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僕が天職を見つけるまで

僕はいま、トライバルメディアハウスというマーケティング会社を経営しています。

マーケティング職と経営者としての仕事を、僕は天職だと思っています。

でも、この仕事が天職だと自信を持って言える(感じる)ようになるまでには長い道のりがありました。

現代人、特にいま20代の人たちは、「やりたいことを見つけ、それに没頭したいのに、肝心のやりたいことがわからない(見つからない)」と感じている人が少なくないように思います。

そこで、あくまでサンプル数1ですが、僕が29歳でマーケティング(マーケター)として生きていくことを決めるまで。そして、34歳で起業して経営者として生きる道を選ぶまでの試行錯誤の過程を共有してみます。

本エントリを通して、少しでも皆さんが天職を見つける一助になると嬉しいです。

親も親戚も職人だらけ

まず、簡単に僕が生まれ育った環境から。

僕の親父は大工で、親戚もほとんどが八百屋、魚屋、肉屋、中華料理屋などの商店主で、ネクタイを締めた大人とほとんど接することなく大人になりました。

そのため、「自分も大人になったら社長(=商店主)になるんだ」と自然と考えるようになりました。

「お前は大工に向いてない」

高校3年の夏、親父に「俺も今年で高校卒業するから、来年から大工の見習いやるわ」と伝えると「お前は大工向いてないからやめとけ」とはしごを外されました(笑)

(次男ですが)なんとなくオヤジの後を継ぐ(大工になる)と思っていたので、「さて、じゃあどうしよう」と。

高校卒業してすぐにやりたいこともなく、しかたなく現役で行ける大学にすべりこみます。

口から生まれてきた奴と言われて

いまでもよくしゃべる奴ですが、これは昔からで、「お前は本当に口から生まれてきたような奴だな。営業やったら日本一になれるんじゃねえの?」と言われて育ちました。

なので、就職する前に腕試しをしようと思い、大学時代に、完全成果報酬型の営業のバイトをすることにしました。

最初は、自動販売機の設置営業

コカコーラ、キリン、サントリー、アサヒなどの大手ではなく(たぶんいまではもうほとんど設置されていない)激渋ブランドの自販機でした。

一日中、住宅街を歩き回り、一般家庭や工事現場に「自動販売機置かせてください!」と突撃するのが仕事です。

営業初日、先輩社員から、『池田、いいか? 玄関に「猛犬注意」や「セールスお断り」というステッカーが貼ってある家が狙い目だ。なぜなら、そういう家は営業されると断れないから、予防線としてそういうステッカーを貼っているからだ。いいな? そのシールを見つけたら「しめた!」と思って迷わず突撃しろ!』と教わり、「なるほど!そういうことだったのか!」と開眼しました。

そして、それは真っ赤な嘘でした(笑)

「お前、玄関のシールが見えないのか?(激おこ)」と、まるで漫画のようにホウキを持って追い返されたこともありました。

また、『(スタッフの詰め所としての)プレハブ小屋を立ててる最中の工事現場は、まだ自販機が決まっていないケースがあるからチャンスだぞ』とも教わったので、突撃。

すると、若い現場監督から「ねえ、君、社員?なんでこんなことやってるの?悪いこと言わないからこんな仕事早く辞めて再就職した方がいいよ」と人生指導をされることもありました。

結果、3日で心が折れ、辞めることに。

「きっと商材が悪かったんだな」と自販機のせいにして、次はとある通信教材の訪問営業をやりました。

住宅街の地図に中1、中2、中3の子どもがいる家庭がマーカーで色分けされています。ここに突撃して、通信教育教材の契約を獲得するのが仕事です。

でも、結果は同じ。ぜんぜん売れない。

それなりに自信があったので、結構ショックでした。同じ日に入ったアルバイトで、ぶっちゃけ「なんだこいつ、絶対一件も売れないだろうな」と下に見ていたバイトが事務所に帰ると「受注できました!」と泣きながら喜んでいます。「あれ?」と。

3日目、ドラマに出てくるような河川敷でアンパンを食べながら牛乳を飲み、悔し涙が出てきました。そして、このバイトも3日で辞めてしまいます。

営業職からのキャリアスタート

こんな情けない経験をしたにも関わらず、若気の至りとは恐ろしいもので、大学を卒業して就職したのは、某大手英会話学校のスクールスタッフ。

外国人講師のマネジメントや生徒管理などをする仕事もありますが、主業務は新規生徒の獲得営業です。

スクールに「パンフレット(資料)が欲しいんですけど~」と入ってきた人に営業し、いかに高い(回数の多い)チケットを買ってもらうかが主な仕事。

結果、僕は1年目で営業社員約1,000人中3位を取り、2年目のマネージャー(そのときは茅ヶ崎校)時代に260校中、1位を獲得する成績を残すことができました。

このとき初めて、「ニーズがあるか無いかわからない(≒ほとんどが無い)人にモノを売るのは(メンタルが弱くて)苦手だけど、一定のニーズや興味がある人に売ることはできるんだな」と気づきました。

