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生きるって何だろう

「生きるってなんだろう」
という考えごとは、
人間にしかできない
考えごとでもあります。

人間もかつて、
その日暮らしの狩猟民族の時代には、
こんなことを考える暇も
なかったのではないでしょうか。

常に生存競争にさらされ、
生きていくための食物を探し、
忙しく過ごしていたからです。

たとえ、そんなことを
考えることができる
高度な脳が備わっていたとしても、

「食うため」以外の
余計なことを考える暇がありません。

ですから、人類史上で、
「生きるってなんだろう」
と考えるような哲学者が現れたのは、

人類がある程度繁栄し、
「都市」ができてからのことです。

周囲から特別な才能を
認められた人たちが、

今で言う「学者」や「芸術家」になり、
彼らは日々の労働に追われずに、
労働者が手掛けた
食物を得ていました。

そのような人たちは
一般的な労働者とは異なり、
「考えること」が仕事です。

必然的に彼らは
「生きるってなんだろう」
というようなことを
考えはじめました。

翻って、私自身は
「生きる」ということに関しては、
あまり感情的に捉えずに、
科学的に考えているところがあります。

私にとっての「生きる」は
「変わり続ける」ことです。

人間は、細胞単位で考えれば、
分裂を繰り返し、
日々変わり続けています。

1年も経てば、
体の細胞は全部生まれ変わり、
まったくの別人
と言ってもいいほどです。

ですから、自分では
「昨日と同じ自分」のつもりでいても、
少しずつ中身は変わっていきます。

生きている人間は
変わり続けるのです。

同じ日の朝と夜で
言うことが違う人は
極端だとしても、

内面も外見も変わり続けることが
生きている証ではないでしょうか。

こんなことを言うと、

「死んだ人もそのまま放置すれば、
 腐敗し、微生物によって分解され、
 最後は土に返る
 という変化があるではないか」

と言う人もいるかもしれません。

確かに、それも人間が変わり続けている
過程とも言えなくはないですが、

当然のことながら、
もはや「生きている」
とは言えないでしょう。

そう考えると、
「生きる」というのは、

「体内で様々なものが循環し、
 変わり続けている過程のこと」
というのがより正確かもしれません。

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