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『はて知らずの記』の旅 #8 福島県・二本松(黒塚・満福寺)中

(正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。)

鬼こもれり

 駅前の通りに再び出て、東に進んだ。
 道の脇の樹が大きくなった。
 行く手に陽炎が、ゆらゆら見えている。
 かつて宿場のあった地域は過ぎた、と思われた。
 黒塚、ないしは安達ヶ原に向かっている。
 子規が訪れたからだ。芭蕉も行っている。
 なぜか。
 そこが鬼婆伝説の地だから、である。
 そこには鬼婆が棲んでいた岩屋や、鬼婆が埋葬された塚が現存しているのだ。


 安達ヶ原には鬼婆がいる――
 調べたところ、この伝説を支える文献は三つある。古い順に並べる。

①歌物語『大和物語』(五八段)および『拾遺和歌集』(巻第九)
②能・謡曲『黒塚』
③浄瑠璃『奥州安達原』

 ①は平安時代に成立している。
 そこに次の和歌が出てくる。

みちのくの あだちの原の 黒塚に
 鬼こもれりと 聞くはまことか

 これだけ聞くと、おどろおどろしいと感じるかもしれない。
 しかし歌の前後には説明文がついていて、これは求婚の歌なのである。
 平兼盛が、陸奥国に住む源兼信に対して「そのむすめを得む」と申し込んだ。
 断られるのだが、娘を「鬼」にたとえたのは、兼盛のシャレなのだろう。これがシャレになるということは、みちのくには鬼がいる、という伝説が、当時の人の間に共有されていたのだろう。
 平兼盛の没年は九九一年である。

平兼盛、名倉重三郎編『明治百人一首』

 ②の成立時期は不明である。しかし①と③の間、室町時代あたりと想像される。
 能の声楽部分を取り出したものを謡曲と云い、その詞をテキストで読むことができる。本にして数ページの短いものだ。
 内容を、5W1H風にまとめてみよう。

いつ――不特定
どこで――みちのくの安達が原
だれが――那智の東光坊の阿闍梨・祐慶、同行の山伏、同行の能力(荷物持ち)、賤しい女
何を――祐慶が鬼女を退散させた

 どのように、は少し説明が必要だろう。
 ――諸国を行脚中の祐慶たちは、みちのくの安達が原に着いた。日が暮れたので賤しい女に宿を乞うた。女はしぶしぶ了承した。侘しい草の庵だった。寒いから焚火をしよう、そのために薪を取ってこよう、と云って女は出て行った。その前に「この閨(寝室)だけは覗いてくれるな」と忠告した。祐慶たちは承諾した。しかし好奇心を抑えきれない能力が、中を覗いてしまった。人の死骸が屋根まで積まれていた。祐慶たちは「なるほど、これが安達が原の黒塚にこもれる鬼の住処だったか」と気づいた。祐慶たちは逃げた。女は鬼の姿をあらわして追いかけて来た。祐慶と山伏は仏に祈った。鬼女は退散した。

 これは、明らかに①の和歌を踏まえている。
 また、見るな見るなと云うのに見てしまい、禍を招くのは、『古事記』のイザナミのエピソードを想起させる。
 なお、女がどうして鬼となり安達が原に住んでいるかを「なぜ」とするなら、その理由は不明である。

 ③は江戸時代の浄瑠璃作者・近松半二の作品である。一七六二年に初演された。
 これは②と違って、長い。
 しかも内容は、〝荒唐無稽〟である。自分は読み通すことができなかった。
 安達が原の老女の話は、最後の方に出てくる。
 その部分を、これも5W1H風にまとめてみよう。

いつ――平安時代後期
どこで――安達が原
だれが――生駒之助(夫)、恋絹(妻・妊娠中)、老女、老女の娘、環の宮(天皇の弟)など
何を――老女が恋絹を殺して自殺した

