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グレーの曖昧さをもっと愛でられたらね


「なおちゃんってなんていうか、あらゆる物事に対して意味づけをしていないんだと思う。」

こんなことを以前友人に言われた。

例えば好きなもの。
私は好きなものの一つに音楽がある。
でも、=どんなアーティストがどうで、こんなところがどう好きで。と、熱弁できるほどかというと、そうではない。ただただ、好きなだけなのです。

ちゃんと好きなのに、それらしい説明があまりできない。

こんな具合だから、人にはそれらが嘘っぽく映ってしまうのだ。

ほんとになんでもそうで、私に質問をしてくれるのはとても嬉しいことなのだけれど、当の本人がふわっとした回答しかできないから、どんどん謎めいた感じの人になってしまうという気まずさ(笑)

…というのをお話ししていた時に、先のことを言われ
そして、下の谷川俊太郎さんの言葉が一つの答えとしてあるんじゃないかと教えてもらった。


意味偏重の世の中なんですよ
誰でも何にでも意味を見つけたがるわけね
で意味を探したがるわけ
意味よりも大事なものは何か存在するってことなんですよ
何かがあるってことね
その存在ってことを言葉を介さないで感じることがすごく大事だと僕は思ってるのね
なかなかそういう機会はないんですけど
生きてる上でそういう風に意味をかいし(?)するっていうのかな
意味付けないでじっと見つめるとか
我慢するとかいうことがあるんだけど
みんなそういうことはしなくなってるんですよね
意味を見つけたら満足しちゃうみたいなね
そうじゃないものをつくりたいとは思っていますけどね

ちゃんと、ある。
だけど、意味を持たせたり納得してもらうそれらしい理由を自分自身があまり必要としていない。

もちろん理由が必要な状況もあるし、何でもかんでもというわけではないのだけれど。世の中は説明を求めすぎるし、納得しないとだめみたいなもので溢れかえっている。


先日観たテレビで、なるほどなあと思うことがあった。


「LGBTQ+の問題に寛容な人が正しいとかではなくて、多様性って、”へえ〜” って受け流せられるかだと思う。」

”多様性は、へぇ〜って受け流せられるか。”

私も手を大きく伸ばして「同意です!」って言いたくなる。


そしてここに加え、私が物事を見る上で大切なことを教えてくれる朝井リョウさんの「スター」という本からも繋いでいきたいのだけれど。

この本ではいろんな物事を2項対立で否定しあうような描写が多く最後はこのような言葉の数々が。


「生きている限り、何かを選び取ることからは逃げられない。だけど、無理やり同じ土俵に並べてこっちの方が劣っているからとか、そんなふうに考えたいわけじゃない。曖昧さがないとどんどん許せないものばかり増えてしまう。だから、自分のいない空間に対して、それは違う、それはおかしいって指摘する資格は誰にもないんだよね。
何か言いたくなる気持ちはすっごくわかるけど、全部、自分がいる空間とは
全く異なるルールで成立しているんだから。」

朝井リョウ「スター」より

この本で私が受け取ったのは、自分の視野の中で判断できることなんてこれっぽっちでしかなくて、世界は判断できる土俵にすらないものだらけだということ。だからこそ、グレーの曖昧さを持ち続けて生きていくしかないということ。



話を戻してしまうのだけれど、ずっとずっと、
「理由や説明を求められる」ことの多さになんだかなあと思っていて。

「なんかいい」「なんとなく違う」みたいな曖昧さでできている私には、正直生きにくかったりもする。

自分の考えはこうだからあなたは間違っている!と、自分の視野で判断するばかりではなくて

「ちゃんとある。それだけでいい。」

そして、
「へえ〜くらいの軽さで受け流す。」

というグレーな境目の言葉をもう少し、いろんな人が使えるといいよね。


私のコソコソ話
先日やっと好きなものを好きなように表現していくインスタを始めてみちゃって。

自分の美術館をどんどん作っていく予定です(ニヤニヤ)

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