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『はて知らずの記』の旅 #11 宮城県・仙台(南山閣)

(正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。)

モコたり

 仙台駅で地下鉄東西線に乗り換え、国際センター駅で降りた。
 東京になりきれない大宮のようだ――と普段は見下している仙台の街も、ここ国際センター駅の周辺だけは〝素敵〟である。外国に来たような雰囲気がある。
 樹が高いせいだろうか。人通りが少なく落ち着いているせいだろうか。

〽歌をきかせたかった
愛を届けたかった
想いが伝えられなかった

 TM NETWORKの「STILL LOVE HER(失われた風景)」が脳内で自動再生される。
 あの曲はロンドンで作った、と小室哲哉が語っていたと記憶する。
 以前ここを通ったときも、アニメ「シティーハンター」のエンディングテーマを口ずさんだことを思い出す。

 南山閣に向かっている。
 正岡子規が『はて知らずの記』で絶賛しているからだ。

閣は、山上にあり、
川を隔てて、青葉山と相対す。
青葉山は、即ち城址にして、
広瀬川は、天然の溝渠なり。
東は、眺望、豁然と開きて、
仙台の人家、樹間に隠現し、
平洋の碧色、空際に糢糊たり。

 本当にそうなのか?
 講談社の全集で見つけた番地情報を頼りに、確かめに来た。

 広瀬川に架かる橋を渡った。
 澱(よどみ)橋と云う。
 仙台も、中心地から少しはずれると、坂の多い街だ。
 発汗を抑えるべく、ゆっくりと登りあげる。
 交通量の多い通りに出た。
 グーグルマップでは「仙台村田線」と表示されるが、別名「作並街道」と云うらしい。

作並街道

 見た瞬間に、街道の匂いを嗅ぎとった。
 針久旅館から南山閣まで子規がどの道を行ったかは不明だが、
《子規はここを歩いたことがある!》
 根拠は無いが、問答無用で確信した。

大崎八幡宮前の標識

 大崎八幡宮の大きな赤い鳥居の前を過ぎて、西へ進んだ。
 本当は唸(うなり)坂という急坂を進むつもりだったのだが、一つ手前の宮脇通なる道に入ってしまった。隣に林が見えているので、八幡宮のすぐ脇を北上しているらしい。(それで宮脇通か。今頃気づいたぞ!)しかし、こんな狭い道に路線バスがひっきりなしに通るのは何故なのか。
 六本の道が集まる交差点でスマートフォンを取り出し、現在位置を確認した。リカバリーするために進むべき一本を特定して、再び歩き出す。
 周辺は〝小山〟の地形になっており、そこに乱雑に住宅が散らばっている。路地には未舗装の砂利道も見られた。仙台の街中からそう遠くないと云うのに……。
 荒巻配水池と云う仙台市水道局の施設らしき敷地を回り込むと、唸坂の上方に出た。
 これは名前に違わず、結構な坂である、とだけコメントしておこう。
 振り返ると青葉山の緑があった。その下には、見えないが、広瀬川が深い谷を刻んでいることを知っている。橋を渡ってきたから。

出るのか?
出るのか?

 更に坂を上った。
「コラム南山 壱番館」なるマンションがあるから、この一帯を「南山」と呼ぶのだろう。
 傾斜が緩み、道が完全に平坦になる手前の林の中に、かつて南山閣が存在した敷地はあった。
 現在は(当時もか?)私有地だから中に入ることはできない。警備会社のカメラのレンズが光っていた。

 更に先へ進むと、踏切にぶつかった。
 そのすぐ左が、JR仙山線・国見駅のプラットフォームになっていた。
 南山閣ツアーはこれで終わりだ。
 しかし気になっていたことがある。
 海が見えないのだ。
 子規の書きぶりからすると、南山閣からは太平洋が見えたはずなのだ。
 南山閣から見えたのなら、その近辺からも見えたに違いない。
 引き返して、南山閣のあった敷地の前を過ぎ、NTTの社宅が置かれていたらしき左の路地に入ると、少しだけ眺望が開けたポイントに出た。ちょうど配水池の上あたりか。
 視界は左右に分けられた。
 右は、城のある青葉山の緑。山は目線の下に見えた。それだけ上ってきたということだ。
 左は、仙台の市街が奥に向けてひろがり、高いビル群が見えた。
 その先に、一本の線が横に引かれていた。眼を凝らしたが、それは空と海を画する水平線なのか、はたまた同じ高さに並んだ雲の列なのか、判然としなかった。
「平洋の碧色、空際に糢糊たり」
 モコたり。
 まったくその通りだと思った。


本日の旅行代

仙台まるごとパス(二日間有効) 二七二〇円

(次回に続く)


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