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私の履歴書#17 世紀の大発見

(2020年8月10日月曜日)

 東京経済大学に来てからの僕の1年間は腰を落ち着けるまもなくあっという間に過ぎ去っていった。例えば、家族を新潟から東京に呼び寄せるための引越し、新しい大学での人間関係、東京へ適応など。次から次へと新しいイベントが舞い込み、まるで暴風雨に直撃されたような慌ただしさに文字どおり生きているだけで精一杯な1年間だった。

 当時30代だったが、もし10代・20代の僕だったらキャパシティの堤防は決壊していただろう。

 環境の変化にも戸惑った1年間だった。

 直前までの勤務大学は新潟県民が大半を占める女子大学の英文科。一方、東京経済大学は男子学生が7割以上を占め、外国語学習に興味を持って入学した学生ではない。両者の雰囲気は明らかに違った。また、それまでに上手くいき自信を持って学生に課した学習課題に全く手ごたえを感じなかったのは誤算であった。。

 東京経済大学という今年(2020年)で120周年の伝統を背負っているような、歴史ある大学で働くことにも気後れしていた。創設者の大倉喜八郎は日本経済史の立役者。「進一層」の精神など重いものを背負っている大学。相も変わらず運任せの、衝動的な僕は、そのようなことも露知らずに新潟から出てきたのである。「企業分析ゼロ」東京の大学というだけで応募した。

 同僚にも圧倒された。

 例えば就任の挨拶をおこなった同期は、戦前から日本に存在しているエリート大学である旧帝大で裁判員制度導入の立役者や、東京高等裁判所の元裁判官など。驚きながら研究室に向かったら、隣の研究室は芥川賞作家。驚きに追い討ちをかけられた。「なんだここは!」と東京のスケールの大きさに圧倒された。

 元々僕は自分に自信がない人間だ。同僚たちの経歴にも打ちひしがれてすっかり参ってしまった。「私の履歴書#1」でも書いたが、優秀な兄への劣等感を感じて育ったし、悲観的・内向的な性格だった。心理学的に分析するなら自己効力感がとても低い性格。物事を悲観的に捉えがちだし、そうなるに考えるに足る苦い思い出が多い。元々の性格が内向的だから、自分の内側に籠もってしまった。学生の前では内向的になれないのでそれ以外の時間はひたすら内に籠った。例えば、大人の親睦会などはほぼ欠席。

 同僚がいい人たちなのは分かっているのに、自分の歓迎会でさえも内に篭り早めに帰ってしまった。おそらく、難解な話題を笑顔で話し合う教養人を前に心をシャットダウンしてしまっていたのだろう。必要な仕事はこなすが、内面を見せず非社交的な僕、同じ職場内でも、僕の人となりを知る同僚はごく一握りであった。

 勤務当初から現代法学部所属で10年以上過ごしたが、同僚は当たり前のように弁護士資格を持っている人たちが何人もいた。

 新潟にいた頃、知り合いの優秀な人が弁護士資格を何年も目指しても合格の切符をつかめずに諦めて家業を継ぐような人を何人も知っていた。そんな難関試験に軽々受かる同僚たちに囲まれていたのだ。

 僕は2年目から「21世紀教養プログラム」というリベラルアーツコースを担当者することとなった。現在所属する「全学共通教育センター」の一部教員によって運営されていた。キーワードは「貧困」「共生」「多様性」「他者」「差別」など。大変著名で優秀な先生方ばかりであったが、門外漢である私が何とかついていけたのは、以前から関心があったテーマとかぶっていた要素が大きいからだろう。例えば僕は国際結婚していたので「外国人」の存在や「差別」は身近なこととしてすっと理解できた。生徒、学生、教師として一貫して公立学校で過ごしたことにより、“相対的貧困”問題も身近に感じていた。

 一方で、“本来の”任務であるべき言語教育については、“最悪だった”というのが正直なところ。気丈に振る舞ってはいたものの、うまくいかないことばかりでお手上げ状態だった。

 「生徒たちを外国に連れて行ってください」。21世紀プログラムにて、そのような業務を担当するように言われたのはその頃だった。そこからはさすが東経大。「ひろく深く」をキーワードとした自由な校風。教員に大きな自由裁量が与えられているのだ。

 僕が選んだのはネパール(ネパールには独自のネットワークがあった)。「なぜネパール?」と心配してくれる人たちもいたが、21世紀教養プログラムの同僚たちは面白そうと賛成してくれた。そしてこのネパール研修が、思いがけぬ形で私の教育観に巨大な影響を与えることとなる。

 それまでには外国への研修を数多く引率していたが、それは英語学習が目的であった。しかし、この研修では「言語学習」という枷から初めて開放され、学生たちを自由な観点で観察することができた。とても新鮮な気分であった。

