『はて知らずの記』の旅 #12 宮城県・塩釜、松島(一)
(正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。)
鉄道と松島
松島には三、四回行ったことがあった。
いずれの時もパッとしない印象だった。
もっと風光明媚な景色が瀬戸内海にいくらでもあるだろう、と思ってしまうのだ。
名前負けしている。実力以上に人気を集めて過ぎている――というのが松島に対する自分の評価だ。
仙台からほどよい距離にあることも松島に有利に働いているに違いない。
仙台観光だけではもったいない。せっかく東北に来たのだから松島まで足を延ばしてみるか、と。観光地・松島はそうした旅行者の心情につけこんでいるような気がしてならない。
ずいぶん悪しざまに書いたが、松島に行かないわけにはいかない。
なぜなら正岡子規が『はて知らずの記』で猛烈に賞賛しているからだ。
「松島の風、象潟の雨、いつしか、とは思ひながら……」
何しろ旅の二大目的地の一つが、松島だったのだから。
仙台駅で仙石線に乗り換えた。
乗り換え時間は八分。急がねばならない。
仙石線のプラットフォームは地下にある。
自分は「仙台駅の京葉線」と呼んでいる(わかってくれる人がいたら嬉しい)。
付けたりのように地下に設置されているから歴史が浅いのだろうと推測していたが、違った。
仙石線の地下フォームの歴史は一九二五年にまで遡るらしい(位置は移ったようだが)。
また同じくウィキペディアで知ったが、仙石線はもともと宮城電気鉄道なる私鉄だった。
仙石線の〝私鉄感〟――駅の造りや車両が醸し出すどこか〝ちゃちい〟感じ(失礼!)――に説明が与えられたようで、妙に納得してしまった(東北本線だって元は私鉄なのだが)。
仙台から松島へ向けて、東北本線と仙石線の路線がもつれる二本の紐のように伸びているのも、出自が異なると知れば合点がいく。
相互に乗り入れる仙石東北ラインなどというのもあり、訳がわからなかったが、歴史を知ると「そういうことか!」となる。
ちなみに正岡子規が旅した当時、松島に鉄道は通じていなかった。
子規は塩釜から松島まで舟で渡っているが、風流のためにわざわざそうしたのではない。それしか方法がなかったのだ。
当時、塩釜と松島の間は線路でつながっていなかった。手前の岩切駅で分岐していた。
仙台→岩切→塩釜
仙台→岩切→松島→品井沼→(…)→青森
塩釜はどん詰まりの駅だった。それも現在の塩釜駅の位置ではなく、イオンタウン塩釜の辺りにあったらしい。
また当時の松島駅は、現在の位置になかった。現在の愛宕駅の辺り、つまりは山の中にあったらしい。
線路は、
仙台→岩切→(現・利府)→(現・愛宕)→品井沼
のように敷かれていた。海沿いの塩釜も松島も経由していなかった。
現在、岩切から利府までは、中途半端に利府線が伸びている。あれはセキスイハイムスーパーアリーナに行くために造ったのだろうと思っていたが、違った。もともとは、あれが〝本線〟だったのだ。
はやぶさ号
仙石線を東塩釜駅で降りた。
潮風を感じた。少し湿り気を帯びている。
籬(まがき)が島は堤防に守られるようにしてあった。
子規はこれを塩釜を発った舟の上から見ている。
松島は松の島だから松島なのだな、と当たり前のことに気がつく。
水の上に出た岩の狭い面積に、松の樹が繁茂している。
島は神社になっていたが、橋の入口の扉が南京錠でロックされており、入島することはできなかった。
塩釜は崖の多い地形である。
塩釜神社も崖の上にある。
神社に向かって歩道を進んでいると、額の右上部に蝉がぶち当たった。
人にぶつかるとは、鈍臭い蝉である。
以前来た時は表参道の地獄のような石段をのぼったが、その元気は無いので、東側の参道を試してみる。
大通りから見える黒くて渋い鳥居をくぐって進んだ。
芭蕉が泊まった宿が、この辺りにあったらしい。
蝉の声が雨のように降ってきた。
山寺まで行かなくとも、ここで蝉の声の句を詠んだらよかったのに。
参道には、滑り止めのためだろうか、タイヤのスリットのように溝が刻まれた黒くて大きな四角い石が敷かれていた。これがホントの石畳、と思った。
二度目の訪問だが、さすがに歴史のある神社。長い年月しか醸成することのできない特有の雰囲気があった。
九時出港の遊覧船に乗るため、みなとオアシス・マリンゲート塩釜へ向かった。
正岡子規はここ塩釜から舟で松島へ渡っている。松尾芭蕉もそうだった。
塩釜から松島まで、現在、船で行くことはできるのか?
