見出し画像

世界を4年旅したバックパッカーが帰国すると、こんなにも厳しい現実が待っていた

#わたしの旅行記

古いバイクと巻きタバコ 

3年7ヶ月の世界一周放浪の旅が終わり、住む場所を中目黒に決めた。選んだ理由はテレビ局に近い。東京の仲間等と飲んだ後、歩いて帰れる。そして、お洒落で可愛い女の子が多そう。そんな不純な動機が大きかったことは否定しない。住民票を抜いて4年近くも日本を明けると、家を借りるのにも苦労する。まずは役所に行って住民票を再登録しなければならないのだが、そのためには申請書類に現住所もしくは今後住む予定のある住所を書かなければならない。しかし、まだ引越し先が決まっていない俺には住所がない。家を借りるには身元や国籍の証明された住民票が必要とのこと。古代ギリシアから続く「たまごが先かニワトリが先か」という因果性のジレンマに落ち入ってしまい、その両方を得れないのだ。何度も役所に掛け合ったが、冷たく突き返されるだけだった。

「何なんだ、いったい。日本国民に戻れねーじゃねーかよ」

日本生まれの日本育ちの日本人なのに。

コンビニや飲食店などで働いている外国人労働者が初めて日本にやってきた時の苦労に思いを馳せた。

住所が決まるまでの間、蔵前にある外国人バックパッカー向けのドミトリーに泊まっていた。一泊の金額は毎日変動するが平均1100円くらい。イギリス・ロンドンの最安値のドミと同じ位の金額だ。世界の安宿を回った旅人の感覚からすると決して安くはない。 

蔵前のバックパッカー用ドミトリーで賑わう外国人客

例の住民票問題でなかなか家が決まらないので延泊を繰り返す事となり、気づけば2ヶ月近くが経った。時間が許す限り中目黒近辺のアパートをネットで検索し、住む家を探し続けた。日本に住むなら古いアパートで畳がある和室が良いなと思っていた。金額や立地などの条件が合ういくつかの候補を定め、蔵前から中目黒の不動産屋まで原チャリを飛ばした。実家の大分から東京まで日本縦断の旅をした俺の相棒YAMAHA YBという50ccの古いバイクは、新生活に欠かせない存在になっていた。ところが、このバイクがアパートを決める大きな問題となった。渋谷から二駅という西東京の中心に位置する中目黒にはバイクをおけるアパートがほとんどない。特に古い和装のアパートでは駅からかなり遠くの距離を探してもバイクの置ける駐輪場を見つけることが出来なかった。都心部は地価が高いので、わずかなスペースまで有効活用しなければならない。おそらくバイクの駐車場代では費用対効果が合わないのだろう。

マニュアル式の自分の愛車が少し不憫に思えた。日本に戻って日本人にもなれない歳を重ねた自分自身を投影したのかもしれない。

日本バイク旅

そして、資本主義に身をゆだね無駄を排除した街並みに、少しばかりの恐怖を憶えた。

不動産屋の若いお兄ちゃんと中目黒の裏道を歩き、ピックアップしてくれた住民票がなくても貸してくれるいくつかの物件を見て回った。しかし、ピシャリとくる物件が見つからない。ネットで探した一番お気に入り和装のアパートにも行ってみたが、やはりバイク置き場がなかった。

「また0から物件を探し直さないと」

すると、不動産屋の若いお兄ちゃんが、おもむろに携帯電話をかけ誰かと話を始めた。

困り果てた俺を見て、他の物件を探してくれているようだ。

「後藤さん、ここから歩いて3分のところにバイクが置けるアパートがあります。和室ではないんですが」
「本当ですか? 見てみたいです」

最後に案内された物件から、迷路のような中目黒の路地を3〜4回曲がると他のアパートとは少し雰囲気が違う海外のヒッピーハウスにも似た古い木造の二階建てのアパートがあった。お洒落な中目黒とは一線を画し少し浮いている。そこには、普通のアパートやマンションと少し異なり一階の各々の部屋の入り口に小さな庭のようなスペースがあった。洗濯機とバイク一台がおけるくらいの小さなコンクリートの庭だ。世界のヒッピーたちと旅をしていた俺は直感的にそのアパートを気にいった。

「ここイイですね。海外のアーティストたちが集まるゲストハウスみたいっス」

気になるのはお値段だ。

「家賃いくらですか?」

お兄ちゃんは青いバインダーファイルをぺらぺらとめくり値段を確認した。

「7万7000円です」

高い。高すぎる。旅終わりで、残してきた金が少ない俺は1円でも節約しなければならない。

「70000円にならないっスか?」

インド・中東・アフリカなど途上国を中心に旅をしていた俺は交渉を得意としていた。

インド・バラナシ
インドの鉄道
中東・ヨルダンの首都アンマン
東アフリカの独立国家ソマリランド

交渉には少しばかりのコツがある。ただ強引に値切るのではうまくいかない。まずはその国の物価を知る。そして、その店の周辺をリサーチし、買いたい商品の底値を見つける。宿のスタッフや現地の友達と仲良くなり、彼ら彼女らの一か月分の給料や平均的な生活費を知っておく。そして、集めた情報から、買いたい商品が大体いくらで仕入れされ、粗利がいくらかを想像する。外国人観光客に吹っかけてくる金額も大体いくらかをも類推する。バックパッカーとはいえ、所詮観光客。観光で経済が成り立っている国ならその金額は当然払うべきというのが俺の考えだ。そして、交渉するお店で一日どのくらい儲ければ、彼ら彼女らが生活できるかをイメージし、それらを踏まえた上で、物凄く低い金額から交渉をはじめる。そして、ある程度の値切り合戦をしたあと、「最後の交渉だ!」と銘打ち、適正な価格に少しだけ観光客価格を上乗せした金額を提示する。そうすると