 どのように、は長くて複雑だ。が、やってみよう。
 ――生駒之助と恋絹の夫婦は、誘拐された環の宮を探す旅に出ている。奥州の安達が原にさしかかったところで日が暮れる。夫婦は老女に宿を乞う。老女は夫婦を招き入れる。妊娠中の恋絹は陣痛が始まる。老女は恋絹の腹をさすって、いったんは痛みを鎮める。しかし出産が近い。老女は、町に薬を買いに行こう、夜道なので生駒之助を同伴して、と提案する。老女は、残る恋絹に忠告する。「閨のうちを覗いてはならない」。恋絹は好奇心を抑えきれず、覗いてしまう。白い髑髏や人の腕がゴロゴロ転がっている。老女が戻って来る。老女は恋絹に、お前の腹の中の子が必要だ、と云い、恋絹の腹を裂く。老女は取り出した赤子の血を絞って器にとる。老女は傍の髑髏に血が溜まるのを見て不審を感じる。老女は恋絹の首にかかる守り袋を破り開ける。中には老女の家の系図が入っている。老女は、恋絹が、幼くして生き別れた自分の娘であると気づく。生駒之助が戻って来る。惨状を見て、閨と思しき戸を開ける。そこには環の宮と正装した老女が、かしこまっていた。老女の説明――自分は源義家に討たれた安倍頼時の妻・岩手である。息子の貞任・宗任と謀反を起こすため、環の宮を誘拐した。ところが環の宮は、声を発せない病に罹ってしまった。これを治すには、胎児の血潮に月影を映したものが必要だった。そこに生駒之助夫婦が現れた。これまでにも旅人を襲って、謀反の軍資金を蓄えていた。――そこに、老女の娘と見られていた女が現れる。女は、環の宮の付き人で、宮の誘拐を実行した匣(くしげ)の内侍(ないし)だった。匣の内侍は、器の血潮に月影を映そうとして移動する。ところが、けつまずいて血潮をこぼしてしまうと、たちまち男に姿を変える。匣の内侍の〝正体〟は、源義家の弟の義光だった。さらに誘拐した環の宮の〝正体〟は、源義家の子・八つ若だった。八つ若は、声を出せない病を装っていた。そこに、源義家に味方する鎌倉景政も到着する。娘を殺し且つ謀反の目論見が水泡に帰した老女・岩手は、剣を口に咥え、縁先から転落して自殺する。

 ハチャメチャな内容だが、これは前九年の役・後三年の役に設定を借りている。源氏対安倍氏という大きな構図の中に、②の鬼伝説を嵌め込んでいるのだ。
 この長い話の前半には、能の他の演目『善知鳥(うとう)』のエピソードも含まれているから、「面白ければ何でもあり」の発想で、能から話を借りて繋ぎ合わせたものと思われる。見るな見るなと云うのに見てしまうところなど、能の『黒塚』そのままであろう。
 また、母親が、それと知らずに娘を殺してしまう点は、ギリシャ悲劇のオイディプス王を連想させる。オイディプスは、父と知らずに父を殺し、母と知らずに母と交わった。そのことに後から気づいたオイディプスは、自身の眼を突いて盲目になった。岩手は自殺した。
 なお、この浄瑠璃は、女がどうして鬼となり安達が原に潜んでいるか、という疑問(「なぜ」)に答えを与えている。
 未亡人となった岩手は、夫の仇をとる軍資金を得るために、旅人を襲撃していた。また、誘拐した環の宮の病を治すために、妊婦が通りがかるのを待っていたのだ。

黒塚、鳥山石燕画『画図百鬼夜行』

 以上が鬼婆伝説を形づくる文献である。
 中には完全に作り話と思われるものもあるが、伝説はどこまで本当なのか?
 それを自分の眼で確かめるため、安達ヶ原に向かっている。

 二本松の中心部を離れた道は、車が唸り声をあげて流れる太い道に吸収された。
 片側二車線の国道四号線だった。
 今でこそ大型トラックが行き交って喧しいが、この車道が無ければ他には何も無い処だったろう。
 それこそ「原」と呼ぶにふさわしい風景が広がっていたに違いない。
 付近のバス停は「安達ヶ原入口」と読めた。
 伝説の地が近い。気分が高まってきた。

安達ヶ原入口のバス停

(次回に続く)

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