池朋(いけ・とも)

1979年生まれ。旅行作家。低予算かつ歩数多めの旅がメインになろうかと思います。

池朋(いけ・とも)

1979年生まれ。旅行作家。低予算かつ歩数多めの旅がメインになろうかと思います。

最近の記事

『はて知らずの記』の旅 #10 福島県・二本松(黒塚・満福寺)続

(正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。) 鬼婆ビジネス 芭蕉はここに来ている。  ③浄瑠璃の前だから、①短歌と②能は知っていただろう。  何と書いているか。  これだけである。  同行した曾良は何と書いているか。 《供中ノ渡ト云テ、アブクマヲ越す舟渡し有リ。》  当時は橋が無かったのだ。 《その向ニ黒塚有。小キ塚ニ杉植テ有。又、近所ニ観音堂有。大岩石タタミ上ゲタル所、後ニ有。》  その通りである。  寺は次のように説明したようだ。 《古ノ黒塚ハ

    • 『はて知らずの記』の旅 #9 福島県・二本松(黒塚・満福寺)下

      (正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。) 岩と杉の集積体 橋を渡る。  阿武隈川である。  欄干に「安達ヶ橋」とあった。  橋の上から黒塚が見えるはずだった。  車の来なくなったタイミングで、反対側の歩道に移動した。  左手前方に、法隆寺かと思うような五重塔が見えた。  川の上にさしかかった。  水の中に鯉の形が小さく見えた。  黒塚は、流れの直ぐ傍にあった。  見間違えるはずもなかった。  大きな水位計の裏に、高い杉の樹が直立していた。  樹の

      • 『はて知らずの記』の旅 #8 福島県・二本松(黒塚・満福寺)中

        (正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。) 鬼こもれり 駅前の通りに再び出て、東に進んだ。  道の脇の樹が大きくなった。  行く手に陽炎が、ゆらゆら見えている。  かつて宿場のあった地域は過ぎた、と思われた。  黒塚、ないしは安達ヶ原に向かっている。  子規が訪れたからだ。芭蕉も行っている。  なぜか。  そこが鬼婆伝説の地だから、である。  そこには鬼婆が棲んでいた岩屋や、鬼婆が埋葬された塚が現存しているのだ。  安達ヶ原には鬼婆がいる――  調

        • 『はて知らずの記』の旅 #7 福島県・二本松(黒塚・満福寺)上

          (正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。) インドカリーと少年隊 二本松の駅を降りた。  最初に眼に入ったのは、「二本松少年隊」のポスターだった。  会津若松の白虎隊は知っていたが、二本松には少年隊がいたらしい。  脳内に、冒頭の唄が再生された。  駅前から真っ直ぐな道が伸びていた。歩き出すと、民家を改造したと見える店舗から、異国風のスパイシーな香りがぷ~んと漂ってきた。 《本格ナン インドカリー》の看板が眼に入った。  他にも、「こんどこそ」「し

        『はて知らずの記』の旅 #10 福島県・二本松(黒塚・満福寺)続

          『はて知らずの記』の旅 #6 福島県・福島(文知摺観音・松原寺)下

          (正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。) 人間の屑 再び阿武隈川を渡った。  次の目的地は「葛の松原」である。  徒歩一時間以上を見込んでいる。  燃料が必要だ。  橋のたもとのドン・キホーテで、うぐいすぱんを買った。  皮に包まれた緑の餡を齧りながら歩いた。 「葛の松原」とは、どういう処か?  これは、『撰集抄』(せんじゅうしょう)と呼ばれる鎌倉時代の書物に登場する地名だ。 『撰集抄』は、西行法師が書いたものと信じられていた。  放浪中の西行が