初めての成功体験であり、かつ、自分は人を支援することが好き、夢を語るのが好き、しゃべるのが好き、そしてそれなりに得意、ということがわかります。

中小企業診断士資格を通して「経営」の広がりを知る

英会話学校に勤め始めて9ヶ月。

「そういえば、将来、俺は社長(=なにかの商店主)になるはずだけど、こんなに世の中のことを知らなかったら会社をつぶしてしまう。いまのうちに社会の勉強をしなければ」と思ながら、Big Tomorrowを読んでいたら中小企業診断士資格の広告が。

「飽きっぽい自分が経営の勉強を始めてもすぐに諦めてしまいそうだけど、資格の勉強なら明確なゴールがあるからいいかもな!」と、日本マンパワーの週末講座に通い始めます。

初年度は落ちましたが、2年目(社会人3年目)に無事ストレート合格を果たし、資格を取得します。

「コンサルタントになりたい!」

診断士試験の勉強を通して、世の中に「経営コンサルティング」という仕事があることを知った僕は、コンサルタントになりたい!と思うようになりました。

英会話学校からの転職は死ぬほど苦労しましたが、26歳のとき、なんとか小さなマーケティング会社に拾ってもらうことができました。

運良く、そこで日本の大手企業のマーケティング業務を支援する機会に恵まれ、新商品のコンセプト開発、グループインタビューやコンセプトの受容性テストなどのマーケティングリサーチや、一般消費財のチャネル戦略、チャネル営業の実務、店頭マーケティング(インストア・マーチャンダイジング)のおもしろさに触れることができ、初めて「世の中はこういうふうに回っているのか」というマーケティングのおもしろさと社会の広がりを実感することができました。

同時に、社会には自分を遥かにしのぐ優秀な同年代がたくさんいて、さらにその先輩や上司には頑張っても到底たどり着くことができない偉い人がたくさんいることも知りました。

「普通以下の俺が、俺よりも優秀な人と同じ努力をしていても勝てるはずがない。彼ら・彼女らが遊んでいるときに勉強し、寝ているときに仕事をするくらいでなければ並ぶことすらできない」と、猛烈に本を読み、仕事をするようになりました。

26歳~29歳の4年間は、年収の1/3までは行ってませんでしたが、少なくとも年間100万円分の本は自腹で買って読んでいたと思います。

そして(いまでは働き方改革でそんなことできないし、させてあげられませんが)当時(20代の頃)は朝まで働く、週末も働くなんてことは僕にとってアタリマエのことでした。

優秀な人に追いつきたい、そして追い越したい、それしか考えていませんでした。

資格オタクへの入口に立ち、キャリア迷子へ

当時は2000年頃。バブルが崩壊して、失われた10年が過ぎた頃でした。

本屋には「日本経済の終焉」や「サラリーマン大量失業時代」みたいな本が並び、「このままだとヤバいよ」ムード一色です。

そんな本を大量に読むうちに、「このままの俺で、果たして一生飯が食えるのだろうか」と漠然とした不安を持つように。

ここから僕のキャリア迷子が始まります。

自分の強みやキャリアを書き出してみても、英会話学校の営業職、中小企業診断士資格、小さなマーケティング会社での経験と、心もとないことこの上ありません。

当時、僕は診断士資格の学校で週末に講師のバイトをやっていたんですが、そのときの生徒さんに税理士の方がいらっしゃいました。

その方は、すでにある程度大きな税理士事務所を経営していて、これから診断士資格をとってクライアントの経営指導もできるようになることを目指していました。

彼は「池田さんは若くして診断士資格をとったんだから、20代のうちに税理士資格も取っちゃえばダブルライセンスで一生飯が食えますよ!」と言います。

しかも、来年から税理士法が改正されるから、来年までに大学院の法学部に滑り込むことができれば、国税三法(所得税法、法人税法、相続税法)は免除になる(=簿記論と財務諸表論だけで合格できる)からチャンスですよ、と。

その話を聞き、税務も税理士もまったく興味が無かった僕ですが、「税理士と診断士があれば、一生飯が食える(=安定した人生が送れる)」という謎の思い込みで大学院入学の勉強を始めます。

