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坂本龍一との出会い

早いもので坂本龍一さんが
お亡くなりになって
1か月になります。

月命日ですね。

最近は、幸宏さんや
教授絡みの記事が多くなって、
いつも読んでくださる方には
申し訳ない気持ちもあるんですが、

こういう日ですので、
坂本龍一にまつわる
私の思い出話でも
書くことにします。

私は'82年生まれで、
私の生まれた頃が、
YMO のテクノポップも
流行っていた時代です。

ですから、私の年代だと、
周りに同じように、
坂本龍一の音楽が好き
という人はあまりいません。

私自身も坂本龍一のことは、
幼い頃から知ってたものの、
しっかり聴くようになったのは、
10代の後半でした。

私が坂本龍一の
ファンになった経緯は、
おそらく一般的な
坂本ファンとも違っていて、

最初は、坂本龍一ではなく、
女優の中谷美紀の
ファンだったんですね。

昔、中谷美紀は
女優活動だけでなく、
歌手活動もしていたんです。

私が中学生だった’97年に、
中谷美紀 with 坂本龍一名義で
『砂の果実』
という曲がヒットしまして、

(週間オリコンチャート10位を記録)

この CD を買ったのが、
私にとっては、
はじめての坂本龍一作品でした。

今となっては、
私が中谷美紀を
はじめて見たのが

女優活動が先だったのか、
『砂の果実』が先だったのか、
思い出せません。

たぶん、似たような
時期だったと思います。

その頃の私は音楽にうとく、
CD もほとんど
買ったことがなかったので、

厳密にいうと
『砂の果実』自体も
そんなに好きだったわけでも
ないんです。

単純に、中谷美紀のルックスに
惹かれて CD を買ったんですね。

それからも中谷美紀の
ファンではあったんですが、

アルバムを買うまでには
ずいぶんと時間がかかりました。

高校1年の時にベスト盤を買い、
このアルバムはかなり
聴き込んだんですよね。

中でもラストに収録された
『鳥籠の宇宙』という曲に
圧倒されまして、

私が人生ではじめて
「坂本龍一」を意識したのは、
この曲を聴いた時でした。

バックで鳴っている音が
ものすごく立体的に感じられて、

「この人の音楽は「音」じゃなく
 「空間」を作っている!」
と衝撃を受けましたね。

私がはじめて聴いた
坂本龍一のソロ作品は
そこからさらに年数が経ち、
高校3年生の頃です。

ここも説明していると、
長くなってしまうので、
割愛しますが、

高校3年にして、
はじめて YMO を聴きました。

なぜ、自分が生まれるより前の
20年以上も前の音楽を
聴こうと思ったのか、

理由はいろいろあったんですが、
特に大きかったのは、
「坂本龍一がいたバンド」
だからです。

その頃の私は、
YMO のことも全然知らなくて、
『ライディーン』は
ちょっと聴いたことがある程度、

細野さん、幸宏さんのことは、
まったくと言っていいほど、
知らなかったんですね。

なので、高校3年になるまで、
坂本龍一が YMO だったことも
知りませんでした。

そんな感じだった自分が
短期間の内に、

YMO のほとんどのアルバムを
集めて聴き込むように
なったんですね。

あれほど、
音楽にのめり込んだのは、
人生ではじめての経験でしたし、

今でもその熱が冷めやらぬ、
といった感じもあります。

そして、YMO のほとんどの
作品が聴き終わった段階で、

次に聴きはじめたのが、
坂本龍一のソロ作品だったんですね。

はじめて買ったのは、
『未来派野郎』('86)でした。

なぜ、このアルバムを
選んだのかというと、

このアルバムに収録された
『Ballet Mécanique』を
中谷美紀がカバーしていて、
その曲が大好きだったからです。

『クロニック・ラヴ』は、
中谷美紀主演のドラマ
『ケイゾク』の主題歌でもあり、

このドラマも大好きだったんですが、
とにかくこの曲が流れる
オープニングがかっこよくて、

観た瞬間に
「CD が出たら絶対に買う!」
と意気込んだものです。

『未来派野郎』自体も
とても好きなサウンドで、
特に、当時の私が
知りはじめたばかりの

「サンプリング」が
(外部の音を取り込んで加工する)
ふんだんに使われていて、
刺激に満ち溢れていました。

その後も、20代、30代と
年を重ねる中で、
坂本龍一の作品を
徐々に聴いていきました。

作品ごとにテイストが違っていて、
今でも難しく感じる作品もありますし、
昔はわからなかった良さが
今だからこそわかる作品もありますね。

あれから二十数年、
今もまだ私は、
「坂本龍一」という
音楽の深い森を
彷徨っている途中なのかもしれません。

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