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Facebookを休止してみて

Facebookを休止してから、3日経った。
ちょっとまだ慣れない。「退会」ではなく「休止」なので、ログインすればすぐに復活して使えるようになるし、私のiPhoneの画面には、まだいつでも復活できるようにFacebookのアイコンも残してあるので、つい癖で触ってしまうのだ。
でも、すぐにはFacebookの内容を見ることはできず、ログイン画面が出るだけなので、その段階で手を止める。

正直言うと、なんか落ち着かない。ログインしてFacebookを見たい欲求に一日中何度も襲われる。Facebookの魔力、それは恐ろしいほど強いらしい。

ただ、あらためて私の過去のiPhoneのスクリータイムを見ると、Facebookはたったの1日平均14分しか見ていなかったことがわかった。たいして見ていなかったので、Facebookをやめたことで一日の時間が増えたような感覚はなかったが、実際も14分増えただけなので、本当に時間的にはあまり変わらなかったのだ。
どうやら、私はFacebookを、かなり細切れに数秒とか数分チェックしているだけだったようで、その短い時間でFacebookで友達登録している人達の投稿を読んだり、ごくたまに、それにコメントを入れたりしていて、一番長い時間Facebookを使っている日は、自分でFacebookに投稿をしたときで、でもそれは毎日ではなく、ときどき短い投稿をするか、たまに急にたくさん、長文でいっきに何度も投稿するという、あまり一定のリズムで投稿することはなかった。

では何が変わったのか?
フォロワーの投稿を読まなくなったので、それに対しての感情をいだかなくなったこと。そして、自分がした投稿(休止したので投稿もできなくなかった)に反応があったのか無かったのか、「いいね」がついたのか付かなかったのかなどを気にしなくなったり、コメントが入ったときにそれに対してコメントを気を使って返すことがなくなった、ということが大きい。
そして、自分で投稿もしなくなったので、Facebookで友達登録している閲覧者に、どう読まれるかを気にしながら、気を使って文章を書く時間とエネルギーを使わなくなったことも大きな変化だ。

私のFacebookに登録された友人は、実際の友人や、取引先、仕事を一緒にした人(私の場合は著者、翻訳者、デザイナー、イラストレーター、書店員、印刷製本関係)や、実際に会ったことのある知人が多く、皆、リアルな世界でも関わることがある人たちで、投稿やコメントを書くとき、その内容、言葉、言葉づかいに、距離感や間柄によって気を使うことが、多々ある。なのでFacebookは、実際の日常の人間関係と重なり、そして近い面があるSNSなのだ。現実世界の人間関係がWEBに起き変わっただけなのだ。だから、それが良いという面も当然ある。リアルな付き合いをFacebookを使うことで、SNSが誕生するまでは困難であった、時間と空間を超えて友人知人関係を広げて維持することができるからだ。それがFacebookの魅力だからやってる人も多いのだろう。
問題は、それが原因でも起こる。それも現実社会と同じだが、人間関係のトラブルも、WEBを介して、同時に空間と時間を超えて発生する。しかもログに、記録に残ったりする。だから、一時の感情や、よく調べないで書いたり、相手によっては傷つく内容を書くと、とんでもなく影響が大きくなるというリスクが高い。見えないところ、自分で気づかないところで、人間関係にひびを与える可能性すらあると思う。
(近頃の中高生などの若者がLINE疲れで、LINEの使用をやめている子がいるという話しとも繋がる。子供の世界も大人の世界も、そこまで違いはないのだ)

そして、Facebookを始めてから、時が経てば経つほど、自分が関わった人間の数は、生きていれば自然にどんどん増えるわけで、同時にFacebookの友達登録者の数も増えていった。私は人の投稿や自分の投稿、そのコメントにも、かかり不必要なレベルで気を使いすぎてしまうことが多々あり、Facebookの友達の数が増えれば増えるほど、そのストレスも増えていったのである。そんなに気にすることがないことまで、気にしすぎてしまうなども多々あった。勝手に深く傷ついていたことも多々ある。

なので、Facebookを休止して変わったのは、そういう気を使う時間が無くなったこと、それにエネルギーを費やさなくなったことだ。ただ、正直言うと、ちょっとそれが今はさびしい、自分から皆の輪から離れて一人ポツンとしているような感覚もある。だからまだFacebookを休止したことがどれほど自分にとって良かったかは、たった3日ということもあるけど、分からない。あと普段会ってない人の近況が分かりにくくなった。それもちょっと気がかりだ。これを補うには、実際に会いに行ったりするしかないだろう。この機会にそれを増やそうかという思いが少しある。

Facebookと比べて他のSNSの、TwitterやInstagramは、私はほとんど少ししか投稿していないことも大きいが、他のSNSは、不特定多数と、匿名だったり、字数も少ないし、薄い内容の関係性のなかのやりとりしかないから精神的な負荷はあまりかからない。そこがFacebookと他のSNSの大きな違いだ。
あと一つ忘れていたがLINEもあるが、私の場合は、LINEは、ほとんどメールアドレスの代わり、普段付き合いが継続的にある友人知人との連絡、チャットの用途で使ってるのがほとんどなので、メールや電話の代わりでしかない。

そして、このnoteは、それらともまたちょっと違う位置付けだが、投稿し、それにFacebookでいえば「いいね」の代わりに「スキ」が入り、投稿にコメントも入ることがあるという点では、少しFacebookに近い面もある。ただ、Facebookと違うのは、noteには、あまり実際のリアルで身近な人間関係の中で書いているという感覚が薄いというところだ。それは友人知人でnoteを書いている人がかなり少ないからだからということもある。それは少しFacebookに比べるとテーマやタイトルを考えて記事を投稿するということもあるので、ちょっとブログに近く、投稿のハードルが高い、気軽に投稿しにくいから、なのだろうか、そもそもFacebookほど人気がない、登録者数も少ないからなのだろうか、それはよくはわからないが、とにかく友人知人でnoteを書いてる人は、著者さんや出版社の編集者のような物書きの仕事をしている人がほとんどで、それ以外の人は私の周囲ではほとんど書いてはいない。

noteは、わたしにとっては、私個人と、そして私が経営する株式会社アルファベータブックスという出版社のWEB媒体と思って書いている位置付けでもあるので、世の中の不特定多数の人に向けて書いていて、どこかの誰かが、このnoteの私の投稿、記事を読んで共感したり、仕事の参考にしたり、アルファベータブックスの本に関心を示してもらったり、出版社の経営や編集の仕事の日常をちょっと知ってもらって、読んで何かを感じてもらえるものになるならば、それでいいと思っている。noteはそんな位置付けだ。

日々、何か伝えたいことが自分の中から生まれてきたら書く、そのスタンスで続けていければと思っている。


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