池朋(いけ・とも)

「旅」をテーマに投稿します。紙ドライバーのため、鉄分多め・徒歩多め・予算少なめの旅が主…

池朋(いけ・とも)

「旅」をテーマに投稿します。紙ドライバーのため、鉄分多め・徒歩多め・予算少なめの旅が主になります。

マガジン

  • 検証『はて知らずの記』の旅

    正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡ります。

  • その他の旅行記

    雑多な旅行記の寄せ集めです。

  • 正岡子規『はて知らずの記』本文

    正岡子規『はて知らずの記』(1893年)の本文を紹介しています。読み易いよう、文を短く区切って配置しました。旧い文体ですが、意味が判らないようで、判る(笑)面白さを味わっていただけたら、と思います。

最近の記事

印度幻想行(仮)#1 神戸|旅の前夜

 一一月一八日の夕暮れだった。  社の幹部諸氏の見送りを受けた。社長や常務の顔もあった。  神戸へ向かった。明朝の出発が早いため、出港地で一夜を送ることにした。  その夜、綿花商コタック氏の邸宅を訪れた。御茶に招かれた。 ――綿花商とは?  コットンの取引を専門に行う商人のことだ。印度は綿花の産地だった。  サロンへ通された。  印度風の家具が置かれていた。カシミールの衝立、ペルシャの絨毯、古い仏像…… ――カシミールとは?  ヒマラヤ山脈南部の地域だ。印度・パキスタン・

    • 『はて知らずの記』の旅 #23 福島県・白河

      (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) 二つの城 大きくカーブして車両が白河駅に入る。  プラットフォームに降りると、高台に端正な城が見えている。  一八九三年にここに来た正岡子規も城を見ている。 「ああ、あれを見たのだな」と思うかもしれないが、それは誤りだ、ということに気づかねばならない。  正岡子規が書いているとおり「東半里許りに結城氏の城址あり」なのである(半里は約二キロメートル)。  駅から見えているのは白河小峰城である。  他方、正岡

      • 『はて知らずの記』の旅 #22 岩手県・北上、水沢

        (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) 詩人の部屋「北上」  のっぺりとしたつまらない名前である。  正岡子規の時代には「黒沢尻」と云った。  こちらの方が味があるのになあ。  合併を繰り返すたび自治体の名称はつまらないものになっていく。  北上に入ったその日、日本現代詩歌文学館に立ち寄った。  井上靖記念室があると知ったからだ(無料)。  井上靖と云えば小学校の授業で『しろばんば』と云う作品を扱ったことを思い出す。  話の内容は覚えていない

        • 『はて知らずの記』の旅 #21(番外編)秋田県・田沢湖、角館

          (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) 旅のはて この日は今回の旅のエクストラ・ラウンドである。  田沢湖を見て、角館に行く。  正岡子規は行っていない。  自分が行きたかったのだ。  田沢湖・角館は鉄道ユーザーの自分にとって難攻不落の場所だった。  盛岡から田沢湖へ行くとしよう。  田沢湖線を使う。  早朝五時一八分に大曲行きが出ている。  これに乗るには、盛岡に宿泊しないと無理である。  そこで次の列車を調べると、途中の雫石や赤渕行きはあ

        印度幻想行(仮)#1 神戸|旅の前夜

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        記事

          『はて知らずの記』の旅 #20 秋田県・神宮寺、六郷、横手

          (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) おにぎり山 寒風山に登るという大仕事を終えたせいだろうか、昨日夕食を多めに摂ったせいだろうか、少し気力・体力が持ち直していた。 『はて知らずの記』の旅も、本日から戻りのルートに入る。  正岡子規は八郎湖を見たあと秋田に引き返し、大曲に行っている。そこから六郷と云う宿場町を経由して奥羽山脈を越え、岩手県に出た。  そのルートは途中まで、JRの奥羽本線と重なる。  文明の力を借りることにした。  正岡子規は

          『はて知らずの記』の旅 #20 秋田県・神宮寺、六郷、横手

          『はて知らずの記』の旅 #19 秋田県・寒風山、三倉鼻、八郎潟

          (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) 右も左も海 羽後牛島駅は不思議な構造をしている。  小さな駅舎に入ると下へ行く階段しかない。  防空壕のような地下道を進む。角には緑色の苔がむしている。  反対側から人が来た。駅の向こう側からも、この地下道に導かれるらしい。  ちょうど中間地点に上りの階段がある。  光に向けて進むと、浮島のような細長いプラットフォームに出た。  初めからこのような設計にはならないだろう。  歴史を掘れば、何らかの事情が見

          『はて知らずの記』の旅 #19 秋田県・寒風山、三倉鼻、八郎潟

          『はて知らずの記』の旅 #18 秋田県・由利本荘、秋田

          (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) のっぺりした街 ああ何も無い。海と空のほかには何もない。――  羽越線のロングシートに座って、正面の窓を見ていた。  絶景と云ってよいが、単調だ。  この圧倒的単調さを前に詩を生み出すのは困難なのではないか。  どこまで行っても片側は海と空しかない道を歩きながら句を練っていたであろう正岡子規の苦労を思う。  電車に乗って面白いことの一つは地名の読みが判ることである。  地図にも地名が示されているが、漢字

          『はて知らずの記』の旅 #18 秋田県・由利本荘、秋田

          『はて知らずの記』の旅 #17 山形県・吹浦

          (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) 風がふくら 秋田行の列車は二両で待っていた。  何とか間に合った。  吸水速乾のシャツが汗でぐっしょり濡れている。  裾の下からハンカチを差し入れ、汗の噴き出している腹を拭った。  健康には良くないのだろうが冷房の風が直接当たるよう、シート上で体の位置を微妙に調整する。  車窓は右に鳥海山の裾が見え、左に城壁のような緑が続いていた。  城壁の向こうに大きな白いプロペラが反時計回りにゆっくり回転していた。