          『はて知らずの記』の旅 #6 福島県・福島(文知摺観音・松原寺)下

          『はて知らずの記』の旅 #5 福島県・福島(文知摺観音・松原寺)上

          (正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。) 山の上の神社 福島駅の東口には芭蕉と曾良が立っていた。信号を待つ間、写真を撮ろうかと、銅像の前でポケットの中にスマートフォンを探ったが、やめた。これは芭蕉ではなく子規の足跡を辿る旅なのだ。  百貨店が消えた空虚を右に見ながら進んだ。大きな通りにぶつかった。信夫通りと云った。左に折れて北上した。けやきの樹が並んでいた。  行く手には緑の斜面が見えている。福島市のシンボルと云ってよいだろう、信夫山だ。  はるか

          『はて知らずの記』の旅 #5 福島県・福島(文知摺観音・松原寺)上

          『はて知らずの記』の旅 #4 宮城県・笠島(実方中将の墓)

          (正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。) サシモのさねかた 七月二七日、飯坂温泉を発った子規は、桑折駅から汽車に乗った。  その日に宿をとる仙台に直行することもできたはずだが、手前の岩沼駅で下車している。  歌枕の「武隈の松」を見るためだ。  ところが、  武隈の松は「二木(ふたき)の松」として知られる。「根は土際より二木に分かれて」と芭蕉が書いているとおり、現在も二本の幹が、びよーん・びよーんと斜めに伸びて、車道の上に懸かっている。 「かなたと

          『はて知らずの記』の旅 #4 宮城県・笠島(実方中将の墓)

          『はて知らずの記』の旅 #3 福島県・飯坂温泉(下)

          (正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。) 瀧ほとばしる? 子規は飯坂温泉に二泊している。  到着した七月二五日は、途中から雨になったようだ。  初めて飯坂温泉を訪れたとき、唐突に温泉街の風景になる様に驚いたものだ。  久しぶりに十綱(とつな)橋の上に立つ。  そこからの眺めは、緑の川沿いギリギリに建つアパート群、といった感じだ。  子規も、この橋に来た。  川の西側は、坂の多い、入り組んだ地帯になっている。  方向感覚が失われ、先ほど通った道に

          『はて知らずの記』の旅 #3 福島県・飯坂温泉(下)

          『はて知らずの記』の旅 #2 福島県・飯坂温泉(上)

          (正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。) バスのような電車 飯坂温泉は絶妙の距離にある。  東北新幹線が停車するJR福島駅から、福島交通飯坂線という可愛らしいローカル線が出ている。それに乗って二〇分もすれば、山の麓の温泉場に到着する。  街中から近すぎず、遠すぎず。  手軽に旅行気分が味わえる。  乗り場は、駅ビルのはずれにある。従業員通用口か、と思われるような暗い通路を入った奥にあるので、見つけられない人がでるのでは、と心配になる。  今時は珍

          『はて知らずの記』の旅 #2 福島県・飯坂温泉(上)

          『はて知らずの記』の旅 #1 正岡子規の奥の細道

           正岡子規に『はて知らずの記』という作品があるのを、ご存知だろうか?  自分がそれを知ったのは、福島の飯坂温泉を歩いている時だった。  案内板によれば、子規は松尾芭蕉を慕って、『おくのほそ道』のルートを辿ったらしい。その旅日記が、当時の新聞に連載された。 『はて知らずの記』は、正岡子規版『おくのほそ道』と云えそうである。  芭蕉は歩いたが、子規は汽車を使ったらしい。  鉄道の旅なら、自分にも再現できるのではないか?  そう思ったのが、この作品に興味を持った最初である。  そ

          『はて知らずの記』の旅 #1 正岡子規の奥の細道

          箱根駅伝・山下りの旅 #4 小涌園から風祭

          宮ノ下まで 湯から足を抜き、再び山下りを始めた。  しばらくは、坂道ながら、住宅地のような景色の中を歩いた。  外国人の姿が再び見られるようになった。  ラフな格好をした西洋人が多い。この辺りは、こじんまりとした、彼ら好みのゲストハウスが点在しているようだった。  左手に見える校舎は、箱根中学校だった。こんな処に登校している中学生がいるのだ。  右手には、彫刻の森美術館が出現した。  彫刻の森美術館?  自分はかつて、ここに電車で来たことがある。最寄りは確か、彫刻の森という駅