あわせて(診断士試験で財務会計は学びましたが)簿記を知らなかったので、池袋の大原簿記学校に申し込み、簿記論3級の勉強も始めました。

幸い、都内の某大学院の法学部に合格はしたものの、簿記3級の勉強がまったくはかどりません。診断士試験のときは、全国模試で1,000人中25位をとったこともありましたが、簿記の試験では、4,500人中4,400位の成績。

「ヨーイ!はじめ!」という試験開始の号令とともに、隣の生徒は左手で電卓を叩き、右手でスラスラと仕訳をしています。

昼の休憩時間に思いました。

「まったくおもしろくない。つーか、猛烈につまらない! うん! 向いてないんだな!」

遅すぎる気づきでした。

そして、「いまやっているマーケティングの仕事なら、そのへんの奴が10人かかってきても自分ひとりで勝つことができる自信がある。でも、簿記や税理士の世界では、俺が10人束になってかかっても、この隣の奴ひとりにすら勝つことはできないだろう」と思ったのです。

この税理士事件の最中、公認会計士、社労士、司法書士など、あらゆる「一生飯が食えそうな仕事(=資格)」を探しては手当り次第手を付ける始末。

もう立派な資格オタクの入口、というか、途中まで部屋に入室している状態でした。

「自分は何者か」「何がやりたいのか」「何ができるのか」「何は不得意で、何はやりたくないのか」という根本的な自身の人生価値観や幸福観と対峙することなく、ただただ「腕っぷし一本で一生飯が食える保証(拠り所)が欲しい」という間違った思考に侵されていました。

29歳でマーケティングコンサルタントとして独立

この経験を通して、自分が得意なこと、そして、寝食忘れて楽しめる(没頭ができる)ことは、やっぱりマーケティングという仕事なんだな、と思うようになりました。

マーケティングの楽しさは、正解が無いことです。

数学も、税の計算も、答えは一つです。誰がやっても、最後は必ず(たったひとつの)正解にたどり着かなければなりません。

でも、マーケティングは違います。

市場も違えば、マーケットのポジションも違う。ターゲットも違えば、インサイトも違う。

データはひとつだけど、解釈の仕方は何百通りもあり、その打ち手も無数にある。

だからこそ「誰が」考え、実行するかで成否が分かれる。こんなダイナミックでおもしろい世界、自分にとって他にない!と、いろいろなところへの回り道を通して思うようになっていました。

ああ、やっぱり俺は、マーケティングという仕事がスゲー好きなんだな、と。

「そして、30歳になる前に独立する」という、これまた謎の目標を達成すべく、29歳で個人事業主として独立しました。

34歳でトライバルメディアハウスを創業

ちなみに、昔から「俺はいつか社長になる」と考えていたと言うと、皆さんは僕のことを生粋の経営者気質と思われるかもしれませんが、まったくそんなことはありません。

むしろその正反対です。

僕は、29歳でひとりマーケティングコンサルタントとして独立(=個人事業主)しましたが、そのときはスタッフ(社員)はおろか、アルバイトすらいませんでした。

「ひとりで飯を食っていくことすら不安なのに、自分以外の誰かの面倒を見るなんて怖くてできない!」と思っていたんです。

また、20代の頃、会社勤めをしているとき、僕は自分自身を「世界No.1のNo.2」と自認していました。

当時、僕が仕えた何人かの社長は、みんなネジが何本もぶっとんだような、いわゆる「イッちゃった経営者」でした。

その経験を通して、「ああ、やっぱり社長という生き物は普通じゃないんだな。タイムボカンみたいに、何本もネジがぶっとんでないとできない仕事なんだな」と思っていました。

そして、逆に、いろんなことに気が利き、社長が取りこぼした細かいことを後ろですべて受け止め、整理整頓し、しかるべきときに、最高の状態で手渡すことに長けている(と感じていた)僕は、いつしか「俺はNo.1の器じゃない、No.1(=社長)を支える世界No.1のNo.2だ」と自認するようになっていたのです。

それは、No.1(=社長)になって、複数の社員を雇い、その家族を含めて飯を食わせていく責任から回避したいという逃げだったのかもしれません。

それでも、経営者が天職だと思える理由

そんな、社員ひとりを雇うなんてとんでもない!(=怖い!責任取れない!)と思っていた、世界No.1のNo.2を自認していた僕が、まだ道半ばではあるものの、「それでも自分の天職は経営者業である」と思えるようになった理由は、逆説的ではありますが、スタッフ(=トライバルメディアハウスの社員)の影響です。

トライバルの社員や部長陣は、僕が不完全な人間であることを認めてくれます。

たぶん、スタッフは「え?池田さんが世界No.1のNo.2? どの口が言うんですか。怒りますよ?w」「いまや世界一物忘れが激しいスよね」「朝令暮改マンの典型じゃないですかwww」って言うと思います(事実そうですし)