          『はて知らずの記』の旅 #17 山形県・吹浦

          『はて知らずの記』の旅 #16 山形県・酒田

          (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) 暑さ涼しさ半分づつ 朝七時に会員制ホテル(by伊集院光)の快活CLUB鶴岡店を出た。  ここに泊まったのは三度目だろうか。  一度目は月山登山の時だった。  あれは苦い経験だった。自分の登山史における転機にもなった(もしあの時の旅記録が残っていたら、掘り出して書き起こしてみたい)。  その意味で、思い出深い宿である。あれからもう一〇年以上経つというのに、元スポーツ用品店だったのではないかと思われる建物が変

          『はて知らずの記』の旅 #16 山形県・酒田

          『はて知らずの記』の旅 #15(番外編)新潟県村上、山形県鶴岡

          (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) 行くべきか、行かざるべきか さて、思いつきで始めた『はて知らずの記』の旅も、いよいよ秋田方面を究める「時は来た! それだけだ」(by橋本真也)。  正岡子規は大石田から舟に乗って最上川を進み清川で降りた。そして歩いて酒田へ行った。  これは、おおむねJR東日本の路線と被るルートだ(当時そこに鉄道は無かった)。  大内田から奥羽本線で新庄まで行く。新庄からは陸羽西線で酒田まで行ける。  現在、最上川舟下りは

          『はて知らずの記』の旅 #15(番外編)新潟県村上、山形県鶴岡

          『はて知らずの記』の旅 #14 山形県・大石田、東根

          (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) 油の川 大石田に来るのは二度目である。  前回は銀山温泉が目的だった。  あの時は銀山温泉からバスで戻った後、格安温泉を目指して田圃の方へ歩き出してしまったため、町の中心部を見ることはなかった。  今回は、正岡子規が目的だ。  子規が舟に乗り込んだであろう船着場あたりを見たいと思った。  再びの仙山線である。  愛子・陸前白沢・熊ヶ根……  子規が歩いたであろう田舎道を、冷房の効いた箱の中から眺める

          『はて知らずの記』の旅 #14 山形県・大石田、東根

          『はて知らずの記』の旅 #13 宮城県・塩釜、松島(二)

          (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) 日本一の涼み まずは五大堂へ行った。 「筬(おさ)」とは?  ――織機の付属具。竹または金属の薄片を櫛の歯のように並べ、枠をつけたもの。  以前来た時も渡ったはずだが、まったく記憶になかった。  知らなければ、「工事中で未完成なのかな?」と思ってしまうだろう。  干上がっているとそうでもないが、下に潮が見えると高度感が増すのは何故か。  続いて瑞巌寺の前まで行った。  端正な参道が真っ直ぐに伸びていた

          『はて知らずの記』の旅 #13 宮城県・塩釜、松島(二)

          『はて知らずの記』の旅 #12 宮城県・塩釜、松島(一)

          (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) 鉄道と松島 松島には三、四回行ったことがあった。  いずれの時もパッとしない印象だった。  もっと風光明媚な景色が瀬戸内海にいくらでもあるだろう、と思ってしまうのだ。  名前負けしている。実力以上に人気を集めて過ぎている――というのが松島君に対する自分の評価だ。  仙台から程よい距離にあることも松島君に有利に働いているに違いない。  仙台観光だけではもったいない。せっかく東北に来たのだから松島君まで足を延

          『はて知らずの記』の旅 #12 宮城県・塩釜、松島(一)

          『はて知らずの記』の旅 #11 宮城県・仙台(南山閣)

          (正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。) モコたり 仙台駅で地下鉄東西線に乗り換え、国際センター駅で降りた。  東京になりきれない大宮のようだ――と普段は見下している仙台の街も、ここ国際センター駅の周辺だけは〝素敵〟である。外国に来たような雰囲気がある。  樹が高いせいだろうか。人通りが少なく落ち着いているせいだろうか。  TM NETWORKの「STILL LOVE HER(失われた風景)」が脳内で自動再生される。  あの曲はロンドンで作った

          『はて知らずの記』の旅 #11 宮城県・仙台(南山閣)

          正岡子規『はて知らずの記』#34最終回 八月二十日 (汽車)→上野

          (正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています) 上野着。家に帰る。二十日は、白河の関にて 車窓より明け行く。 小雨、猶やまず。 正午、上野着。  わが旅中を憶ふとて  帰庵を祝ふとて 始めより、はてしらずの記と題す。 必ずしも、 海に入り、天に上るの 覚悟にも非らず。 三十日の旅路、恙なく 八郎潟を果として、 帰る目あては、終に 東都の一草庵をはなれず。 人生は、固より はてしらずなる世の中に はてしらずの記を作りて、 今は、其はてを告ぐ。 はてあり、とて 喜ぶべき

          正岡子規『はて知らずの記』#34最終回 八月二十日 (汽車)→上野

          正岡子規『はて知らずの記』#33 八月十九日 黒沢尻→水沢→(汽車)

          (正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています) 公園に寄り、汽車で帰る。十九日、曇天。 小雨、折り折り来る。 午後の汽車にて 水沢に赴く。 当地、公園は町の南端にあり。 青森、仙台間、第一の公園なりとぞ。 桜、梅、桃、梨、 雑樹を栽う。 夜汽車に乗りて、 東京に向ふ。 水沢 公園(→水沢公園) 駒形神社の祭礼なりとて商人の用意頻りなり。(初出) 水沢午後八・二四発(全集第13巻)

          正岡子規『はて知らずの記』#33 八月十九日 黒沢尻→水沢→(汽車)