          箱根駅伝・山下りの旅 #4 小涌園から風祭

          箱根駅伝・山下りの旅 #3 元箱根から小涌園

          本格的なスタート 元箱根のバスターミナルまで戻った。  車道を跨いで立つ大きな鳥居を見上げる。  先ほどはこの鳥居をくぐって箱根神社まで行ったが、駅伝のコースは鳥居の右側を入った細い道を登ることになっている。  この道は、少し進めば再び国道一号に合流するのではあるが、ここは忠実にコースを辿っておきたい。  鳥居脇に着いたのが、一二時二五分であった。  スタートからすでに一時間以上が経過している。  しかしこれまでは歩き半分・観光半分であった。  ここからが、今回の〝山下り歩き

          箱根駅伝・山下りの旅 #3 元箱根から小涌園

          箱根駅伝・山下りの旅 #2 箱根町港から箱根神社

          登りはバスで 出発の一五分前にバス乗り場に到着した。  道を歩く外国人の多さから、多少の覚悟はしていたが、乗り場は混乱を極めていた。  三人の女性係員がいて、乗り場にやって来る客を、英語と日本語で案内していた。そのうちの一人は、中国出身の人のように思われた。  自分の目的地は、箱根町港だ。  その方面行きのバスが出る二番乗り場には、長い列ができている。仕方なく、その尾についた。  バスは、これだけの人数を収容できるのだろうか。  見回すと、列をつくる人の八割は外国人だった。

          箱根駅伝・山下りの旅 #2 箱根町港から箱根神社

          箱根駅伝・山下りの旅 #1 小田原から箱根湯本

          駅伝とカーレース この正月に、箱根駅伝を見ていた。  陸上競技に縁のない自分にとって、箱根駅伝を見ていて面白いと感じるのは、(往路でいえば)一区と五区だ。  一区は、自分の知っている土地を走るから面白い。 「ああ、そろそろ東京駅だ」と思うと、レンガ色の駅舎が画面に入る。 「もうすぐ帝国ホテルだ」と思うと、正面玄関への入口がチラリと流れる。  これが楽しい。つまり自分は、レースを楽しんでいるのではなく、選手たちの後ろに見える〝景色〟を楽しんでいるのだろう。それは列車に乗って、

          箱根駅伝・山下りの旅 #1 小田原から箱根湯本

          山形三五〇円温泉の旅 #7 四日目 左沢・寒河江

          「左沢」と書いて、「あてらざわ」と読む。  嘘だろう、と思うところだが、自分はこの読みを知っていた。  以前、JR左沢線を使って、(これも難読地名だが)寒河江(さがえ)という街に、仕事で来たことがあったからだ。  本日目指す温泉は寒河江にある。  だから最寄りの寒河江駅で降りればよいのだが、湯に直行するのでは面白くない。  また自分には、何事につけ、端っこまで行ってみたい、と考える癖がある。  どん詰まりの駅・左沢には何があるのか?  時間的余裕はある。  そこで内田百閒の阿

          山形三五〇円温泉の旅 #7 四日目 左沢・寒河江

          山形三五〇円温泉の旅 #6 三日目 天童最上川温泉

           天童駅から東に少し行くと天童温泉があるが、今回は立ち寄らない。  この日も三五〇円温泉を目指して、歩く。  駅前の羽州街道を南下する。  立派な道幅だ。  松の木が並んでいて、〝街道感〟が漂う。  しかし背が低いから、後世に植え換えられたものだろう。  道幅も拡張したに違いない。  しかし往時の面影はあって、路地の先に、端正なたたずまいの寺が見えたりする。  針路を西に変え、山形線の踏切を越える。  車道に沿って、進む。  住宅がまばらに造成されているが、この辺りは一面

          山形三五〇円温泉の旅 #6 三日目 天童最上川温泉