「ま、少しぼったくったからイイか!」

と考え、素早く交渉が成立する。ただ自分の金額を押し付けるのではなく、相手にもメリットを与え、お互いが得する関係に持ち込むのだ。そうすれば、無駄な時間も割かない。このやり方は一番交渉が難しい言われるヨルダンや中東に住む砂漠の民べドゥイン商人にも通用した。まぁ、新しい国に入った初め方はかなりぼったくられてしまうのはしょうがないとあきらめるのだが。

モロッコのマラケシュのフナ広場
モロッコ雑貨屋
マラケシュ・マサラ(スパイス)売店

時は10月、場所は都心の中目黒。引越しシーズンが終わったこの時期になっても決まっていない部屋。来年の4月まで6ヶ月間入居が決まらないとすると、大家さんが手にするお金は0円。77000円を70000円に値引きすれば420000円が手に入る。

仮に来年まで待ち、4月に77000円で入居をする人がいても、手にできなかった420000円を割引かなった月/7000円で取り戻すには60ヶ月、5年分の家賃が必要となる。先方にもメリットはありそうだ。

「もしその金額なら即決します。無理なら他の候補をもう一度探しなおします」

勿論、仲介をしてくれる不動産のお兄ちゃんも物件を決めた方が良いに決まっている。

「ちょっと待って下さい。大家さんにもう一度話をしてみます」
「無理言ってすみません。ありがとうございます」

お兄ちゃんが電話で大家さんと話をしている間、俺はその小さな庭に出て巻きたばこを取り出した。巻紙の上にシャグとフィルターを載せ、紙をくるりと巻いて、煙草を作った。インドで巻き方を練習し、体得した旅で身に付けた技術の一つだ。煙草が500円を超える東京では巻きたばこだと一本の金額が4分の1に抑えられる。

煙草を巻いている俺をお兄ちゃんは、物珍しい大道芸人を見るように電話をしながらチラチラと目線を落とした。俺はライターで火をつけ大きく煙草を吸った。吐き出した煙と小さな庭から見える青空に偉そうに居座る太陽の白光が入混じり、まるで、蜃気楼を見ているような錯覚に陥った。

巻きタバコのシャグ

「後藤さん、オッケーです。住民票の件も大丈夫とのことです」
「え、70000円と住民票、両方ともオッケーってことですか?」
「はい。ここの大家さん、仲が良いんで、後藤さんの事情を話したらオッケーとのご返事を頂きました」
「本当ですか!ありがとうございます」

二人で不動産屋に歩いて戻り、契約に必要な書類の記入の仕方を教えてもらった。翌日、もう一度やってきて契約書など必要書類を提出し、最後に判子を押した。ずっとサインだった海外生活に終止符を打ったのはシャチハタの三文判だった。

「本当にありがとうございました。助かりました」
「いえいえ、良かったですねー」
「中目黒徒歩7分でバイクの駐車場付き70000円は破格です」

するとお兄ちゃんは顔をクシャりとさせ、こう言った。

「実はここに就職して8年になるんですけど、金額の値段交渉を持ちかけてくるお客さんは殆どいないですし、7000円も金額を落としたのは初めてなんです」

しまった…。ここ日本だった。

旅の最後の国、韓国で金額交渉したらびっくりされたのを思い出した。先進国の値段はフィックスされている。

「すみません。実は4年も日本にいなくて、感覚が途上国とかで交渉している感じになってしまいました。恥ずかしいです」

お兄ちゃんは目尻を下げ、頬を緩ませた。

「そう言えば、昨日巻きたばこを上手に巻いていましたね。僕も友達にもらって何回か練習したことがあったんですけど、上手く行かなくって。すごく上手いなーと思っていたんです」
「巻いた事あるんですね」
「はい。でも、難しいですよね〜」
「あの、良かったら一本巻きますけど外で吸います?」
「え、良いんですか? 吸いたいです」

俺は机の上で彼の分も含めた2本の巻きたばこを巻いた。お兄さんは巻き方のコツなどをたくさん質問した。

「じゃ、一服しますか」

外に出て二人で煙草を吸った。時刻は夜の7時少し前、空は暗くなりかかっている。

通りゆく車のライトが吐き出した煙草の煙にキラキラとした彩りを加えた。やがて、二人の煙がほんの少しの間だけ交差して空に消えていった。

                             終わり


著書『
花嫁を探しに、世界一周の旅に出た (わたしの旅ブックス)』では帰国前の旅での悪戦苦闘を赤裸々に描いています。7年かけたノンフィクション作品です。是非手に取ってご高覧いただけますと光栄です。

花嫁を探しに、世界一周の旅に出た (わたしの旅ブックス) 単行本

上記の映像作品をYouTubeEnjoy on the Earth 〜地球の遊び方〜公開しています。

後藤隆一郎 (作家・TVディレクター)
1969年大分県生まれ。明治大学卒業後、IVSテレビ制作(株)のADとして日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ!」の制作に参加。続いて「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ)の立ち上げメンバーとなり、その後フリーのディレクターとして「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ)「トリビアの泉」(フジテレビ)をチーフディレクターとして制作。2008年に映像制作会社「株式会社イマジネーション」を創設し、「マツケンサンバⅡ」のブレーン、「学べる!ニュースショー!」(テレビ朝日)「政治家と話そう」(Google)など数々の作品を手掛ける。離婚をきっかけにディレクターを休業し、世界一周に挑戦。その様子を「日刊SPA!」にて連載し人気を博した。現在は、映像制作だけでなく、YouTuber、ラジオ出演など、出演者としても多岐に渡り活動中。 2023年9月13日(水)大竹まことのゴールデンラジオ https://www.youtube.com/watch?v=aKrBk5r857A&t=1044s







 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?