生きるために、生きるのよ

窓際で豆苗を育てている。かわいい。

なんでかわいいかというと、素直だから。何も考えていないように見えて、ちゃんと日が差す方向を探しあてて、体を一心に傾けている。その姿の、なんと健気なこと。ちょっと場所を入れ替えると、少し目を離した隙にまた日の差す方へと頭をもたげている。ささやかだけど、力強い生命が、この東京の一室で確実に息づいている。その事実がたまらなく、愛おしい。

普段なら、「豆苗育ってるね」くらいにしか思わないのだけれど。こんな時だからだろうか。いつもよりセンチメンタルだった。

***

この週末は家から出ることはなかった。

食べたいものを食べて、見たかった映画やテレビを消化し続けた。日曜の雪は、そんな自堕落を肯定するかのように、しゃんしゃんと降り積もった。

そんな私をよそに、豆苗はすくすく育つ。外には未知のウイルス。連日、感染者増加。そんな私たちの世界のあれこれはお構いなしに、今できる精一杯の光合成をして、生きている彼ら。土曜の晴れ間には窓際に連れていって、日の光をいっぱい浴びせてあげた。


彼らは、まぎれもなく、生きるために、生きている。


もしかしたら、集団の豆苗の中にも「人間様に美味しく食べられるために生まれてきました!」なんていう意識高い系個体がいるかもしれない。でも、多分この子たちのほとんどは、生きるために日を浴びて、日を浴びるために葉を広げて、また生きるために日を浴びる。その繰り返し。そこに、図々しい人間がちょっと通り過がるだけだ。

今世界で起きていることなんて、素知らぬ顔して、すくすくすくすく。

その姿を見ていると、なんだか元気が出るし、勇気がもらえる。

私もそうしよう。今は、生きるために、生きよう。そう思える。

***

でも。残念ながら人間は、生きているだけじゃ満足できない。

何かを成し遂げたり、何者かになりたい。旅行に行ったり、不要不急で活動したい。そうやって、自分の生に付加価値をつければこそ、生は輝きを放つ。こうなる前までは、私もそうありたいと思っていた。

でも、今は。生きることだけに忠実な豆苗になろうと思う。でもそれが、案外人間には難しい。不要不急があればこそ、楽しいこともあって、悲しいこともあって。そうやって、生には襞(ひだ)が生まれることも、わかってはいるのだけれど。

でも、豆苗だって、素直に生きているだけで、こんなにかわいい。それだけでいいのだ。当たり前にある生命を前に、それをフル活用できなくても、今ある生をなぞるように確かめるだけでも、生きているだけで豊かなんだよ、そう言ってくれてるみたい。

生きるために、生きるのよ。そう豆苗たちに教えてもらった月曜だった。

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