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△6 ハチガツ、生きたい?【2024】

寝ぼけまなこで思い浮かんだこと。
来年のきょう、なに考えてるかな?

あれ?
私、2025年まで、生きる予定なの?



最近、人にすすめられて、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を読みました。


いちおう、社会学部出身なので、あらすじくらいは知っていましたが、
じっくり読んだことはありませんでした。


彼は、ホロコーストをアウシュヴィッツで生き抜いた精神医学者です。


身に着けているものすべてを没収されて強制労働に従事し、周囲の人々の精神が徐々に壊れていく様子を描いたこの作品は、豊かで清潔な毎日を送る私にとって、衝撃的なものでした。



人間の歴史は、綱引きの歴史だ


しかし、フランクルは、そんな状況でも希望を捨てませんでした。


フランクルは、「生きていることにもうなんにも期待がもてない」と絶望する人々に対し、「生きること」の捉え方を180度変えるよう迫ります。


わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、
生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。

P.129


生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
わたしたちはその問いに答えを迫られている。
考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。
生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

P1.30


ここ最近は、「生きる意味」について考えることが多かったです。

私の精神を壊した祖母が、リッチな老人施設で命を終えようとしていることを知ったから。


私はきっと、あんな良いところで死ねないんだろうな。

暗い精神病院で私という存在が消えてなくなるのならば、生きている意味、あるのかな?


そういう考えに至りました。


しかし、フランクルは、「生きる意味」を問うことを捨てろと言います。逆なのだ、私たちが「生きること」から問われているのだ、と。


そして、それに正しく答える方法は、「とにかく行動すること」なのだと言っています。


行動を変える。


振り返れば、今年度の幕開けは悲惨でした。

死ぬこと以外、考えられなかった。


そのあと、主治医の後押しを受けて、私は行動を起こした。


支援を受けられる住宅に引っ越し、作業所に通い始め、身の回りを整えた。

そのことによって、いくらか精神が安定してきた。


環境をすこしだけいじって、ただひたすらに目の前の行動を変えれば、感情は変わっていく。

身をもってそれを体験している。


ハチガツは気分が不安定でした。
過食してしまう日も少なくありませんでした。


でも、待っていれば自然と、すっと日常に戻れる瞬間がやってきた。




「死にたい」という隙間に落ちることもあるけれど、
明日が来るのが楽しみで、「生きたい」と感じながらベッドに沈む夜もある。


カーテンを開けて、幸福をおぼえる朝も
あるにはある


ハチガツは、死にたくも生きたくもない感じでした。


さて、ジュウガツはどうなっているか?
わくわくするし、怖くもある。


まあ、たぶんだけど、生きていると思う。
そう信じようと思う。


自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。また、自分が『なぜ』存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる『どのように』にも耐えられるのだ。

P.134


生きることから降りられない。
美しい言葉だと思う。


胸を張って、そう言えるようになりたい。


主治医の言うように、「いつまでも他人のせいにしてはいけない」んだよな。

自分の人生、自分で乗っかっていかなきゃな。

クーラーに冷やされたアイスコーヒーを呷る、ある8月の朝でした。


夏はジョッキで飲みたいくらい
ぐびぐびいけちゃう

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