自分が得意なこと。好きなこと。楽しいこと。

自分がやったほうがいいことと、自分にしかできないこと。自分がやらないほうがいいことと、自分がやっちゃいけないこと。

それらに気づかせてくれたのは、僕の不完全さを埋めてくれるスタッフたちです。

ひとりでできることなんてたかが知れています。

大きなことをやるためには、チームで臨まなければなりません。そしてチームは、それぞれが自律・自立した多様なプロフェッショナルが揃ったとき、最強になります。

僕はむかしから、小さな総合辞典になることを目指していました。

広く・薄くでいいから、ひとりで完結できる人間になりたかった(何があってもひとりで一生食いっぱぐれ無く飯を食っていくためには、その道しかないと思っていたんです)

でも、いまは540度考えが変わりました。

自分は不完全でいい。

自分の不得意は、誰かの得意。自分ができないことは、隣の人に担ってもらえれば良い。

ひとりで、小さく、きれいなオール3のレーダーチャートをつくるのではなく、チーム全員でオール5になる最強のチームがつくれた方が良い。

そのためにも、自分は(その他がオール1でもいいから)自身が得意な分野は、まるで棒グラフのように、一点突破で最強な人材を目指す。

いつしかそう思うようになりました。

僕も昔はスペシャリスト志向でしたが、いまは違います。

繰り返しますが、大きなことをするためには(大きな社会課題を解決するためには)チームで臨む必要があります。

そのチームを構成しているのは、その道のスペシャリスト達です。でも、スペシャリストがたくさん揃えば揃うほど、そのチームを引っ張るリーダーが必要です。

僕は、それがスーパーゼネラリストだと思っています。

スペシャリストをたばねる、スーパーゼネラリスト。

僕が得意で、僕が好きで、僕が楽しいこと。他の人が不得意で、僕がやったほうがいいこと、そして、僕にしかできないこと。

それが、多様なマーケター(スペシャリスト)を束ね、数多くのクライアントや社会の課題を解決するプロジェクトを推進する、トライバルメディアハウスという会社の経営者という仕事です。

人は強みで尊敬され、弱みで愛される

自信家のようで、肝っ玉の小さい臆病者の僕は、いつも去勢を張って行きてきたような気がします。

でも、トライバルを経営するようになって5年くらい経ったとき、「(そのやり方じゃ)もう無理だ!」と思うことがありました。

自分は何が不得意で、何ができないかを(どうしようもなくなって)スタッフに出し始めたとき、事態は予想とは逆に、好転しました。

みんな、それを好意的に受け止めてくれたんです。

「不得意なの、とっくに知ってましたよw」「どう考えたって、そこ向いてないじゃないですか」「ここはやっとくんで、その代わり営業とデリバリで死んでください(注力してください)」と受け入れてくれたんです。

そして(自分で言うのもなんですが)そんな弱みをフルオープンにし始めた僕に人間味を感じ、親しみを増してくれたんじゃないかと思います。

僕はまだ一流の経営者の入口にも立てていませんが、それでも、僕は「僕の天職はマーケティング会社の経営者です」と答えます。

それは、何より、好きだし、楽しいから。そして、この仕事を通して決して少なくない誰かの役に立つことができると思っているからです。

「いまが最高」と言えるかは行動量が決める

これが僕が天職を見つけるまでの過程です。

この世のすべての職業を知ること、ましてや体験することなんてできません。

であるならば、おのずと、天職は「認知の限界」の中で決めるしかありません。

知らない仕事が天職になることはありません。そして、実感値をともなわない仕事が天職になることもありません。

ということは、天職は認知の限界の中における消去法でしか見つからないと思うんです。

消去法の精度は、選択肢(体験値)の多さに比例します。つまり、勉強するにせよ、情報収集するにせよ、選択肢をつくるにせよ、選択をするにせよ、結局、行動量がすべてということです。

考えているだけで、天職が見つかるなんてことはありません。

そして、いろいろ動いているのに、なかなか天職に出会えないという人は、事後解釈の癖が邪魔をしているのかもしれません。

そういう人は、どれだけ多くの情報を得て、行動を続けたとしても、天職を見つけることが難しい状態にあります。

目の前にあるのは事実でしかなく、すべては己の解釈です。

目の前の事象を正解にする解釈力、何を選択したとしても、すべてが正解だったと解釈できる(選択後の)行動力が、天職を見つけるコツだと思います。

選択は、選択した瞬間には成否は決まっていません。正解か不正解かは、選択後の行動によって決まります。そして、その行動の結果を、どう解釈するかどうかなんです。

やりがいのある仕事は、人生を豊かにしてくれます。みなさんの天職が見つかることを祈っています。

ご武運を!

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