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◇4 躁鬱、それから

初めての入院後、激しい躁と重い鬱を繰り返し、人間関係をミサイル並みに破壊した私。
結局、その年は3回、入院することになった。



診断・入院・また入院・またまた入院と、激動の1年を過ごした後は、
だんだんと症状が落ち着き始めました。

課外活動は何もできませんでしたが、自分を知っている人がほとんど卒業したこともあって、
いつの間にか、大学のキャンパスに入ることに恐怖を感じなくなっていました。

精神疾患にたいへん理解のある教授、
何年も留年している私に奇異な目を向けず、そっとしておいてくれたゼミ生のおかげで、
みんなと切磋琢磨しながら、楽しく卒論を書くことができました。


あれ?


いつの間にか。


毎日大学行って、ゼミで議論して、テスト受けられて、レポートも書けて。
結果として、単位がもらえて。

自分に合ったバイトも見つかって。
そんなに長時間働くわけじゃなかったけれど、少しばかりのお金が稼げて。

長期休みにはインターンなんか、参加しちゃったりして。


ということは、私。
もしかして。

「普通」に戻れたのかもしれない!


ちょっと脱線しちゃったけれど、
きっと、大学生にありがちな一時の不安定だったんだな。

頑張ったから、元のレールに戻れたんだ!


そう考えた私は、障害者雇用枠ではなく、一般枠で就活をすることにしました。
精神科への通院は続けていました。躁鬱の薬も、飲み続けていました。

「まあ一応薬は飲むけど、もう大丈夫!」




ずっと憧れていた仕事に就けることになりました。

1か月で、出勤できなくなりました。

当然のことでした。
2年間、ひとりの殻に閉じこもって正気を保っていた私が、突然増えた人との関わりに耐えられるはずもありませんでした。

休職しましたが、数ヶ月休んでも良くならず、自ら申し出て、辞めました。

つらくて、悔しすぎて、なぜか涙が出ませんでした。


望みが絶たれた。
絶望。

そのひとこと、でした。


お手上げ状態。さあ、どうする?





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