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コンセプト・ドリブン - ダッチ・デザインに見る身も蓋もない話

オランダのデザインは、とにかく「コンセプト・ドリブン」だと思っています。もちろんこれは僕が発見したのではなく他所でも言われている話です。
今回は、オランダで生活するなかで見つけた「コンセプト・ドリブンやなぁ〜」というモノと、なぜオランダではコンセプトが実現されているのか?について、書いてみたいと思います。


例1:アムステルダムの運河が美しいのは、柵がないから?

オランダ、とくにアムステルダムは、運河で有名です。街中に張り巡らされた運河が、アムステルダムの街の景色を作っています。

この話は、先日のCNETの記事でも少し話していますが、その運河沿いに柵があまりありません(写真でみると、小さいのがありますけど)。そのため景観がよりキレイに見えます。運河沿いのテラス席も、気持ちいい。何本も流れる運河の全てにシッカリした柵があったら、見た目にもうるさくて台無しになってるはずです。でも、ふらっと簡単に川に落ちれてしまうような状況で、柵がなくて良いのか。「子供が落ちたらどうするんだ!」と。小さい子を持つ親としては、心配でないこともありません。

それで、自分の子供がオランダの小学校に通い始めて知ったのは、冬でも毎週プールの授業があること。そしてプールの授業のディプロマ(必修単位テスト)は、着衣水泳ができるようになることです。

要するに(というか察するに)
・川に手すり無いほうが良いでしょ。気持ちいいし。(主コンセプト)
 ↓
・それで子供が川に落ちたらどうするの!?(課題)
 ↓
・子供達の安全のため、川に落ちても泳げる術を教えよう!(解決策)
こういうことですよね。

そう聞くと僕ら日本人の場合「いや、溺れなければいいって、そういう問題でもないでしょ!」みたいな感覚、ないでしょうか。PTA会議で誰かの親御さんが教頭にキレますよね、きっと。でもオランダではそれは「え? 何か問題でも?」という感覚なのだと思います。

余談ですが、ディプロマは3段階もあって、何が違うのかと思ったら、着衣の量が増えていくんですね。徹底してます。先日うちの娘はテストで「平泳ぎの手が大きく掻きすぎ」と叱られたらしく、「ルネで教わったのと違う(泣)」って言ってました。「体力を維持しながら岸まで泳ぐ」という全然違う目的のための指導だから、気にすることはないんだぞ娘よ。

例2:ガラス瓶をゴミ箱にすてると「ガシャーン」て割れる

下の写真は、家の近くにあるゴミ箱です。あまり細かい仕分けは必要とされておらず、空き缶も燃えるゴミも、同じゴミ袋で捨てて良いことになっています。「大丈夫なの?」とオランダの友人に聞いたら、「大丈夫だよ。処理場でテクノロジーで分けてるから」と言ってました。ほんとかね。

とりあえず、なんか悪いような気もしながら空き缶も捨てています。
写真に見えてる部分だけではもちろん量が入らないので、地中がまあまあの深さのピットになっていて、地上には「ゴミの投入口」だけが出ているというわけです。ゴミ収集車は、この投入口ごとクレーンでグワーッと地下ピットを引き抜いて、荷台に中身をガバーンと移して持っていきます。

缶は一緒でOKですが、瓶は分別されています。ビール瓶など定形のものはリサイクル回収、ワインなどの不定形の空き瓶は、このガラス専用のゴミ箱に捨てることになっています。

こういう見た目で「瓶を投入するんだな」という感じの穴があいています。ちょっとかわいい。

それで、この穴から瓶を投入すると、先ほどの一般ごみ用と同様に地下がピットになっているので、「ヒューン・・ガシャーン」と音がします。当たり前ですけど、瓶が落ちていって、割れる音が。投入口の向こうでの出来事なので、音がうるさいという程ではない。うるさくはないですが、自分が瓶を捨てる行為をする度に「落ちる→割れる」って、ちょっと斬新じゃないですかね。やや後ろめたいというか。

