見出し画像

好きなストーリー『帯久』

好きな落語家に
人間国宝にもなった
桂米朝がいます。

その昔、笑福亭鶴瓶師匠と
桂ざこば師匠がやっていた
『らくごのご』(‘92〜’98)
というテレビ番組があって、
家族で観ていたんですよね。

鶴瓶師匠・ざこば師匠の二人が、
スタジオのお客さんから、
キーワードを三つもらい、
そのキーワードを使って、
即興で創作落語をする番組でした。

その番組に、ゲストで、
米朝師匠が出たことがあって、
親から「この人はざこばの師匠なんだよ」
と教えてもらったのが、
米朝師匠を覚えたきっかけです。

小学生の頃でした。

自分で米朝師匠の落語を
聴くようになったのは、
ずっと後のことで、
二十歳の頃です。

当時の私はお笑い芸人を
目指していて、
いろんなお笑いの型を
学んでいた時代でした。

中でも「落語」は知っておかねば、
と思い、一番気になっていた
桂米朝師匠の DVD を買って、
観てみたのです。

それが大変おもしろく、
結局、私はその一本の米朝師匠の
DVD で満足してしまい、
それ以外の落語に手を出すことは
ありませんでした。

米朝師匠の落語セレクションの
1本目に収録されていたのが
『帯久』という演目です。

二つの呉服屋の話です。

一軒は和泉屋というお店で、
ここの旦那さんは、
気前がよく人情味のあふれる人で、
大変、商売が繁盛していました。

少し離れたところに、
もう一軒の呉服屋さんがあります。

「帯屋」というお店です。

こっちの旦那さんは、
「久七」という人で、
この人の名前から
この落語の演目名が取られています。

帯屋の方は、
旦那さんが一癖ある人で、
店も陰気で、全然流行っていません。

「売れず屋」というあだ名までつく始末でした。

ある時、この「売れず屋」の
旦那さん・久七が、
和泉屋にお金を借りにきます。

和泉屋の旦那さんは、
人情味にあふれる
気前のいい方なので、
あっさりと貸してくれました。

無利息・無証文で、
酒まで振る舞って、
久七にお金を貸したのです。

最初は10両ばかりの金額で、
久七も期日どおりに、
お金を返していました。

それが何回か貸し借りを
繰り返しているうちに、
久七は100両の金を貸してほしい、
と言ってきたのです。

それでも気前のいい、
和泉屋の旦那さんは、
久七に100両を貸してあげます。

ところが、今度は、
これがなかなか返ってきません。

期日より遅れて、
ようやく返しにやってきたのが、
年末の棚卸しの時期でした。

この時に、和泉屋の旦那さんは、
大変忙しく、お金を返してもらう場面で、
席を外してしまったのです。

そうすると、目の前に返したはずの
100両があるし、
誰も見ていないのをいいことに、
久七はこのお金をネコババしてしまいます。

和泉屋の旦那さんは、
大変、人のいい方なので、
持ち逃げされたことはわかっていながら、
それを追求しませんでした。

久七は本来返すはずだったはずの
100両を使って、
年始のキャンペーンを
盛大にぶち上げました。

帯屋で買い物をしたお客さんには、
どんなに小額の買い物でも
さらしを一尺おまけする
というキャンペーンです。

これが異様なほどウケて帯屋は、
大変繁盛するようになりました。

一方の和泉屋は、
100両という大金を失い、
娘、女房を病気で亡くし、
挙句の果てに、火事に遭い、
なくなく暖簾を下ろすことになります。

和泉屋の旦那さんはその後、
子どもの頃に丁稚から育てあげた、
番頭格の者の家で
居候生活をしていました。

そして、その番頭格だった者が、
今度は帯屋にお金を借りに行くんですが、
果たして、久七は、
お金を貸してくれるのでしょうか。

本当は最後まで
書いてしまいたいのですが、
まだまだ先は長いので、
この辺にしておきます^^;

この後、いろいろあって、
奉行所であの時の
金の貸し借りの件が
話題になるんですが、
お奉行さまの名裁きが爽快です。

米朝師匠も解説で述べていますが、
説明が多い割には、
笑いどころの少ない話ではあります。

落語の中では、
人情話に近い部類ですね。

でも、私にとっては、
人生ではじめて聴いた
この落語がベストです。

毎年、年末には、
必ずこの落語を聴きます。

いいストーリーというのは、
消費しないんですよね。

聴き込むほどに、
味わいが深くなってくるんです。

米朝師匠については、
まだまだ語り足りない部分もあるので、
機会があれば、
記事にしていきます。

サポートしていただけるなら、いただいた資金は記事を書くために使わせていただきます。