「西郷隆盛の命を救った平野国臣」
30歳の時、平野国臣は太宰府天満宮にて国事に奔走する決意を固めます。そのため妻のお菊と離縁し、小金丸から旧姓の平野に戻り、自ら国臣と名乗るようになります。
国臣とは「ただこの国の臣である」という意味でした。
この時期、ペリー来航から始まる外国に対しての幕府の弱腰に腹を立てた武士達は、徳川幕府に代わり力を持った藩で連合を作り、国難に当たるべきだという考えがありました。
外国への脅威や危機感を持っており、なおかつ軍事や経済で力を持っていたのは薩摩や長州といった西日本の藩でし