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正岡子規『はて知らずの記』#24 八月十日 酒田→大須郷

(正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています)

山を見て進み、海岸に出る。


十日、下駄を捨てて、
草鞋を穿つ。
北に向ふて行くに、
鳥海山、正面に屹立して
谷々の白雲、
世上の炎熱を知らぬさまなり。

鳥海に かたまる雲や 秋日和

木槿咲く 土手の人馬や 酒田道

荒瀬遊佐を過ぎ、
松原のはなれ家に小憩す。

笊ふせて おけば昼鳴く きりぎりす

家々の振舞水に
渇を医しながら
一里余り行けば、
忽然として、海岸に出づ。
一望、豁然として
心はるかに
白帆と共に飛ぶ。
一塊の飛島を除きては
天水茫々、一塵の
眼をさへぎるなし。
吹浦に沿ふて行く。
海に立ちて馬洗う男、
肴籠、重たげに提げて
家に帰る女のさまなど、
総て、天末の夕陽に映じて
絵を見るが如し。

夕されは 吹く浦の沖の はてもなく
 入日にむれて 白帆行くなり

夕陽に 馬洗ひけり 秋の海

行き暮れて、大須郷に宿る。
松の木の間の二軒家にして
あやしき賤の住居なり。
楼上より見渡せば、
鳥海、日の影を受けて
東窓に当れり。


鳥海山

荒瀬(→本楯駅あたりか)

遊佐

飛島

吹浦

大須郷

大須郷の宿は「野の茶屋」と称する旅館だったという。(象潟町役場での古賀蔵人調査)
食膳夏牡蠣の美味に驚く。(全集第22巻)

自分が旅行したのは書生時代であつたので旅行といへば独り淋しく歩行いて宿屋で独り淋しく寝るものぢやと思ふて居る。それだから到る処で歓迎せられて御馳走になるなどといふ旅行記を見ると羨ましいの妬ましいのてて/奥羽行脚のとき鳥海山の横の方に何とかといふ処であつたが海岸の松原にある一軒家にとまつたことがある 一日熱い路を歩行いて来たのでからだはくたびれきつて居る 此松原へ来たときには鳥海山の頂に僅に夕日が残つて居る時分だから迚も次の駅迄行く勇気はない 止むを得ず此怪しい一軒家に飛び込んだ 勿論一軒家というても旅人宿の看板は掛けてあつたのできたない家ながら二階建になつて居る、併しここに一軒家があつてそれが旅人宿を営業として居るといふに至つてはどうしても不思議といはざるを得ない 安達ケ原の鬼のすみかか武蔵野の石の枕でない処が博打宿と淫売宿と兼ねた処位ではあらうと想像せられた 自分がここへ泊るについて懸念に堪へなかつたのはそんなことではない 食物のことであつた 連日の旅にからだは弱つてゐるし今日は殊に路端へ倒れる程に疲れて居るのであるから夕飯だけは少しうまい者が食ひたいといふ注文があるので其注文は迚も此宿屋でかなへられぬといふことであつた けれどももう一歩も行けぬからそんなことはあきらめるとして泊ることにした 固より門も垣も何もない 家の横に廻つてとめてくださいといふたが客らしい者は居ないようだから自分も屹度ことわられるであらうと思ふた、処が意外にもあがれといふことであつた 草鞋を解いて街道に臨んだ方の二階の一室を占めた 鳥海山は窓に当つてゐる そこで足投げ出して今日の草臥をいたはりながらつくづく此家の形勢を見るに別に怪むべきこともない 十三四の少女と三十位の女と二人居るが極めてきたない風つきで白粉などはちつとも無い さうして客は自分一人である、などと考えて居ると膳が来た 驚いた 酢牡蠣がある 椀の蓋を取るとこれも牡蠣だ うまいうまい 非常にうまい 新しい牡蠣だ 実に思ひがけない一軒家の御馳走であつた 歓迎せられない旅にも這種の興味はある(正岡子規「仰臥漫録」『子規全集』第11巻(随筆1)講談社 1975、九月十九日の段)


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