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「演劇」と「哲学」は繋がっていた

※この記事は、
 2020年3月28日に書いた記事に、
 加筆修正をしたものです。

最近は舞台にまつわる本を
読んでいます。

▼劇団四季について書かれた本

▼恩田陸の小説。舞台がテーマになっている

そこで、また新たな発見がありました。

劇作家・平田オリザ
という方が書いた
『演劇入門』の中で、

「参加する演劇」
という記事があったんですよね。

著者の主張の中に、

演劇に限らず、作品というのは、
一方的に観客が受け取るものではなくて、
それを観る側も
「アートリテラシー」を持って観るべきだ

というような話がありました。

「アートリテラシー」というと、
なんだか難しく聴こえてしまう
かもしれませんが、
なんてことはありません。

作品を受動的な姿勢で
消費するのではなくて、
「自分の感性で持って批評的に観よう」
という話です。

私が書いているレビューなんかも、
そのアートリテラシーの一つ
と言えるかもしれませんね。

著者がなぜこんなことを
言っているのかというと、

著者が属する「演劇」という世界は、
民主制、市民政治
と大きく関わっているからなんだそうです。

以前、私が観た映画
『Fukushima50』なんかも
この好例だと思います。

個人的にはこの作品に
感銘を受けましたが、
ネット上の感想を見ると、

同じような感想を持つ人もいれば、
「これは違うんじゃないか」
と批判的な意見を持つ人もいます。

『演劇入門』に
書いてあったことと
照らし合わせれば、

観客がどんな感想を
持つことも自由ですし、

何が正解とは言いきれないのが、
作品のおもしろいところです。

そもそも「演劇」の成り立ちは、
民主制の成立と
同じ時代にあったそうです。

古代ギリシャ、
アテネで開かれていた演劇祭は、
市民によるものだったそうで、

毎年、持ち回りで
異なる市民が
「演じる側」に回ったり、
「観客」に回ったりしていました。

(ディオニュソス劇場が
 世界最古の公共劇場)

必然的にこの時代の演劇を
観る人たちの批評の姿勢は、
作り手目線でした。

「自分だったらそうは演じないな」とか、
「この演技には敵わないな」とか、

そういう見方だったのではないか
という話なんです。
(これこそがアートリテラシー)

なぜ、民主制と演劇が
密接に関わっているのかというと、

そこには異なる価値観をすり合わせる、
人と人の「対話」が
必要だったからではないか、
と著者は述べています。

ここでようやく
このコラムのタイトルに
辿り着きますが、

同じ頃、古代ギリシャでは
「演劇」だけではなく、
「哲学」も生まれていたのです。

実は「哲学」は、私が昨今、
気になり出した
ジャンルでもあったので、

まさか、ここで「演劇」と
「哲学」が絡んでくるとは、
まったくの想定外でした。

ちなみに「哲学」でも「対話」が
大きなキーポイントに
なっています。

本当に不思議なもので、
全然違うジャンルだと
思っていたものが、

こんなにも密接に絡んでいた
というのが意外でした。

しかも、どちらも最近の私が
興味を持って調べていた
ジャンルなだけに、

余計に衝撃的な繋がりに感じました。

やはり、あらゆる物事はすべて、
どこかで繋がっているんですね。

「哲学」と「演劇」の繋がりを知って、
どちらのジャンルも深めていきたい
という気持ちが
より一層強いものになりました。


▼以下は現在の私による追記

※ちなみに今年に入ってから
「詩」についても学びましたが、
「詩」も「哲学」の一部だったそうです。

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