうど多動児の子育てにはキャンピングカーが便利だろうと思っていた矢先に見つけた動画だった。

そのうちに私の退職起業と、そんなタイミングでしばらくこのチャンネルを卒業していた。


ところが先日、なんのきっかけもなく突然思い出しのだ。
登録はしていなかったので検索したところで、前述の離婚報告の動画を見つけたという流れ。

このシャンパンタワーの例は、私は至極しっくりよく分かる。
なんなら上手い!わかりやすいぞ!と思ったくらいだ。

ところが、コメント欄を見てびっくり!
批判の嵐…( ꒪Д꒪)

ざっくり要約すると、シャンパンタワーの表現が、自分勝手なダメ男と評価されている様子。
妻子がいるのに自分を満たすとは何事か?と。

まあ多分、一昔前の三次元ゴリゴリにいた私ならそう思ったに違いない。

ただ、このチャンネルの視聴者は皆私と同じく、このフェーズを抜けた人が多いのだと思っていた。
なにしろ、子供と移動生活をしながらトレーラーハウスに住む決断をできる人は、他人の目など気にせず、潜在意識の声に素直に生きられる人なのだから。

多かれ少なかれ、自分にはまだ無理だとしても、憧れがあるチャンネルだから見ているのではないかと。
二極化とは何極と何極かは分からないが、同じ方の人が集まっていると思っていたのだ。

しかし、現実はまだまだ自分軸が育っていない人が多いのだなあという驚きと、そして自分がやっぱりまだ浮いた存在なのだという悲しみの共存した、なんだか妙な気持ちになった。


私が何度かこのnoteにも発信し、最近輪郭がしっかりしてきた信条。

だから結婚制度はいらないんだって!

自分の丹田(子宮)を神社だとして、その中には完全に統合された光が入っている。

統合とは陰と陽、プラスとマイナス、温と寒、そして

男と女

人は皆、自分の中に男性性も女性性もある完璧な魂なのだから外に異性を求める事は干渉も起こるのが必至。

この三次元で生きるアクティビティの中で、お相手と出会い、強烈に惹かれ、欲情があるから子孫が残る。

それ以上でもそれ以下でもないのだ。

結婚当時の二人は手を繋いでいたのに、いつの間にか乖離が起こってきたお相手に対し憤る気持ちはわかる。

ただこれがもしそもそも結婚という制度がない世界だった場合、

「絶対に私(俺)から離れてはならない」

という感覚にはならないのではないか?
なにしろ自分の所有物ではないのだから。

肩の荷を半分にできるなどと期待して結婚すれば、後々お相手に執着する事になる。

結婚も出産も自立していなくてはいけないのだ

ではお腹に子を宿し、動きが制限される女性は不利ではないか!

全くその通り。
そこの解決策のビジョンについては長くなるので次の機会に。

ただ、自分の子を産んでもらい一緒に住むという選択を外した場合でも、責任を持って養育費を払う事も、そんなお相手を選ぶことも自分の責任なのだ。



このチャンネルを全て見ている訳ではない。もしかしたら別の理由があって批判があるのかもしれない。

そんな訳で動画は添付しないが、この動画で見る限り、チャンネルの主は自給自足の家族を紹介したり、(買ってしまった)古民家を改造したり、多分体が一つでは足りない人なのだろう。

妻の気持ちは語られていなかったので、私にはわからない。

ただ当時見た動画では、まだおんぶの赤ちゃんを連れてインドを旅行したり、定住のない海外生活でよほど肝の座った美しい人だった。

もしかしたら、海外と違い日本では、子供を育てていく上で夫と同じステージではいられなくなったのかもしれない。

ただ、動画の中で主が言ってた

今後はどうなるかわからない

が、子供に達に大人が楽しんでいる姿を見せたい。大人は最高に楽しいのだと。

これに尽きる!

大人になる事と、涙を流しながら人生を耐える事はイコールではない。

ややこしい事は抜きにして
大人だって楽しんでいい。

だって我々はシャンパンタワーの一番上なのだから。


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