【雑談】祖母(狂人)に15年ぶりに会った
私の祖母は、頭がおかしいです。
あるとき、母の職場に電話がかかってきました。
おばあさんの声だったそうです。
おたくに勤めている〇〇という女はとんでもない人間ですよ。
解雇した方が良いんじゃないですか?
それだけ言って、切れたそうです。
1日に30回も40回も、電話をかけてきたことがありました。
いわゆる、監視です。
「いま何しているの?子どもは何しているの?」
1度でも電話に出ないと、「〇〇さんが息子のお金を使い込んで、デパートで買い物している!」と声高に叫びました。
母が祖父母の家にお歳暮を贈りました。
母がデパートで、人気のお菓子を必死に探して選んだものです。
また、家に電話がかかってきました。
「お歳暮贈ってくださってありがとうね。
でも、気に入らなかったから、返品して私が気に入るものに変えてもらったわ~!」
母は笑いながら、私にその話をしてきました。
私の母は、精神的に強いです。
だから、祖母に攻撃されても、壊れなかった。
彼女は幸せな環境で育った人だからです。
祖母に何を言われても、へこたれませんでした。
むしろ、言い返したりしていました。笑いながら、戦っていました。
代わりに壊れたのは、ずっと隣にいた私でした。
精神医学の世界では、精神疾患やパーソナリティ障害には、発症をするそれなりの理由があるとされています。
私が数多の精神疾患に今も苦しめられているのは、統合失調症で妄想が激しく、またそれを行動にうつさないブレーキを持つことのなかった彼女の存在によって、家庭がぐらぐらしていたことが原因なのだと、私は解釈しています。
先日、その祖母に、会ってきました。
お城みたいに綺麗な老人施設でした。
もう歩けなくなっており、車いすに座っていました。
ゆったりとした優しいスタッフの方に囲まれていました。
柔らかに、微笑んでいました。
以前のような鋭さはどこにもなくなっていました。
ただの「優しいおばあさん」になっていたのです。
私は、恨みつらみをぶつけるつもりでした。
「お前のせいで私は障害者になったんだ!」
そう、言うつもりでした。
でも、彼女を目の前にしたら、何も言えなくなった。
当たり障りのない会話をして、面会は終わりました。
「大きくなったね」と言われました。
「ありがとう」と返しました。
聞き分けの良い孫を演じました。
帰ってきてから、最近感じることのなかった希死念慮が頭をもたげてきました。
私は母方の祖父が大好きでした。彼は山形から出てきてひとりで電気工事会社をつくった情に厚い人で、孫の私たちを真っ直ぐに愛してくれました。
人工透析を受けていて、とんでもなく暗くて陰気な病院で最期を過ごしました。
コロナ禍だったために、家族の誰にも看取られることなく独りで亡くなりました。
彼の死は不親切な看護師の手で淡々と処理されました。
平たく言ったら、人生の終わりが怖くなったのです。
あんなに善良だった母方のおじいちゃんの終わり方が暗くて、私の精神を壊した父方のばあさんの終のすみかが天国?
つまり、「頑張ったらさいごには報われる」なんて、全くのきれいごとだったんだ。
だったら、このまま生きてる意味ある?やっぱり、20代で死んどいたほうが綺麗かな?
それなら、あと数年しかない!
お気に入りの本読み返して、綺麗な湖で漕ぎまくって、父方の家族をとんでもなく傷つける壮大な遺書つくって、飛び降りて死んでやるか。
最近は、そんな感じです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?