「破滅に向かうもの。」
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人間関係の崩壊という致命傷をもらわないために最も優先すべきは、義理と人情。
その大切さを知りたかったら読んでみて!
では、本題。
映画・「レイジング・ブル」を観た。
1940年代に活躍した元世界ミドル級王者ジェイク・ラモッタの自伝を元に作られたのがこの映画。
俺はデ・ニーロが好きだから彼が出演する映画はたくさん観てきているけど、その中でもダントツで破滅的で救えないキャラクターがラモッタだ。
こうやって人は信用を失くしていくんだなと反面教師になった。
ラモッタが破滅に向かってしまった要因は簡単で、それは猜疑心だ。
つまり、人のことをとにかく疑って信用しなかったんだよね。
それは家族・恋人・仲間に対してもだ。
しかも彼の猜疑心は普通じゃなく、自分の疑問が正しいと思っちゃっていたんだよね。
「妻と弟は実はデキているかもしれない、、、」
ではなく、
「妻と弟は絶対にデキている!」
と決めつけてしまっていたんだ。
それに彼の強情な性格が加わって、妻にも弟にもデキていることを認めるまでしつこく問い詰めた。(もちろんデキてはいない)
そうやって猜疑心を持ち続け人のことを信用しないとなると、当然人も離れていく。
信用を失うほどの猜疑心が破滅に向かわせてしまったんだ。
ラモッタはボクサーを引退しバーを経営した際、男性客に未成年の少女を紹介したとして、懲役刑の宣告を受けてしまう。
1万ドルあれば不起訴にできるとの相手の提案により、チャンピオンベルトの宝石でなんとかしようとするもそれでは足りない。
妻に友達に借りれば?との問には、
と答える。
結局1万ドルは用意できず、刑務所にブチ込まれ、
「Why!?」
と叫びながら壁を殴り続け、
と落胆する。
信用せず、信用されず、どん底に叩き落されたこのシーンはエグかったな。
ただ俺は別に疑うことが悪いことだとは思わない。
というか、情報を多角的に冷静に観るには疑いから入ったほうがいい。
それに受け取った情報に対して「それって本当か?」と疑問をもった方が、感情を煽られないし、自分で調べるから知識がつき意見を持てるからね。
だけどラモッタのように、家族や仲間を疑うってのは違うよね。
上述したように、彼の疑いは「信用を失くす強情な疑い」だ。
勝つことだけが正義のボクシングという世界で戦い続け、減量に苦しんだり八百長をふっかけられたりと、メンタルはかなりキツイかったとは思う。
ただこんな猜疑心を持ったって、何の意味も無いし何も良いものは生まれないよね。
というか何も良いものを生まないどころか、大切な人までもが離れていってしまう。
引退後はバーを経営し、コメディ俳優して活躍し95歳まで長生きしたラモッタ。
だから完璧に身を滅ぼしたわけではないけど、強情な猜疑心は信用を失くし人が離れていってしまうと理解しよう。
この間も書いたけど、家族・仲間関係なく、人と接するときは信頼から入った方が絶対に良いよね。
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