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「さよならだけが人生だ。」


映画・「俺たちは天使じゃない」を観た。

ある日、窃盗で服役中のネッドとジムは殺人犯であるボビーの死刑執行に立ち会う。

しかしボビーはそこで看守を殺害して脱獄をし、その流れで一緒に脱獄した二人は小さな町に逃げ込む。

二人はカナダに行きたく国境を越えるため橋を渡ろうとするが神父と勘違いされ教会に派遣されてしまう。

国境を超えるタイミングを伺いながらその町で起こる騒動や二人の心境を描いた映画。

(良い予告が無かった。笑)



ジャンルはコメディではあるけど

モリーに惹かれていくネッドや

本当の神父ではないのに教会に愛着を感じるようになるジム等、

人の心境を映した良い映画だった。

特にラストは意外で

ネッドはモリーとモリーの娘とカナダへ行き家族になることを決める。

しかし、ずっと一緒に国境を越えようとしていたジムはカナダへは行かずに教会に留まり神父として生きることを決める。

結局二人は別々の道を選んだんだ。

二人とも相手の気持ちを良く理解していたから

後腐れなくお互いに頑張ろうと手を振るシーンは清々しかった。

で、俺はこのラストシーンを観て

「さよならだけが人生だ。」

という言葉を思い出した。




「さよならだけが人生だ。」

この言葉は

唐代の詩人である于武陵(うぶりょう)が創った詩「勧酒」(かんしゅ)を

井伏鱒二が邦訳したときに使われたフレーズ。

この詩は「別離」を主題としていて

「惜別」や「一期一会」等、様々な意味の解釈ができる。

惜別の詩と捉えるか、一期一会の詩と捉えるか分かれると思うけど

俺はこの言葉が大好きなんだよね。

人生は旅とか、人生はギャンブルとか

「人生は〇〇だ」と言う格言はいくつもあるけど

「さよならだけが人生だ。」と「だけ」と言い切っちゃうあたり本当に好きだ。

(直訳すると「だけ」とは言い切っていないらしい。笑)

初めてこの言葉を知った時、流石に「だけ」は言いすぎでしょと思っていたけど今ではこの言葉のおかげで別れに強くなったかなと感じている。



人生のステージが変わるときは付き合う人間も変わるとよく聞く。

だから、さよならは寂しいし悲しくなるかもしれないがそれは良いことなんだ。

自分が次のステージに行っている証拠・人生が変わっている証拠だ。

むしろ、さよならを全くしない人生はステージは変わらない人生と言ってもいいだろう。

だって、ずっと地元にいて地元の同級生とつるんでいても人生やステージが変わるわけが無いでしょ。


ネッドとジムのようにどんなに一緒にいて苦楽を共にしてきた仲だとしても、新たな人生・ステージに行くときは確実に別れが生じる。

だから、その別れは悲しむんじゃなくてお互い頑張ろうと手を振ればいい。

別れる理由は色々あるけど、結局の所今いるステージを変えたいから別れを選ぶんだ。

仲間を嫌いになったわけじゃない。

世話になっていることだって重々承知だ。

感謝をしていない・感じていない訳がない。

それでも、次のステージに行かないといけないときが来る。

それは自分で決めることだから、尚更気が引ける。

ただ、気が引けるからといって現状に留まれば人生は変わらない。

自分がどうしたいか?を大切にして別れに強くなって一歩ずつ歩んでいこう。


さよならだけが人生だ。


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