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「和食」の無形文化遺産登録は、“おせちの伝統を守れ!”という教訓。

日本ほど食の豊かな国は他にない。いながらにして、世界各国の料理が食べられる。日本人には、あらゆる国の料理を持ち込み、受け入れ、広めるという柔軟な姿勢がある。それでいて、日本独自の伝統も守り続けている。

そしていま、和食が見直され、ユネスコの無形文化遺産にも登録された。これから、ますます注目されることだろう。

だが、懸念材料がないわけではない。日本における和食の存在感が、少しずつではあるが、薄れてきている。

食の欧米化、魚離れ、箸をちゃんと持てない人……。何れは、日本の食卓から和食が消えてしまうのかもしれない。

また、いまの日本には、包丁のない家庭すら存在する。料理をしないのである。単身者ではなく、子どももいる家庭でのことである。これでは、和食を基本としてきた家庭料理でさえ、崩壊してしまうのではないか。

だが、和食そのものがなくなるわけではない。やはり日本人の口には和食が合うようで、外食・中食では、和食を好んで食べているのである。惣菜が売れていたり、定食屋が流行っていたりする。

和食を作るのは面倒だが、食べるのは好き。まことに勝手なことだが、これも時代の流れと考えるしかない。

時季的な話をすると、おせち料理を作る家庭がどんどん減っている。その分、有名料亭や有名料理人などが作るおせち料理が、年々売り上げを伸ばしている。和食の中では存在感の大きなおせち料理をみんなが買うようになってきたのである。

確かに、手間と時間の掛かるおせち料理は作りたくないのかもしれない。だが、「家庭の味」「おふくろの味」「地方の味」を失っても良いものだろうか。

家で作ることこそが、和食としてのおせち料理の姿ではないのか。プロが作るおせち料理を食べてみたいという気持ちはよくわかる。家庭で出せない味と見ために、魅了されるのは当然だと思うが、はたして、それで良いのか。

正直なところ、「それもいいんじゃないか」という思いもあるが、何か大切なものを失うような不安が残る。なので、小さな抵抗ではあるが、我が家では手づくりしている。

伝統を守らなければ、という気負いはないが、せめておせち料理ぐらいは自分たちで作ろう、と思うのである。

料理人のおせち料理を否定するつもりはない。家庭で作らなくとも、和食のひとつのカタチであることに変わりはない。だが、「それはないだろう!」という、おせち料理もある。

イタリアン・フレンチ・中華のお店が作るおせち料理。おせち料理の形態はしているが、中身はまったく違うものである。これは、和食として認めるわけにはいかない。

商機だと捉えているのだろうが、手を出して欲しくはない領域である。おせち料理ではなく、パーティ用のオードブルとして売れば良い。

和食が無形文化遺産に登録されたいま、和食の代表とも言えるおせち料理は、何としても守らなければいけない。日本人全員が和食を見直す、絶好のチャンスなのである。

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