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正岡子規『はて知らずの記』#34最終回 八月二十日 (汽車)→上野

(正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています)

上野着。家に帰る。


二十日は、白河の関にて
車窓より明け行く。
小雨、猶やまず。
正午、上野着。

みちのくを 出てにぎはしや 江戸の秋

 わが旅中を憶ふとて

秋やいかに 五十四郡の 芋の味 鳴雪

 帰庵を祝ふとて

白河や 秋をうしろに 帰る人 松宇

始めより、はてしらずの記と題す。
必ずしも、
海に入り、天に上るの
覚悟にも非らず。
三十日の旅路、恙なく
八郎潟を果として、
帰る目あては、終に
東都の一草庵をはなれず。
人生は、固より
はてしらずなる世の中に
はてしらずの記を作りて、
今は、其はてを告ぐ。
はてあり、とて
喜ぶべきにもあらず。
はてしらず、とて
悲しむべきにもあらず。
無窮時の間に
暫く我一生を限り、
我一生の間に
暫く此一紀行を限り、
冠らすに、
はてしらず、の名を以てす。
はてしらずの記、
ここに尽きたりとも、
誰れか我旅の果を知る者あらんや。

秋風や 旅の浮世の はてしらず


白河午前六・一一着(全集第22巻)
白河の関

上野午後一二・二五着(全集第22巻)
上野(→上野駅)

八郎潟(→秋田県南秋田郡大潟村)

夏時の旅行は余も度やつた事があるが、旅行し乍ら毎日文章を書いて新聞社に送るといふ事は余程苦しい事である。一日の炎天を草鞋の埃りにまぶれ乍ら歩いてやうやう宿屋に着いた時は唯労れ労れて何も仕事などの出来る者では無い。風呂に入つて汗を流し座敷に帰つて足を延べた時は生き返った様であるが、同時に草臥れが出て仕舞ふて最早筆を採る勇気は無い。其処で其夜は寝て仕舞ふて翌朝になつて文章を書いて新聞社に送つて置く。さうして宿屋を出る時は最早九時にも十時にもなつて居る事があつて詰り朝の涼い間を却つて宿屋で費し暑い盛りを歩かねばならぬ様な事になる。其は恐らく実験の無い人には気の附かぬ事である。(正岡子規「徒歩旅行を読む」『子規全集』第12巻(随筆2)講談社 1975)

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