調べてみたら、運行している会社が一つだけあったのだ。
電車で行けるのにわざわざ船に乗る必要があるのか、という気もしたが、一生に一度の経験と思って窓口で切符を購入した。
仙台まるごとパスのクーポンを示したら、一五〇〇円の料金が一三五〇円になった。
はやぶさ号は、遊覧船というより、赤いスポーツカーのような外観をしていた。
先客がいるな、と思って船に近づいたら、中の人影はパッと散って、一人がチケットをもぎりに来た。
今のところ客は自分一人のようだ。
船内は、前向きの長椅子が規則正しく並んでいて、昔のバスのようだった。
その中段の左窓際に席をとった。冷房が効いていて汗がすぅーとひいていった。
乗組員は運転手一人のようだった。
出発間際になって、おそらく年金暮しをしているであろう夫婦らしき男女の一組が客に加わった。
運転手は、軽トラックでも動かすように、はやぶさ号を発進させた。
はんまるい
船はまず東へ向かった。
室内には、録音された女性のアナウンスが流れた。
ほどなく老夫婦は後部のデッキに出て行った。箱の中の客は自分一人になった。
窓に顔を近づけた。
まず眼に入るのは水面の上に突き出た竿・竿・竿である。
音声によれば、それらは海苔の養殖に使われるそうだ。
竹の竿と竿の間が交通路になっていて、遊覧船はそこを通る仕組みのようだ。
海苔に牡蠣にワカメ。
松島湾は一大養殖場になっているようだ。
水深は二メートルから一〇メートルとのことだ。スクーバダイビングをやる人には感覚がわかるだろうが、まったく深くない。
はやぶさ号は仁王島なる岩の手前でUターンするように大きく進路を変えた。
子規が書いているが、これはまあ当たっている。
「我、位置の移るを覚えず、海の景色の活きて動くようにぞ」は大袈裟だが、「一つと見し島の二つになり三つに分れ」は本当だ。
船からの目線は水面近くの低い位置にあるから、遠近感が騙されるのだ。
一つの島と思っていたのが、え、別の島だったの? ということが確かにある。
また島には、松の島と裸島がある、ということも知った。
松が生えていなければ岩だけの裸島、生えていれば松島だ。
「右手に見えるはんまるい小さな島は……」と時おり女性のアナウンスが言うのが気にかかった。
「はんまるい」は日本語か?
しかし言われてその方向を見ると、確かに、はんまるい裸島があるのだった。
島にはそれぞれ名前がつけられていた。
中には、こじつけのようなネーミングもあった。
鯨島と亀島が並んでいるが、亀が大きすぎやしないか? など。
解説によれば、二〇一一年の津波で島の形状もずいぶん変わったようだ。
そうすると名前がそぐわなくもなるだろう。
約四〇分の遊覧を経て松島の埠頭に足を着けた時には、少し気持ちが変わっていた。
船で渡ってこそ松島だ、と。
青森から函館まで津軽海峡をフェリーで初めて横断した時と似た感慨を覚えた。
これまでは鉄道で来て、岸辺から景色を眺めるだけだった。
芭蕉も子規も、もし鉄道で来ていたら(それは不可能だったのだが)、それほど感激しなかったのではないか。
塩釜のターミナルで知ったが、松島は、桂島・野々島・寒風沢(さぶさわ)島などの大きな島に囲まれた湾になっていて、島へは塩竈市が汽船を出している。海水浴場もあるらしい。
今度はそれらの島に遊びに行ってもいいな、と思った。
(次回に続く)
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