 まず見えたのは「同じ景色も学生によって見え方が異なるということである。」例えば貧困をテーマにネパールの山岳農村地帯に滞在しても、個々の学生の関心事は、水、自然、食料、色合い、民族など様々であった。我々の世界観や認識が話す言語に強く影響されるという「サピア・ウォーフの仮説」には興味を持っていたが、同じ大学の同じコース生(母語も同じ)でもここまで視点が異なると驚いた。そして何度かネパール研修を引率していく中で、ある時、「人間の興味関心は人それぞれだ。みんなちがう。ちがっていい。」とストンと腑に落ちた。

 考えてみれば、例えば新潟の高校の教員をしていた時、生徒たちは当初英語に全く興味を示さなかったが、きっとそれぞれ英語以外の別のものに興味を持っていたのだろう。山岳部の顧問だった時、月に一度の山登りでも花や岩や、一人一人の興味関心はそれぞれに異なっていた。

 ネパール研修では、“交流を通じた学び”を重視した。せっかく外の世界に飛び出したのだから、そこに暮らす人々から情報を得るのが確実、私の経験則から得た知恵であった。現地の人々の中には英語を話せる人も話せない人もいる。しかし、細かいことは気にせずに現地コミュニティに彼らを「突っ込んだ」。すると、外国語学習などには興味を示さない彼らであっても、多くの場合大変積極的に交流した。そして、非日常の生活空間での価値観の異なる人々との交流を通じて心動かされたことはほぼ違いなかった。そのことに僕も手ごたえを感じていた。

意図せぬことが起こった。帰国後に彼らの多くがなぜか英語学習に本気になり始めたのだ。事後報告書には「現地の人々と上手く交流ができなくて悔しかった」「言葉が通じればもっとわかり合うことができたのに」と並んだ。英語を学ぶことを目的にしない研修であるにも関わらず、その後英語学習に自発的に取り組む彼らを見て不思議に思い、これまでに読んで来た動機づけ関連文献を何となく読み返していた。そしてある時「はっと」した。人生最大の発見をしたのである。と言っても動機づけの基本理論の解釈違いに気付いただけなのだが。

 「自己決定理論」というものがある。この理論によれば、動機付けには下記の3つの要素が大切である。

1. 効力感(できる!という自信)

2. 自立感(自分でコントロールできている感覚)

3. 関係性

 既に述べた通り、そもそも私が動機づけの研究を始めた目的は高校教師として自分の授業力を改善させるためであった。このコンテキストで読む文献においては、「関係」とは教室の中での人間関係であった。しかし、そうではなく、学習者と外国語話者との間の「関係」と捉えるとネパール研修を通じた学生の変容を上手く説明することができた。

 言語を使って、その言語を使っている人のことをもっと知りたいと思えば、学びのモチベーションが高まる。外国語を使って外国語話者との交流を通して、異文化の人と交流をしたいと思えば外国語学習のモチベーションも激増することがわかったのだ。

 これが分かってから僕の教育方針はパラダイムシフトと言って良いくらい大きく変わった。一気に変わった。まるでコロナでオンライン化したくらいの大きな変化だ。

 それまで経験則に基づいた「趣味」としか捉えていなかった「異文化交流」が僕の脳内で「言語教育」と見事に融合し、独特の新たな学問領域、というか教育実践領域を見出したのだ。教育実践者として、また研究者の端くれとしてはこれほど「ハッピー」な出来事はない。以来、僕は一転、いきいきと活動するようになる。

 スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式スピーチで以下のように語っている。

もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。

しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。

 このジョブズの言葉が僕の今までの軌跡をまさに言い表していた。きっと僕に限らず多くに人の人生の「ふっと地平が開けるような瞬間」は同様の感覚になるのだろう。歩んでいる時は分からないのだ。ある時に全部今までのことが繋がったとわかる瞬間が来るのだ。

 僕について言えば、育った環境からして内向的であるが故に「このままじゃいけない」と外に向かって新しいことに挑戦を続けてきた。まるで夜空に散らばった星座を繋いで美しい星座をつくるかのように、いままで格闘してきた人生の行動が全て線で結ばれた感覚は爽快だった。既に40歳を過ぎてのことだった。

 「今までの人生が一筆書きで繋がった」後に何が変わったか。良い意味で、もう人生これでいいやと思った。この気持ちを20歳の目の前にいる学生たちはわかるはずがない。自分にできることは、学生たちが後に「点と点をつなぎあわせる」作業をするときに「点」の一つに数えてもらえるような影響を与えてあげることかな、と考えるようになった。その学生の数は多ければ多いほどいいが、別に1人でも2人でもいい。サッカーと一緒。わずか1点でも勝てる。結果として何点取れるのかわかるのはずっと先のことだろう。教育投資は地道な作業だが、とてもやりがいがある。

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