空き瓶なので、割れても何ら問題は無いし、なんなら割れちゃったほうが体積も減るし好都合じゃん、なんというグッドアイデア!みたいな話でこういうデザインがされてるのかなと思います。

でもね、日本人的な礼儀正しい&安全第一のマインドで考えると
・毎度落として割るとは品がない。子供の前で教育的にもいかがなものか。
・万が一破片が飛び出たらどうする。音も近隣には迷惑ではないか?
みたいな意見も出そうな気がします。近隣住民の会とかで。

まとめ:コンセプト重視には、他の軽視が必要

この2つの例を見て気づいた感想が(他にもたくさん例があるけど)、今回のタイトルの「身も蓋もない」ということです。

もちろんオランダでも「溺れて死ななければ良いわけ?」みたいな議論も出なくはないはずです。でもそこで「良い」と判断している(と想像)。川に落ちて濡れたり、怖い思いをすることはあっても、溺れ死んでしまう可能性を限りなく下げておく。それと「ものすごいコストをかけて、柵をつくる」こと比べて、前者を選んでいる。(そもそも、柵を作っても落ちる子は落ちるし。その時泳げないのは、いずれにしても危険である。)

ガラス瓶のゴミ箱も同じ。「計算の結果、100万分の1も破片が飛び出す可能性はない。神経質で音が気になる人もいるかも知れないが、プロトタイプでの実験の結果、音は◯◯デシベル以下であるから問題ない。」必要ならこういう身も蓋もない検証もしてると思います(想像ですけど)。それならこれ以上に突き詰めて、例えば「スロープ式で瓶がゆっくり落ちるよ 消音クッションつきゴミ箱」を開発するより良いじゃないか。割れて体積も小さくなるんだし、と(何度も言うけど、想像です)。

つまりコンセプト・ドリブンを実現しようと思ったら、多少の身も蓋もない判断をしてでも、他を捨てないといけない。「コンセプト・ドリブン」は、ポジティブな面(かっこいいほう)だけを捉えた言い方であって、それを掲げているだけではコトは進みません。「コンセプト重視」は裏を返せば(それこそ身も蓋もなくいえば)「他を軽視」ということです。

日本人である僕らは、完璧主義というか、全部を解決しようとしすぎなのかなと思わされます。もともとの目的や課題とは直接関係がない、マナーとかエモーショナルなことも。「溺れなければ良いって、人の子に対して失礼な」とか含めて。

これは日本とオランダのどちらが正しいとかではなく、一長一短、表裏一体な話で、日本人の完璧主義があってこそ、時には本当に全てをキレイに解決した、奇跡のような製品やソリューションが生まれる。そして「溺れなけりゃ同じでしょ」ではない、繊細な気遣いやおもてなしのサービスが実現されたりもします。
けれども、完璧を目指している故に深夜残業はなくならないし(と言い切るのは乱暴ですが)、奇跡のように美しい製品もある反面、要らない機能がてんこ盛りの製品も、たくさんあります。「肩たたき機能付き…冷蔵庫?」みたいな。

「解決できるに越したことはない課題」に丁寧に取り組むのも良いけれど、ちょっと冷静になって「全部は無理!」と改めて言い聞かせる。当たり前のようで忘れがちな「取捨選択は常に必須である」というのを思い出すには、オランダのデザインやしくみ、街づくりは参考になるのではないでしょうか。心意気としてはいつも完璧を目指すにしても、です。

妻に言われて空き瓶をすてに行ったときの音からインスパイアされて、ちょっと飛躍したエラそうな話を書いてしまいましたが。以上です。

そんなオランダかぶれの「コンセプト・ドリブン」なサービスデザイン、コンセプト検証のプロトタイプについてのご要望は、タムステルダムまでお気軽にお願いします。


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